余白は、「何もないこと」ではない
|※この記事はシリーズとは少し離れて、余白について一度整理してみたものです。
余白は、「何もないこと」ではない。
削った結果ではなく、
残した結果として現れるものだと思っている。

整える前に、余白は
設計されている。
「心地良い」と感じる感覚は、
足し算ではなく、引き算から
始まるのだと思っている。
好きなものを集めて
並べるだけでは、
どこか所有欲に近い。
私自身も、若い頃は
「これがあれば整う」と
思い込んで、
ものを優先していた。
でも今は違う。

物の豊かさよりも、
心の置き所に
余白があるかどうか。
いつからか、
そちらの方を大切に
するようになっていた。
余白は、後からできるもの
ではない。
断捨離という言葉が広まり、
ミニマリストという在り方が
知られるようになった。
けれど、
ただ物が消えていくだけでは、
余白にはならない。
好きだったものも、
本来そこにあるべきだった
ものも手放して、
ただ“何もない空間”
だけが残る。
それは余白ではなく、
行き場を失った空白のように
見えることがある。

余白は、
何もないことではなく、
残されているもののかたち
なのだと思う。
何を持つかではなく、
何を残すか。
その選び方の中に、
今の自分の在り方が
静かに現れる。
余白は、整えたあとに
生まれるのではなく、
はじめから、
そこに置いておくもの
なのかもしれない。
※余白について考えたことは、
「まとめるということ」や「気づきの籠」でも、
少し違うかたちで触れています。
