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映画『黒牢城』——本当に牢に囚われていたのは誰だったのか(2026年)

映画『黒牢城こくろうじょう』を観た。

先に言ってしまうと、わたしはかなり楽しめた。映像は美しく、本木雅弘演じる荒木村重の所作は惚れ惚れするほど美しい。地下牢の闇の深さ、長回しの緊張感、城郭空間の使い方も見事だった。特に大スクリーンで味わう価値のある映画だと思う。

ただ同時に、「わかりにくい映画だった」という感想も正直に書いておきたい。


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このレビューにはこの先ネタバレがあるが、Yahooニュースにはネタバレなしの記事を掲載。ネタバレを避けたい方はこちらをどうぞ。


(↓この先ネタバレあり↓)

「わかりにくさ」の理由


わたしは歴史好きで、いくつかの媒体で歴史コラムを書いている。戦国時代の知識もそれなりにある。荒木村重や黒田官兵衛(菅田将暉)の史実もある程度知っている。それでも何度か置いてけぼりになった。
 
『黒牢城』では、

「誰が誰なのか」

「その人はどういう立場なのか」

「その人は何を疑われているのか」

「官兵衛は何を指摘したのか」

という四段階を同時に追わなければならない。しかも登場人物は信長や秀吉のような有名武将ではない。

(c)米澤穂信/KADOKAWA(c)2026映画「黒牢城」製作委員会


「観客の理解を助けること」と「芸術性」は別問題である。
 
もう少しわかりやすくすべきだったのではないか。

たとえば、『シン・ゴジラ』をはじめとする『シン・シリーズ』のように、初出の際に役職名と名前をデカデカとテロップで出してくれないと正直厳しい。

2024年の『教皇選挙』のときにも同じことを感じた。この映画はアマプラで観たのでスマホで相関図を確認しながら観られた。そうして鑑賞しながら「映画館で観た人は、これを理解できたのか?その上で傑作と評価したのか」と戦慄しつつ感心した。

今回、映画館でわたしが欲しかったのはこれである。

映画『黒牢城』人物相関図(C)米澤穂信/KADOKAWA (C)2026映画「黒牢城」製作委員会

もう一つ残念だったのは、村重が城を出た時点で物語が唐突に終わりを告げ、城が信長に降りたことのみが文字で記されたこと。官兵衛や千代保(吉高由里子)のその後については何も記されない。

官兵衛と嫡男・松寿丸の再会、そして今楊貴妃として美貌を誇った「だし」こと千代保の最期を見たかったと思う。


語り方の違い~久能整と黒田官兵衛

 
原作はミステリー小説だ。小説なら登場人物一覧があり、地の文があり、前の章を読み返すこともできる。しかし映画になるとそれらはすべて消える。本来なら映像で補う必要があるのだが、『黒牢城』はむしろ逆で、徹底した会話劇として作られている。
 
その結果、「今なんて言った?」と思っているうちに次の説明が始まる。これはミステリー映画としてはかなり不利だったと思う。

菅田将暉が4年前に演じた『ミステリと言う勿れ』を思い出した。主人公の大学生・久能ととのうの推理は非常にわかりやすい。「結論→理由→具体例」の順に説明するからだ。

一方、『黒牢城』の官兵衛は違う。仮説の上に仮説を積み上げ、そのまた仮説を語る。戦国武将同士の腹の探り合いとしては自然なのだろう。しかし観客への説明としては決して親切ではない。

菅田将暉の演技は素晴らしいのだが、セリフが一度で頭に入らなかったという人は少なくないと思う。


事件の黒幕が向き合った「本当の地獄」


ネタバレ記事なので、この映画のミステリーとしての結末も書いておきたい。四つの怪事件の黒幕は、村重の妻・千代保だった。

(c)米澤穂信/KADOKAWA(c)2026映画「黒牢城」製作委員会

千代保は本願寺に連なる川那部氏の娘であり、熱心な一向宗徒だったといわれる。長島一向一揆の生き残りである彼女の動機は、あまりにも切実で残酷だ。

当時、民を救うと同時に、縛ったのも宗教だった。一向宗の民は「進めば極楽、引けば地獄」という言葉に縛られていた。

「引いたら(逃げたら)仏に救われず、地獄に落ちる」と言われ、逃げることもできずに死んでいった民の地獄絵図。

千代保は、その記憶を背負って生きている。だから彼女は「天罰」を演出する。仏はいる。悪事には報いがある。そう人々に信じさせることで、絶望の中にいる民を救おうとしたのだ。

しかし皮肉にも、「民を救おう」とする千代保もまた、人為的に「仏の意思」を作り出そうとしている。その意味で千代保もまた、「自分の信じる正義」のために人を操ろうとしているのである。

この千代保の狂気と哀しみがあるからこそ、その後の「暗い牢の中での官兵衛と村重の対峙」が、より一層不気味に引き立つ。


三者三様の「救われない物語」


ただ、こうも考えられる。

一向一揆で千代保が見たのは、「進んでも地獄」だった。だから彼女は、人々に「逃げてもいい」「生きてもいい」と言いたかった、「生き残ることを肯定したかった」のではないだろうか。

なぜなら映画全体が、信長のように潔く死ぬ英雄譚ではなく、「逃げてもいい、生き延びてもいい」という村重の物語になっているからである。

そう考えると、千代保の思想と村重の「生き残る」という選択は、実はどこかで響き合っているようにも見えてくる。

(c)米澤穂信/KADOKAWA(c)2026映画「黒牢城」製作委員会


興味深いのは、村重も千代保も、そして官兵衛も、それぞれ異なるやり方で何かを変えようとしていることだ。

村重は人を殺さないことで。
千代保は人々に希望を与えることで。
官兵衛は真実を暴くことで。

その方法は三者三様であり、ときに相手を傷つける。

だから『黒牢城』は単純な善悪の物語ではない。誰もが正しいと思って行動しているのに、誰も救われない。その苦さが、この作品を単なる戦国ミステリーで終わらせていないのである。


荒木村重、敗者の心理劇


だが、この映画は単純なミステリーではない。どちらかというと、「荒木村重という敗者の心理劇」なのではないか。
 
劇中の村重は人を殺そうとしない。普通なら「慈悲深い武将だった」で終わる話である。しかし官兵衛はそう見ない。
 
村重が人を殺さないのは優しいからではない。信長とは違う存在として振る舞いたいからであり、摂津の人々に受け入れられたいからであり、よそ者として生き延びるための処世術だからだと分析する。
 
映画では、村重には丹波出身説が採用されている。有岡城の家臣たちは摂津の人間だ。城が落ちても土地に残れる。しかし村重だけは違う。
 
『豊臣兄弟!』の官兵衛が三木城の皆殺しに反対したのは、「別所を殺せば民の心を失う」という政治的な合理性からだった。

しかし『黒牢城』の官兵衛はさらに踏み込む。「村重殿は民を愛しているのではない。民に見捨てられることを恐れているのだ」と言わんばかりだ。

官兵衛の立場に立ってみれば、村重の不殺のせいで彼は自分の子を殺された(と思っている)。直接手を下さないからといって聖人ぶるな、と言いたいのかもしれない。


村重と官兵衛の逆転劇


本作で最も面白かったのは、実は四つの怪事件ではなく、村重と官兵衛の関係である。本来なら囚われの身である官兵衛の方が弱いはずだ。
 
しかし話が進むにつれて立場が逆転していく。
 
最初は信長への降伏を勧めていた官兵衛が、いつの間にか事件の相談相手になり、最後には人生相談の相手になっている。
 
肉体は地下牢に閉じ込められているのに、精神的には官兵衛の方が自由なのだ。
 
一方の村重は、城主でありながら家臣、信長、毛利、城内の疑心暗鬼に縛られている。
 
だから実は牢に囚われているのは村重の方なのだ。
 
そう考えると、『黒牢城』という題名も、官兵衛の地下牢だけでなく、有岡城そのものを指しているように見えてくる。


救わないカウンセラーと信じていない患者

 
もう一つ、官兵衛の残酷さを象徴する場面がある。
 
「秀吉や勝家、光秀らといた頃は楽しかったでしょうな」というセリフだ。これは「あなたは今、孤独でしょう」という宣告である。しかも事実だから反論できない。
 
家臣たちは忠義深い。村重を慕っている。しかし官兵衛が見抜いているのは、「忠臣はいる。しかし対等に語れる相手はいない」ということだ。
 
村重は城主だから本音を言えない。家臣たちは主君に意見はできても、同じ目線では語れない。ところが官兵衛だけは違う。敵であり、囚人であるからこそ遠慮がない。

(c)米澤穂信/KADOKAWA(c)2026映画「黒牢城」製作委員会


だから村重は嫌でも地下牢へ向かう。まるでカウンセリングに通うように。もっとも、そのカウンセラーには相談者を救う気がまったくないのだが。むしろ弱いところを見つけると、そこを徹底的に掘る。
 
なぜ人を殺さないのか。
何をそんなに恐れているのか。
なぜまだ毛利を待つのか。
 
官兵衛は事件を解決しているようでいて、実は村重そのものを解体している。わたしには、この映画の官兵衛は名探偵というより精神分析医に見えた。いや、精神分析医というより病理解剖医かもしれない。


官兵衛が真実を暴くたびに起きること

 
普通のミステリーにおいて探偵は秩序を回復する存在である。しかし『黒牢城』では逆だ。官兵衛が真実を暴くたびに、有岡城は崩壊へ近づいていく。
 
家臣への不信。毛利への希望の薄さ。和睦の不可能性。千代保の正体。真相が明らかになるたびに、城の土台が崩れていく。

だから『黒牢城』は、村重が官兵衛に事件を解かせる物語ではない。官兵衛が村重という人間を解体していく物語なのだと思う。
 
そして二人の関係は友情でも師弟でもない。一番近いのは、「唯一自分を理解してくれる相手が、最悪の敵だった」という関係だろう。
 
村重は官兵衛を信用していない。しかし頼ってしまう。
官兵衛は村重を理解している。しかし救う気はない。
このねじれた関係こそが、『黒牢城』最大の魅力だ。


この映画で最も恐ろしいこと


なお、史実との関係も興味深い。官兵衛は実際には軟禁に近い状態だったという説もあり、足を悪くしたという有名な逸話には異論がある。

また逃亡した卑怯者として見られるのが定説だった村重も、毛利への援軍要請に向かったという見方が近年では有力になりつつあり、映画はこの説を採用している。
 
四つの怪事件の黒幕は別にいる。しかし物語全体の黒幕は官兵衛である。牢から一歩も出ないまま、彼は村重の選択と運命を少しずつ誘導していく。
 
そして最後には、実はこの映画は「彼の復讐劇」でもあったことがわかる。

気づけば、村重はもうどこにも行けなくなっていた。官兵衛は、村重が「進んでも引いても地獄」となるまで、酒を酌み交わしながら時間稼ぎをしていたのだ。

この映画で最も恐ろしいのは怪事件でも信長でもない。

本当に牢に囚われていたのは、官兵衛ではなく村重だったこと。この映画の本当の恐怖は、そこにある。


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