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082-若いうちから余計な苦労は買わない

「若いうちの苦労は買ってでもせよ」という言葉を、子どもの頃から何度も聞かされてきました。
若いうちに苦労しておけば、将来きっと役に立つ。

色々な事情があって、どうしても回避できないような苦難であれば別ですが、どう考えても余計だと思われるような重荷まで背負い込んでいたこともありました。

ところで……
そもそも「苦労」って、何なのでしょう。

辞書を引けば「心身を悩ませ苦しめること」といった説明が出てきます。
つまり苦労とは、本来「望んでいないのに耐えているもの」を指す言葉だそうです。

だとすれば、自分が夢や目標のために選んで引き受けている苦難は、「苦労」ではないってことですね。

夜遅くまで練習する。完成を目指して何らかの作業に没頭す。何日も徹夜を繰り返しながら必要な書類を書き直す。誰も見ていないところで地道な作業を積み重ねる。
これ、傍から見ればどれも「苦労」に映るのかもしれません。
けれど本人にとっては、それは目指すもののための道のりであって、不本意なことに耐え忍んでいる感覚とは少し違います。

むしろ、そこに意味を感じられているうちは、それは苦労ではなく自分に対する「投資」や「準備」と呼んだほうがしっくりきます。
自分がこれまで出会ってきた、素敵な生き方をしている人たちを思い返してみても、共通しているのはこの感覚でした。
「努力」と「苦労」はまったく別物ですよね。

どんなに過酷な状況でも、難問が山積みでも、彼らはそれを「苦労している」などとは絶対に表現しません。
「面白い」「やりがいがある」という言葉を使います。

逆に、苦労を苦労のまま抱えていれば……。
「なぜこんなことをしているんだろう」という違和感を抱えて走り続けているうちに、気づけば当初の目的地とはまるで違う場所に立っている。そんな姿を、これまで何度も見てきた気がします。

だから自分は、「若いうちの苦労は買ってでもせよ」を、そのまま鵜呑みにしなくていいと思っています。
この言葉は、苦労そのものに価値があるかのように聞こえてしまいますが、本当に大切なのは苦労の中身であって、量ではありません。

大変さを引き受けるかどうかの基準は、若いからとか根性があるからとかではなく、それが自分の望む方向とつながっているかどうか……ただそれだけでいいのではないでしょうか。

苦労は、買うものではなく、気づけば手放せているもの。
振り返った時に、あれは大変だったけれど苦労ではなかったな、と思えるかどうかですね。

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