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50歳タイ・バックパッカー⑳旅の終わりが見え始めた港町・ラノーン(2020)

パヤム島を引き上げ、港町ラノーンに戻った。
島というのは不思議なものだ。
船に乗ると、現実世界に引き戻される感覚に陥る。
ラノーンはまだ港町というだけなのだが。

船の中、LINEの通知。
M裏さんより「助けてください」の悲鳴。
どうやら隣のチャン島でコケて、腕を捻挫かなにかしたらしい。
チャン島への行き方を調べているうちに、「助けに来なくて大丈夫」との続報が入った。なんとかなったようだ。彼もラノーンに戻るという。

ラノーンの宿。まず感動したのは、久しぶりのエアコンとホットシャワーだ。清潔。
モスリム系の方が運営しているようで、きちっとしていた。
欠点はベランダがないことかなと思ったら、オタク風のでかい旅行者がドアを占領していただけで、ちゃんとベランダもあった。

宿で飼っている手乗りさん。よく懐いている。

寝た。

連日の英語パーティー疲れが来た。午前中に泳いだのもあるだろう。午前中寝た。
しかし、下のベッドの男性が、朝からずーっとPCを打ち続けている。何者・・・

ここラノーンはミャンマーとの国境の町でもある。小舟に乗り、国境を越えるらしい。
しかし、時間がなくなったので、日帰りミャンマー行きは諦めた。
イミグレーションまではソンテウで10分ほどだが、渡し船の時間が読めない。
あのくらい貧乏な国へ入ると、旅の深みが出るのだが、、、残念。

ここのグリーンカレーはたったの35バーツ(当時のレートで140円)

途中で、M浦さんから連絡が入った。お茶しましょうということになった。
M浦さんは、包帯巻きの痛々しい姿でやってきた。
「結局バンコク病院が一番ですよ」苦労話なのに、もう何年も前の出来事のように笑顔で。
捻挫のようだが、日本に帰らず、旅は続けると包帯を巻いたまま笑っている。
「寒い日本に帰るより、タイにいたほうが治りますよ。」
そう言って笑う。
植木職人という仕事も、旅人という生き方も、案外似ている部分があるのかもしれない。

市場の前で別れたが、彼は片手で器用にバイクタクシーに乗って帰っていった。すげえ。
あれが乗りこなせればタイはもっと楽になりそうだが・・・M裏さん、大丈夫か。

埠頭でミャンマー人の往来を眺める。
彼らは服装でわかる。
街にも出稼ぎのミャンマー人がたくさんいる。
この豊かなタイと貧しいミャンマー。
写真に撮った運河の色は、この旅の中でも、ひときわ深い色合いだった。

ミャンマーへ渡る小舟。
この時点ではノービザで行ける国だったのに・・・
対岸に見えるのはミャンマーのイミグレか?

運河の向こうはミャンマー。
ほんの数百メートル。
それなのに今回は渡れない。
やっぱり向こう側にこそ、私らしい旅があったな。
「次でいいか。」
そう思った旅は、案外そのまま行けなくなるものだ。

下のベッドのドイツ人は一日中パソコンを打っていた。
Web関係の仕事をやっているらしい。
パーイで会ったデジタルノマドのジョーダンは自由そのものだった。
しかし彼は違う。
「締切なんだ。」
そう言って笑った。
自由な働き方にも、ちゃんと締め切りはあるらしい。

パヤム島では、ゆったりした時間が流れていた。
ラノーンでは、それに比べると現実的な時間が流れている。
バスの時間。
船の時間。
LINEの通知。
旅はまだ終わっていない。
でも、少しずつ現実が近づいてきていた。

バイパスの夕日はパヤムと同じ色だった。