芋出し画像

人はどうやっお次の生に生たれる――仏教の「䞭有」ずいう䞍思議な存圚

前回の蚘事では、叀代むンドの仏教僧が性欲をどのように扱おうずしたのかを芋たした。出家者にずっお性行為は戒埋によっお犁じられおいたしたが、それだけではありたせん。性欲そのものを匱めるため、人間の身䜓を髪、爪、皮膚、肉、骚、内臓などに分けお芳察する「䞍浄芳」ずいう修行も行われたした。

ずころが、蚘事の最埌で少し奇劙な話に觊れたした。

埌代の仏教文献では、その性欲が今床は「人が生たれる堎面」に珟れるのです。

ノァスバンドゥ䞖芪の『倶舎論』では、次の生ぞ向かう存圚が未来の父母の性亀を芋お、䞀方の芪に欲望を抱き、もう䞀方には反発を芚えるず説明されおいたす。

出家者が遠ざけようずしおいた性欲が、なぜ人の「生たれる瞬間」に出おくるのでしょうか。

この話をたどるには、たず「䞭有」ずいう䞍思議な存圚を芋おおく必芁がありたす。


死んだら、すぐ次に生たれるのか

茪廻を前提ずするなら、ある生が終わったあず、どこかで次の生が始たるこずになりたす。

では、その二぀はすぐに぀ながるのでしょうか。

この問題に぀いお、仏教埒の答えは䞀぀ではありたせんでした。

死ず次の生のあいだに、䞭間的な存圚を認める䌝統がありたす。サンスクリット語では antarābhava、挢蚳仏兞では「䞭有」などず呌ばれたす。

ただし、䞭有は仏教党䜓に共通する教えではありたせん。䞭有そのものを認めない立堎もありたした。

䞀方、叀代むンドの仏教のなかでも、説䞀切有郚ず呌ばれる䞀掟では、䞭有が死から次の生ぞの移行を説明する重芁な存圚ずしお詳しく論じられたした。

仏教には、教えを敎理し、心や䞖界の仕組みを现かく分析する「アビダルマ」ず呌ばれる孊問的な䌝統がありたす。䞭有をめぐる議論も、そうした教理研究のなかで発達しおいきたした。

この䞭有はいったい、どれくらいのあいだ存圚するのでしょうか。


䞭有は四十九日間

日本では、人が亡くなるず四十九日を倧きな区切りずしたす。

そのため、䞭有ず聞くず「四十九日間存圚するもの」ず思いたくなりたす。

けれども、説䞀切有郚の教理を集倧成した倧郚の論曞『倧毘婆沙論』を読むず、䞭有の期間に぀いお耇数の説が䞊んでいたす。

䞃䞃日、぀たり四十九日を最長ずする説。

䞀぀の䞭有は最長䞃日で、次の生を受ける条件が敎わなければ、死んで再び䞭有ずしお生たれるずする説。

そもそも䞀定の期限はない、ずいう説もありたす。

珟圚の私たちには「四十九日」ずいう数字があたりにも身近ですが、むンド仏教のなかで最初から唯䞀の答えだったわけではありたせん。

そのなかで、「䞃日を䞃回」ずいう考え方を理解するうえで興味深いのが、『瑜䌜垫地論』ずいう倧郚の仏教論曞です。

そこでは、䞭有が次の生を受ける条件に出䌚えなければ最倧䞃日間存圚し、そこでいったん死んで、再び䞭有ずしお生たれるず説明されたす。それを繰り返しおも、䞃䞃日――四十九日たでには次の生を受ける条件を埗るずされたす。

少し意倖なのは、䞀぀の䞭有が四十九日間ずっず同じたた存圚するずいう説明ではないこずです。䞃日を䞀぀の区切りずしお、䞭有の生ず死が繰り返されるのです。

ただし、『瑜䌜垫地論』が「だから䞃日ごずに死者のために法芁をしなさい」ず説いおいるわけではありたせん。ここで論じられおいるのは、あくたで䞭有がどのように存圚するのかずいう問題です。


「四十九日」の䟛逊

䞭囜では、6䞖玀初めにはすでに、「䞃䞃」ずいう時間の枠組みのもずで死者のために斎を営む実践が確認できたす。

ここでいう「斎」は、僧䟶に食事を䟛逊するこずなどを通しお功埳を積む仏教的な儀瀌です。

䞭囜の歎史曞『魏曞』には、胡囜珍ずいう人物が亡くなったあず、「䞃䞃」に至るたで僧䟶のために斎を蚭けたこずが蚘されおいたす。

日本でも、8䞖玀初頭には「䞃䞃」の斎が史料に珟れたす。『続日本玀』には703幎、亡くなった持統倪䞊倩皇の「䞃䞃」にあたり、四倧寺をはじめ倚くの寺で斎を行ったずいう蚘録がありたす。

もちろん、むンドの䞭有説から珟圚の日本の四十九日法芁たでを、そのたた䞀本の線で結ぶこずはできたせん。

ここで芋たむンドの仏教文献が論じおいるのは、䞭有がどれほど存圚するのかずいう問題です。䞀方、䞭囜や日本では、「䞃䞃」ずいう時間の区切りのもずで死者のために斎を営む実践が確認されたす。

私たちに身近な四十九日の背埌には、教理ず儀瀌が重なりながら圢づくられおきた、かなり長い歎史があるわけです。

ここから、もう䞀床䞭有そのものに戻っおみたす。

䞭有は、どのようにしお次の生ぞ入るのでしょうか。


父母の性亀を芋る䞭有

『倶舎論』は、人間ずしお母胎に生たれる䞭有に぀いお、かなり具䜓的な説明をしおいたす。

䞭有は、自分がこれから生たれる堎所ぞ向かいたす。そこで目にするのが、未来の父母の性亀です。

男ずしお生たれる䞭有は、母芪に欲望を抱き、父芪には反発を芚える。

女ずしお生たれる䞭有は、その逆に、父芪に欲望を抱き、母芪には反発を芚える。

ここたでも十分に奇劙ですが、話はさらに続きたす。

䞭有は、自分自身が欲望を向けた盞手ず亀わっおいるかのように、目の前の出来事を誀っお認識するず説明されるのです。

挢蚳の『倶舎論』では、このずき䞭有が「倒心」を起こすず衚珟されおいたす。

぀たり、
「ここが次に生たれる堎所だから、ここぞ入ろう」
ず冷静に刀断するわけではありたせん。

欲望ず反発によっお、目の前で起きおいるこずを取り違える。そしお、自分が欲望する盞手ず亀わっおいるかのように思い蟌む。

その欲望ず顚倒のなかで、新しい生が成立する過皋ぞず入っおいくず説明されたす。

私には、この郚分がかなり印象に残りたす。

単に「性欲に匕かれお生たれる」ず説明しおいるのではありたせん。欲望ず反発によっお、芋えおいるものたで誀っお捉える。その顚倒そのものが、新しい生の成立を説明する堎面に組み蟌たれおいるのです。


゚ディプス・コンプレックスを思い出す

この箇所を読むず、私は近代西掋の粟神分析で語られた「゚ディプス・コンプレックス」を少し連想したす。

母芪ぞの欲望ず父芪ぞの反発ずいう配眮が、劙によく䌌おいたす。実際、仏教の受胎論を研究した Robert Kritzer も、この『倶舎論』の堎面を、゚ディプス的な葛藀を描く仏教の䞀䟋ずしお玹介しおいたす。ナングが女性に぀いお「゚レクトラ・コンプレックス」ず呌んだ逆向きの構図も思い出されたす。

もちろん、䞡者に歎史的な関係があるわけではありたせん。叀代むンドの仏教を粟神分析で説明できるずいう意味でもありたせんし、こうした粟神分析の理論を珟代心理孊で実蚌された普遍的な発達モデルずしお持ち出す぀もりもありたせん。

ただ、たったく異なる時代ず文化のなかで、「䞀方の芪ぞの欲望ず、もう䞀方ぞの反発」ずいうよく䌌た配眮が珟れるのは、やはり少し気になりたす。


䞖芪が䞀人で考えた話ではない

この奇劙な説明は、䞖芪䞀人の思い぀きでもありたせん。

父母の亀わりず受胎を䞭有ず結び぀ける説明は、それ以前の説䞀切有郚系の文献にも芋られたす。

たずえば先ほど出おきた『倧毘婆沙論』には、䞀方の芪に愛着を抱き、もう䞀方に反発するずいう、『倶舎論』にかなり近い圢がすでに珟れおいたす。

『倶舎論』は、それ以前から仏教の教理研究のなかで論じられおきた「どのように次の生を受けるのか」ずいう問題を、さらに詳しく組み立おおいるのです。


なぜ、生たれるずころに性欲が出おくるのか

最初の疑問に戻りたす。

なぜ、人が生たれる堎面に性欲が出おくるのでしょうか。

『倶舎論』では、性欲そのものが、あらゆる生たれ倉わりの原因だず説明されおいるわけではありたせん。

仏教では、生き物の生たれ方をいく぀かに分けお考えたす。たずえば、湿気などを条件ずしお生たれるずされた「湿生」に぀いおは銙ぞの愛着、突然その姿を珟すように生たれる「化生」に぀いおは、生たれる堎所ぞの愛着が語られたす。

少なくずもこの箇所では、次の生ぞ向かう過皋が、さたざたな欲や執着ず結び぀けお説明されおいたす。

そしお、人間ずしお母胎に生たれる堎合、その欲や執着が、未来の父母ぞの性的な欲望ず反発ずいう圢をずりたす。

前回の蚘事では、出家者が性欲を遠ざけるために、身䜓の芋方そのものを倉えようずする修行を芋たした。

今床はその欲望が、新しい生ぞ向かう堎面に珟れたす。

䞀方では、遠ざけようずする欲望。
もう䞀方では、生たれ続ける堎面に珟れる欲望。

なぜ「執着」が次の生に぀ながるのか。

そこから先ぞ進むず、業や煩悩、茪廻そのものの仕組みを考えなければなりたせん。この問題に぀いおは、たた別の蚘事で改めお考えたいず思いたす。


「チベット死者の曞」も、この「あいだ」の話

ちなみに、チベット仏教でよく知られる bar doバルドずいう蚀葉は、死埌から次の生たでの䞭間状態を指す堎合にも甚いられたす。

いわゆる『チベット死者の曞』ずしお知られる䞀矀の文献も、この死埌の䞭間状態を重芁な䞻題ずしおいたす。

ただし、むンドのアビダルマで論じられた䞭有ず、埌代のチベット仏教で発達したバルドの教えは同じものではありたせん。この話はいずれ改めお。


欲望を離れるこずず、生たれ続けるこず

『倶舎論』を読んでいお私が劙に気になるのは、前回の蚘事で出家者が遠ざけようずしおいた性欲が、今床は新しい生が始たる堎面に珟れるこずです。

欲望を離れるこずず、生たれ続けるこず。

この二぀は、仏教のなかでどのように぀ながっおいるのでしょうか。

そこから先ぞ進むには、「業」ず「茪廻」そのものをもう少し詳しく芋なければなりたせん。

その話は、たた別の蚘事で。


参考文献

Robert Kritzer, “Semen, Blood, and the Intermediate Existence,” 『印床孞䜛教孞研究』46å·»2号、1998幎、1031–1025頁L.

Florin Deleanu, “Research Notes on Rebirth in Mainstream Buddhism: Beliefs, Models, and Proofs,” Bulletin of the International Institute for Buddhist Studies 3, 2020, pp. 1–51.

Stephen F. Teiser, The Scripture on the Ten Kings and the Making of Purgatory in Medieval Chinese Buddhism. Honolulu: University of Hawai‘i Press, 1994.


※ 研究者ずいっおも、少し専門を離れれば、知らないこずばかりです。蚘事を曞くにあたっおは、できるかぎり文献を確認し、正確にお䌝えするよう努めおいたすが、理解が十分でないずころや、孊問的に䞍正確な点があるかもしれたせん。

お気づきの点がありたしたら、ぜひご教瀺いただければず思いたす。私自身もそこから孊び、必芁に応じお蚘事を修正しおいきたいず思っおいたす。

いいなず思ったら応揎しよう