見出し画像

大陸に燃えた青春の思いで

祖父が満州で関東軍の将校として従軍していた当時の手記。
内容があまりにも重く、長年きちんと読むことを躊躇っていた。
読みたい人は極めて少ないかもしれない。
それでも、こうした記録は残しておくことに意味があると思い、ここに残そうかと。
この手記には、
・「8月15日」で戦争が本当に終わったわけではなく、その後も多くの命が悲惨な形で奪われていったこと
・ソ連軍侵攻の前、国境の街から灯りが消えるなど、不穏な前兆があったこと
・日ソ不可侵条約を一方的に反故にしたソ連軍の侵攻によって、祖父がいた璦琿陣地が壮絶な戦場になったこと
・戦友や同じ陣地にいた兵士たちが、目の前で無残に命を落としていったこと
・陣地内では、子供が母親もろとも命を落とすような、目を覆う光景もあったこと
が記されている。
多くの戦友や兵士の死を目の当たりにし、手記にはないが、投降後は自身も中共側の捕虜となり、処刑寸前のところから生きて帰った。
そんなやりきれない記憶を抱えながら帰国し、その後は日本で事業を興して生きた。
30年以上前に他界した祖父が、英霊への鎮魂の思いを込めて残した手記でもある。

大陸に燃えた青春の思いで

時は戦雲急を告げる昭和十四年の正月まだき、突如関東軍経理部要員として学業を終えぬまゝ学友と共に渡満することとなった。

十日の余裕もない突然の門出は唯々慌しく神参りを済ませたのは出発の前日だった。

青春の一時を過した双楠の学舎、忘れ得ぬ故郷の山河、寒椿の香りに埋れた鎮守の森、我が古里に思い出を偲ぶいとまもなく訣別、長い別離となる家族に一抹の不安を秘め乍ら惜別、夜行列車に飛乗り故郷を後に旅立ったのは底冷えのする月光の夜だった。
車窓に寫る日向灘の白波は美しく青春の門出を鼓舞している様で、とても印象的だった。

睦月の玄海灘は思ったより荒れていた。関釜連絡船内の車座の幾時間は波に揉まれ、退屈どころではなかった。
釜山駅始発の汽車に、あたふたと乗り継いだのは朝方だった。
車窓をよぎる黄土と赤松林の連山を垣間見乍ら朝鮮半島を北へと、ひた走り凍結した鴨緑江を渡り国境の町、安東を越え、目的地満州の首都新京の駅頭に降り立ったのは故郷を出てから三日目の暁だった。
厳寒の新京に社会人として第一歩を印したのである。


希望と光明。不安と緊張が交錯した一瞬でもあった。此の日、全国より参集した同輩が駅構内を埋め盡くしていた。
足下の線路は全て雪に埋り、眼界の雪景色は異様で南国生れの我等には別世界であった。靴底を容赦なく透す寒気が意外で足踏ぐらいでは堪えきれるものではなかった。
肺まで凍てつく冷気は体験したことがなく、ひしひしと千里離れた新天地の息吹が全身につたわるを覚えた。
ふと三日前門出したばかりの故郷を思い出し此の現実を夢の様に感じたのも此の時だった。
全員の点検、編成等に費した雪中線路上の三時間は想像以上に長く、無装備での耐寒は限界だった。

漸く川勝部隊の衛門をくぐり教育班に落ちつくことが出来た。暖かい味噌汁と大福餅がこんなにおいしいとは知らなかった。
半月位の基礎教育と訓練を終え、鉄路亜細亜号にて赴任地ハルピンの設計班に向ったのは二月始めの雪の日であった。

始めて見るハルピンの街は樹木に覆われゴシック様式の寺院、白亜の建物が多く、ポプラの並木、ピンコロの石畳み、街往く白系ロシア人がなんとなく調和して北欧の絵画を見る様であった。
街路樹は凍てつき樹氷となってガラス細工の様に美しく、雪上の轍を鈴を鳴らし乍ら往交ふ馬車、黒人の様に汚れた馬夫、ペチカの煤で真っ黒に染まった雀、石炭とガソリンの交錯した臭いは、ハルビンの情緒で今もガソリンの臭いを嗅ぐとハルピン時代にタイムスリップする。


設計班の業務は楽しく、希望に満ち満ち血潮がおどる幾日かであった。が、三月末には学友とも別離する情報を耳にしたので日曜毎にオンボロバスのデッキにぶらさがり、ハルビンの街を寸暇を惜しみ、ぶらついたものだった。
今もキタイスカヤのモデルン劇場の真赤なドンチョウと牡丹色の客席を想い出す。

今は亡きS君と始めて喫茶店這入り、ゆで小豆と、焼りんごをたらふく喰べ、可愛いウェイトレスと言葉を交すことが嬉しくて二人して足しげく通ったものだった。
五十年の歳月がスーチャンの顔すら忘却させてしまったが、S君はきっとあの世で幾度か当時の事を思い出し、ほくそ笑んでいるかも知れない。S君心から冥福を御祈り致します。


春近い三月下旬終に学友共別離する時が来てしまった。東満、北満と赴任地が決まった時は何故か寂しさがこみ上げ悲しさを懸命に隠したものだった。
幾度も再会を約し別れを惜しんだ。そんなに純情であったあの当時の若い青春時代の事がとても懐かしい。新任地黒河へ出発したのはそれから数日後の天気の良い午后だった。
ホームで別れ際、力一杯にぎりしめた学友の手のぬくもりが今も何処かに残っている様な気がする。去り難い思い出を一杯残しハルビンに別れを告げ、又北へと旅立った。

三月末の興安嶺は未だ深い雪の中であった。
雪の平原を北へ北へと走り続け、白樺林の点在する稜線を幾度も通り抜け漸く孫呉駅についたのは、午后の一頃だったろうか、
一年先輩で住吉出身のIさんがプラットホームに出迎え見送ってくれたが異郷の地での先輩との再会はとても心強かった。
激励の言葉と、現場を匪賊に襲われた話を、おそるおそる聞いた事を想出す。

視界から消える迄、懸命に手を振って別れた先輩の消息を知るよすがはないが、前途洋々として自信に満ちたあの時の先輩の雄姿は今も瞼の隅に残っている。


国境の街、黒河に着いたのは、その日の夕方だった。駅は市街の東門城外東北へ、一、五キロ位離れた吹き曝しの中にぽつねんとあった。
初めての所長(N中佐殿)に単独赴任の申告を無事すませた興奮は即座に沈めることは出来なかったが落ち着きを取り戻し我に戻った時、ふと故郷に思いを馳せ指折り感涙にむせんだ事を想い出す。
四月初旬なのに黒龍江(アムール)未だ凍結していて春まだ遠い感じだった。

所内の動きは日毎に忙しさを増していったが自信と快びを感ずる迄には時間がかかった。いけすかない見知らぬ先輩の意地悪に幾度か嫌悪を感じ懸命に時間の経過を乞い願ったものだった。
然し燃える情熱にさえられ充実した日々を楽しんでいた。


四月も二十五日頃になると日夜、雷鳴のような音をたてて解氷が始まり、アムール川に流氷が一週間つづく。
そして北満の果て黒河にも春が訪れるのである。岸辺のドロ柳も芽をふき、やがて綿毛のような花びらを、ぼたん雪の様にあたり一面に散らし始める。
又五月も半ばを過ぎると、アムール川の名物筏流しを見る様になる。
郊外のあらゆる草原は野菊を始め、ユリ、スズラン、アヤメ、キキョウ等のあらゆる花が一度に咲き誇り、寸暇の春陽を惜しむ如く爛漫と咲き乱れる様は見事である。
晴れた夕方アムール川の岸辺を散策すると、とてもすがすがしい川辺に並ぶどろ柳の並木に春風がなびく姿は、格別で未だ見ぬ東京の銀座の柳を連想し遠い祖国を偲ぶこともあった。


或る初夏の夕方、江岸通りを楽しく語らい乍ら散歩する和服姿の邦人の家族に出会った事があったが、此の時程国威の有難さが身にしみ感動したことはなかった。
日本海にそそぐアムールの流れとアムール川面にうつる星空を仰ぎよく遥かな祖国に思いを馳せたものだった。

故郷の尾鈴の山の北斗星
今、黒龍江の水面にぞ 落つ

七〇〇米を隔てた対岸は、ソ聯ヴラゴエチエンスクの市街であった。肉眼でも川辺を往交う男女の姿を見分ける事も出来た。
風下の時は鶏、犬の鳴き声すらきこえた。水際には木舟らしい船も繋がれ、時折りのエンヂンの様な音かすかに聞こえる事もあった。
対岸ヴラゴエの街は赤茶けた荒野の台地に白樺とポプラの樹が林立する中に点在して見えた。

そしてアムールの流れを背景に落陽に輝くヴラゴエの街は一入美しくまさに一幅の絵画の様だった。
そんな国境の街も独ソ戦の推移と相俟ってやがて無気味な静けさの中に沈み、夜間は一灯の明りすら見出せなかった。
その頃、大阪生まれのYなる目立った豪気な先輩と、対岸の良く見える野菊の咲いた丘にねころんで五十年後の日本の将来を真剣に語り合ったものだった。
そんな時、夜な夜な二人してヴラゴエの街を語り軒を連ねるロシア風の豪邸に取り付ける為の門札を何枚か造ったが、その無法な衝動は若さだけの情熱だったのだろうか、
何時もバルダックスのカメラを肩に区別なく被写体を取りまくり深夜密かにバットの液温を気にし乍ら現像の悦びをかみしめたのも、その頃であった。
燃える情熱の延長線上を場所をかえ、六年の光陰は矢の如く通り抜けたが、幻の王道楽土の夢も又露と消え去る事実をしるよしもなかった。

昭和二十年八月九日早朝、日ソ不可侵略条約を一方的に破棄した鬼畜ソ聯軍は潮の如く満州になだれこんだのである。
奇しくも、その日我輩は陸軍将校(少尉)として、黒河の隣地璦琿陣地にソ聯軍を迎撃するとは想像もしてなかった。
戦闘は壮絶悲惨なものであったが八月二十一日午前十一時五十八分終に浜田十之助陸軍少将の指揮刀に白旗をかかげ投降したのである。
真夏の太陽は中天で高かった。空には硝煙がたちこめ薄暗く山岳陣地は砲火の残り火が燃え、未だ時折銃声が遠くに聞こえていた。

投降勧告を拒否、陣地死守玉砕を宣言し反撃を続けた軍団の終極は悲惨で地獄絵そのものであった。
爆雷を抱え戦車めがけて次々と突撃して行った多くの勇士は、キャタピラの下に藻屑の如く散り果てた。
窪地のあちこちには傷つき息絶えた軍馬の屍が散乱し既に蛆に犯され始めていた。
陣地の斜面を幾人もの兵が次々と手榴弾を片手に自爆自決し転げ落ちるを見たが、それを救ふ術は既に無かった。
陣地内のいくつかの井戸には次々と母親に投げ込まれる子供の悲鳴は、阿鼻叫喚で正に無間地獄そのものだった。
今も断末魔の叫びが耳底に歴然と残っている。

幾時間、経ったのだろうか、陽は西に大きく傾き戦場にも夕闇の帳が降りようとしていた。

数時間前の果敢な勇士等は今、落日を背に悄然と立ちつくし遥か祖国の空に思いを馳せ無念に涙し武装解除を待つ様は痛々しく哀れで筆舌し難い光景であった。
宵闇せまる戦跡を吹き抜ける風は異様に血生臭く無気味だった。
思へば大陸に燃えた青春は璦琿陣地の陥落と共に消え去った空虚の中に今亦俘虜として、シベリヤ流転の旅立ちが待っているかの様にも見えた。

いいなと思ったら応援しよう!