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『階級と「私たち」のゆくえ イギリス映画が照らす連帯の物語』(河野真太郎著、フィルムアート社)を読んで

「階級」についてなんて、考えたことがなかった。

『階級と「私たち」のゆくえ』を読んだ。英文学とカルチュラル・スタディーズを専門とする研究者・河野真太郎氏の著作である。イギリスの社会、文化などを、主に階級、メリトクラシーを中心に語っていく。

読み始めたときは「イギリスについて知ることができる」と思っていた。しかし読み終えると、現代の日本社会を見る目が変わっていた。

南ウェールズに滞在経験がある著者は、イギリスの階級が「どこまでも分断化され個人化されてしまった私たち」(249p)に「ヒントを与えてくれるという直感」(同)があった。しかし、「あまりに縁遠く、歴史的な条件があまりにも異なっているので」(同)どうすればそれを「「役立てる」ことができるのか分からない」(同)と思っていたそうだ。ここでの「役立てる」は、かぎかっこつきであり、ただ単に、日本との比較検討の対象として利用するとは違う意味だろう。

著者は、イギリス社会について語りながら、日本社会の問題をイメージさせる。それは、日本社会をそのまま語っていては伝わらない「なにか」を浮かび上がらせるやり方だと思う。また、著者本人の体験、感情を感じさせる文章は、「客観的」に書いたものとは異なり、読者に手触りを与えてもいる。その複層性は、この本のテーマと重なり、「同じ」「違う」を、「言語」「感覚」を、往復する読書体験を促す。

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さて、この本を読む前の私は、階級とは、遠いイギリスという国の内部の話だと思っていた。だから、自分とは「関係ない」と思っていたのである。それは、「階級」を、イギリス「固有」のものであると(歴史的・政治的・経済的な状況などと関係なく、まるで物質であるかのように)なぜか信じていたからだろう。

だが、この本が描くように、階級とは、政治的・経済的・心理的・偶然性などによる産物であり、歴史的なものである。だから、どこかの国に「固有」であったり、そこでしか起こりえないものではない。

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イギリスの話を読んでいたはずが、日本のことを考えていたのは、著者の複層的な語りの作用によるようだ。確かに、イギリスの状況は、日本のそれとは、歴史的条件は「違う」。だが同時に、個人化という「同じ」もある。差異と共通。どちらかだけを選ぶことは、分断や排除を生む原因の一端であったかもしれない。

この本は、私のなかの「階級」を解凍し、日本の現実をみるためのリソースとして開いてくれた。それは、固定観念の眼鏡を外させることであり、新たな世界を見せてくれることだ。そういうことを与えてくれる本は貴重である。

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さて、あとがきにあったように、イギリスの階級の話は、「分断され個人化されてしまった私たち」(29p)になにを与えてくれるだろうか。

個人化は、「日本固有の」「変えることのできない」ものではない。なぜなら、この本が明らかにしたように、歴史性が違うイギリスでも、階級意識が失われ、個人化が進んだのだ。

では、私たちは、この状況を、どのように変えられるだろうか。連帯は可能だろうか。「同じ」だけではなく、差異と共通性の、両方をふまえた連帯のあり方とは?

インターセクショナリティや映画という表象文化を参照しながら、著者は「私たち」というあり方の可能性を示す。「同じ」の罠に陥らず、「違う」と関係性を断つのでもないあり方を。

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私はおそらく、「イギリス」についてだけの本を読んだのではない。「日本」についてのだけの本を読んだのでもない。

差異、共通。その二つを考えながら、私は、「私」が「私たち」になるときの、可能性を、読んだのである。




※ イギリスや映画に関心のある人はもちろん、現代の日本社会について考えたい人、社会がよくなるようにと願う人、自身の生き方を考えたい人など、様々な人に読んでいただきたい、おすすめ本です。

※個人の感想になります。読みの誤り、偏りがあるかと思います。興味を持たれた方は、ぜひ本をお読みください。






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青海エイミー/作家『ジミー』『夜をめくる星』、PURA PURA BOOKS ありがとうございます。