トリートメントは、コームでとかす? 手で握り込む?「なじませる」という技術。
ここまで、トリートメントという身近なヘアケアを、さまざまな角度から見てきました。
保湿とは何なのか。洗い流しても成分が残るのはどうしてなのか。白いクリームの中では、成分がどのような構造を作っているのか。そして、時間を置くことや塗布量には、どんな意味があるのか。
ひとつずつ掘り下げていくと、普段何気なく使っているトリートメントにも、想像以上に多くの物理や化学、そして処方設計が関わっていることが見えてきます。
そんなトリートメントをテーマにした記事も、今回でいったん最後になります。
最後に取り上げたいのは、新しい成分でも、特別な処方でもありません。
私たちの「手の動き」です。
同じトリートメントを、同じ量、同じ時間使ったとしても、髪へどのようになじませるかは一つではありません。美容室ではコームを通すこともあれば、手のひらで毛束を握り込むようになじませることもあります。
一見すると何気ないこの違いにも、それぞれ異なる目的があります。
シリーズの最後は、「トリートメントをなじませるとは、何をしているのか」をテーマに、製品を髪へ届ける最後の工程を、美容師の手技から考えてみたいと思います。
均一に広げる道具としての「コームスルー」
美容室でトリートメントを受けているとき、担当する美容師によって手つきやアプローチが少しずつ異なることに気づくことがあります。目が細かめのコームを使って丁寧に髪をすかしていく人もいれば、毛束を手のひらで包み込み、優しく何度も握り込むようになじませる人もいる。
どちらの仕草も、目的は「トリートメントを髪全体へしっかりと届けること」です。しかし、コームという道具を通すことと、手で揉み込むことでは、髪の毛へ与えている物理的な作用の性質が大きく異なります。
トリートメントを塗布した直後、髪の表面にはどうしても製品が多く付着している部分と、ほとんどついていない部分という塗布ムラが存在します。そこでコームを通すと、重なり合った毛束が細かく引き裂かれ、表面だけに偏っていたクリームが内側の髪一本一本の表面へと力学的に引き伸ばされていきます。
コームスルーの真の価値は、手だけでは届きにくい毛束の内部へトリートメントを行き渡らせ、接触のムラを限りなくゼロに近づける点にあります。力をかけて薬液を髪の奥深くへ強引に叩き込むことではなく、与えられた量を毛髪の「全表面積」へ効率よく分散させるための非常に合理的な手技なのです。
濡れた髪へ加わる力と、コーミングの力学
ただし、コームという物理的な道具を使う以上、そこには避けて通れない力学的な注意点が伴います。
トリートメントを塗布している最中の髪は、水を含んで膨潤したデリケートな状態にあります。水分を含んだ毛髪は乾いているときよりも引っ張りに対する耐性が低下し、些細な力で伸びたり傷ついたりしやすい物性を呈しています。そこへ硬いコームの歯を通せば、滑りが良くなっているとはいえ、毛髪の表面には確実に摩擦力と引っ張るテンションが加わります。
もちろん、トリートメントに含まれるコンディショニング成分によって摩擦係数は大幅に低下しているため、適切なコーム選びと優しい力加減で行われるコーミングそのものを恐れる必要はありません。
しかし、激しく絡まり合ったハイダメージ毛や細毛に対して、均一に塗布したい一心で何度も何度も機械的にコームを通し続ければ、ムラを無くすメリットと引き換えに、物理的な引きちぎりや表面の摩耗というリスクを重ねてしまうことになります。
均一性を高めたいからといって、回数を増やせば増やすほど髪が美しくなるわけではありません。目的に対して必要最小限の負荷で収めるという、力加減のコントロールが求められます。
手のひらで包み込む「握り込み」で起きていること
一方で、美容師が手のひらで毛束を丸ごと包み込み、キュッキュッと圧をかけるように握り込む手技があります。
その仕草だけを眺めていると、まるで手のひらの圧力によって、トリートメントの補修成分がスポンジのように髪の内部へと浸透・凝縮されていくかのように見えます。しかし、毛髪は水分や油分を無制限に吸い込むスポンジではありません。いくら手で強く握り潰したところで、成分が物理的な圧力によって毛髪の芯まで押し込まれていくという現象が起きるわけではありません。
では、あの握り込む動作には何の意味もないのでしょうか。決してそうではありません。
毛束を包み込んで圧を加え、それを緩める。この動作を毛先から中間へと場所を変えながら繰り返すことで、手のひらの中に残ったトリートメントと毛髪の隙間にある水分の配置が入れ替わり、毛束の外側に停滞していたクリームが内側へと効率よく移乗していきます。
髪の内部へ押し込むというよりも、毛束の中で「水とトリートメントの位置関係を揺らし、毛髪との接触機会を力学的に増やす」作業を行っていると捉えるのが、物理現象として正確な理解になります。
「押し込む」のではなく「接触を整える」
そう考えると、手による握り込みのアプローチを見る目も変わってきます。
大切なのは、力まかせに強く握り潰すことではありません。トリートメントの濃度が高い場所から低い場所へとなじませ、毛束の表面だけでなく内側に潜む一本一本の髪へ製品を優しく行き渡らせていくことです。
握り込みという技術の真骨頂は、コームのように髪を引っぱる張力(テンション)をほとんどかけずに、毛束全体への接触精度を高められる点にあります。
コームは製品を極めて迅速かつ均一に広げる能力に長けていますが、髪をストレートの方向へ引っ張る力がどうしても働きます。対して握り込みは、髪の配置を無理に引っぱることなく、毛束の立体感や曲面を保ったまま製品をなじませることができます。
爪や歯による引っかかりの心配がないため、濡れた状態で引っ張られることに弱いハイダメージ毛や、加齢によって細くなった大人世代のデリケートな髪に対して、物理的負担を最小限に抑えながらなじませる手段として非常に理にかなった選択となります。
道具と手技を使い分けるという技術
コームを通すことにも、手で握り込むことにも、それぞれ固有のメリットと物理的な特徴が存在します。
コームスルーは、短時間で広範囲に製品を均一分散させるスピードと正確さが強みです。握り込みは、毛髪に無理な引張力をかけず、水と製品のなじみを促しながら優しく接触面を広げていく丁寧さが強みです。
そのためサロンの現場では、どちらか一方だけを正解として固執するのではなく、最初に一度だけ目の粗いコームで全体へ大まかに広げたあと、繊細な毛先は手で優しく握り込んで密着させていくといった、両者の長所を組み合わせたプロセスが選ばれることも少なくありません。
コームを通したから成分が深く入るわけでも、握り潰したから内部へ凝縮されるわけでもありません。動作そのものが魔法を起こすのではなく、「その動作によって髪と製品の接触状態がどう変化したか」こそが、仕上がりを左右する本質です。
ヘアケアは「使い方」まで含めて完成する
これまで本シリーズでは、トリートメントという一本のボトルの中に詰まったテクノロジーを様々な角度から解剖してきました。
水分の保持、マイナスとプラスが引き合う電荷吸着、分子構造を支える高級アルコール、ミルフィーユ状のラメラ構造、放置時間と拡散の限界、そして毛髪表面積と塗布量の関係。
こうして一つひとつの要素を辿っていくと、髪の手触りやツヤが決まる理由は、決して「〇〇という魔法の成分が入っているから」という単一の理由ではないことがはっきりと見えてきます。
どんな成分が選ばれているか。
それがどのような分子構造で製品の中に佇んでいるか。
お湯や濡れた髪の上でどのように解けていくか。
画面の向こうや日常のヘアケアで、私たちの手や道具によってどう髪へ届けられるか。
これらすべての要素がバトンを繋ぎ、寸分の狂いもなく噛み合って初めて、たった一回のトリートメントが完成します。
どれほど優れた成分も、使い方が雑で塗布ムラがあれば真価を発揮できません。逆に、仕組みを理解して丁寧に髪へ馴染ませてあげれば、製品が持つポテンシャルは極限まで引き出されます。
トリートメントは、工場でボトルに詰められた瞬間に完成しているのではありません。最後に私たちが髪の上でどう扱い、どう流すかという技術までを含めて、初めてひとつの完成されたヘアケアとなるのです。
毎日の入浴の中で何気なく行っている数分間の手つき。その中に隠された毛髪科学の深みを知ることは、日々の手入れをただの習慣から、自分の髪を慈しむための確かで知的な時間へと変えていってくれるはずです。
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