No.2 Freudを理解し、Perlsを理解する
写真はラオス🇱🇦Pakseの朝食に食べたライスヌードル(ヴェトナムでいうフォー)です。私のやつは、チキン入りのライスヌードル。ここは、多くの地元の人々が朝から食べていました✨✨そして、必ず写真のような生野菜が一緒に出てきます。
それは、キャベツ、インゲン、タイバジル👍
Perlsの創始したゲシュタルト療法を理解するためには、その原典的著作を読み解くことはもちろん必要であるが、PerlsがFreudから何を学び、何を批判し、精神分析から何をどのようにゲシュタルト療法へと再編成したのかを紐解く必要がある。
なぜなら、Perls自身が長年、精神分析家として学び、実践してきた人物だからである。
ゲシュタルト療法は、精神分析とは無関係なところから突然生まれたものではない。
Freudが発見したものを受け継ぎながら、その一方でFreudの人間理解を批判し、そこにゲシュタルト心理学、Reichなどからの影響を取り込みながら、Perlsは自らの人間理解を作り上げていった。
そして、それが最終的にPerls、Hefferline、Goodmanによる Gestalt Therapy: Excitement and Growth in the Human Personality(1951)、いわゆるPHGへとつながっていく。
これは哲学についても同じことが言える。
例えば、Husserlの現象学を理解するためには、Husserlだけを読んでいても、なぜ現象学という哲学が必要になったのか、その意味を十分に理解することは難しい。
ましてや、エポケーや現象学的還元という概念の意味だけを覚えて、Husserlの現象学を理解したと思ってしまえば、その思想が生まれてきた本当の意味を見失ってしまうだろう。
Freudについても同じである。
Freudが何を問題として、そこから何を発見し、その理論がどのように変化していったのか。
そして、そのFreudをPerlsがどのように受け取り、何を批判したのか。
その生成過程を理解することによって、初めてPerls、そしてゲシュタルト療法が見えてくるのではないかと私は考えている。
【Freudと精神分析の始まり】
Sigmund Freudは1856年、当時のオーストリア帝国に生まれた。
彼はもともと神経学を専門とする医師であった。
19世紀のヨーロッパ医学では、身体に現れる症状について、基本的には身体の器質的な障害が原因だとされていた。
例えば、
手が動かないのであれば、神経に何らかの異常がある。
足が麻痺しているのであれば、脳や神経系に病変がある。
声が出ないのであれば、発声に関係する身体器官に異常がある。
ところが、身体にはそれを説明できるような明確な器質的異常が見つからないにもかかわらず、麻痺や失声などの身体症状を示す人々が存在していた。
しかし、当時の医学では、身体に異常が認められない患者は医学では説明できないとされていた。
Freudに大きな影響を与えた人物の一人が、フランスの神経学者Jean-Martin Charcot(シャルコー)である。
Freudは1885年、パリに留学し、Charcotのもとでヒステリーと催眠について学んだ。
Charcotは、身体に明確な器質的病変が認められない麻痺などの症状が、催眠によって生じたり変化したりすることを示していた。
これはFreudにとって衝撃的な体験であった。
身体に現れている症状であっても、その原因は身体の器質的異常だけでは説明することのできない心理的な過程が関係しているのではないか。
Freudは次第に、人間の意識には現れていない心の働きへと関心を向けていくことになる。
もう一人重要な人物が、オーストリアの医師Josef Breuer(ブロイアー)である。
Breuerはヒステリーについて研究しており、その治療例として知られるのが「Anna O.」である。
彼は1880-1882年頃、Anna.O.の治療を行った。
Anna O.は、症状に関連する出来事や感情について語ることで、特定の身体症状が一時的に軽減したり消失したりすることがあった。
後に「talking cure」として知られるようになるこの治療経験は、BreuerとFreudによる1895年の『ヒステリー研究』へとつながっていく。
ここからFreudは、現在現れている症状には、本人が意識していない心理的過程が関係していると考えるようになっていった。
つまり、「本人が知らない心の働きが、現在の症状を作っている。」
無意識(Unconscious)という領域が、次第にFreudの理論の中心となっていく。
そして1900年、Freudは『夢判断』を出版する。
夢は無意味なものではなく、そこには意識から抑圧された欲望や葛藤が形を変えて現れているとFreudは考えた。
『夢判断』は、Freudが無意識についての体系的な理論を提示した、精神分析の成立を考えるうえで極めて重要な著作となった。
【抑圧とLibido】
Freudが初期の精神分析において重要視した概念の一つが、抑圧(repression)である。
人間にはさまざまな欲望や衝動がある。
しかし、そのすべてを意識し、そのまま表現できるわけではない。
社会的、道徳的に受け入れ難い欲望や、本人にとって受け入れることが困難な欲望は意識から排除され、無意識へと抑圧される。
しかし、抑圧されたものは消えてしまうわけではない。
それは無意識に存在し続け、夢や失錯行為、あるいは神経症的症状など、別の形をとって現れてくる。
Freudは特に、性的欲動に関係するエネルギーをLibidoと呼び、その働きを人間の発達や神経症の形成を理解するうえで重視した。
ここからFreudは、現在の症状を理解するために、その人の過去、とりわけ幼児期の発達へと遡っていく。
【五つの心理性的発達段階】
Freudは、人間の性的発達を成人期になって突然始まるものとは考えなかった。
幼児期からすでに欲動的な活動があり、その満足を得る身体部位やあり方が発達とともに変化すると考えた。
一般にFreudの心理性的発達は、次の五段階として整理される。
口唇期 → 肛門期 → 男根期 → 潜伏期 → 性器期
口唇期では口を中心とした活動、肛門期では排泄をめぐる活動、男根期では性器への関心が重要になり、その後の潜伏期を経て、思春期以降の性器期へと向かう。
そして、ある発達段階における葛藤が十分に処理されない場合、その段階への固着(fixation)が生じ、その後の人格形成や神経症的なあり方にも影響するとFreudは考えた。
ここで重要なのは、Freudが「現在の人間のあり方には、その人の過去の発達史が関係している」と考えたことである。
現在起きていることを理解するために、過去へ遡る。
この方向性は、精神分析的人間理解の大きな特徴の一つとなっていく。
【Freud理論の変化】
しかし、Freudの理論は一つの完成した形のまま変わらなかったわけではない。
彼自身が、自らの理論を何度も修正している。
1920年の『快楽原則の彼岸』では、それまでの快楽原則やLibidoだけでは十分に説明できない人間の反復的な行動などを検討し、死の欲動という考えを導入していく。
後のFreudの理論では、生命を結びつけ、より大きな統一へ向かわせようとする生の欲動、Erosと、それに対置される死の欲動、Thanatos(タナトス)という二つの方向性から人間を捉えるようになる。
【Id・Ego・Superego】
さらに1923年、『自我とエス』において、Freudは心的装置について新たな構造モデルを提示する。
それが、
Id(Es)•Ego•Superegoである。
Idは欲動の源泉であり、快楽原則に従って満足を求める。
Egoは外界の現実を考慮しながら、Idから生じる要求やSuperegoの要求などを調整する。
Superegoは、親や社会の禁止、道徳、規範、理想などが内在化されることによって形成される。
例えば、上司から、
「こんな仕事もできないのか」と強い口調で叱責されたとしよう。
「言い返したい」
「殴りたい」という攻撃的な衝動が生じる。これがIdである。
しかし、「上司を殴るわけにはいかない」とEgoは現実を考える。
さらに、「上司には逆らってはいけない」というSuperegoの禁止が働くかもしれない。
Freudは、このような心的装置内部の力動的な葛藤から、人間の行動や症状を理解しようとしたのである。
【Perlsの登場】
この精神分析の世界で学び、精神分析家として活動した人物の一人がFritz Perlsである。
ここは非常に重要である。
PerlsはFreudを単純に否定して、まったく別の心理療法を作ったわけではない。むしろFreudから多くのものを受け継いでいる。
それが、無意識•抑圧•葛藤•抵抗である。
人間の行動には本人が意識していない過程が関与しているという理解。
そして、表面的に語られている内容だけではなく、その背後で何が起きているのかを見る姿勢。
こうしたFreudの発見がなければ、Perlsのゲシュタルト療法もまた生まれなかったのではないだろうか。
しかし、Perlsは次第にFreudの理論に疑問をもつようになる。その大きな一つが、人間を心的装置の内部で起きている欲動や葛藤を中心として理解することであった。
そして、現在現れているものの意味を理解するために、その原因を過去へ遡っていくという精神分析の方向性にも、Perlsは異なる視点を提示していく。
ここに、精神分析からゲシュタルト療法へ向かう重要な転換が始まる。
【FreudのIdから、PHGのIdへ】
この違いは、FreudとPHGにおける「Id」を比較すると非常に分かりやすい。
例えば、先ほどと同じように、上司から、
「こんな仕事もできないのか」と言われたとしよう。
FreudのIdから考えるなら、そこでは攻撃的な欲動や衝動が動き出す。
「言い返したい。」「殴りたい。」
しかし現実には上司である。そこでEgoが現実との調整を行い、Superegoによる禁止なども関係しながら、実際の行動が決まっていく。
ところがPHGでは、Idという言葉そのものの意味が大きく変わっている。
上司からその言葉を投げかけられた、その瞬間、
「胸がざわつく」「顔が熱くなる」「肩に力が入る」
「身体が少し前へ出ようとする」「何か言葉にならないものが込み上げてくる」などが立ち現れる。
この段階では、それが「怒り」なのか、「悲しみ」なのか、「怖さ」なのか、まだ明確ではない。
しかし、何かが生まれつつある。
PHGのId機能とは、このような現在の有機体/環境フィールドにおける接触から立ち上がりつつある、まだ十分に分化されていない可能性として理解することができる。
そして接触が進むにつれて、「何か言いたい。」「ああ、私は怒っているんだ。」
さらに、「いや、ただ怒っているだけではない。そんなふうに馬鹿にされたくないんだ。」
そして、「私は、自分の考えをきちんと伝えたい。」
という新たな体験へと分化し、組織化されていくこともある。
ここで重要なのは、「自分の考えをきちんと伝えたい」という答えが、最初からその人の内部に完成した形で存在していたのではないことである。
それは、今、この人と環境との接触において生成された新たな体験である。
非常に単純化して言えば、
FreudのIdは、「私の内部にある欲動は何を求めているのか」というところから考える。
PHGのIdは、「今、ここでの有機体/環境フィールドにおける接触から、何が生起しつつあるのか」というところから考える。
同じ「Id」という言葉を使っていても、その背景にある人間理解は大きく異なっているのである。
【PerlsはFreudを「捨てた」のではない】
故に私は、FreudとPerlsを、Freudは間違っていて、Perlsが正しかったという関係として理解することには意味がないと思っている。
むしろ重要なのは、理論がどのように生成し、変容していったのかを見ることである。
Freudは、本人が意識していることだけでは人間を理解できないことを示した。そして、症状には意味があり、その背後には本人自身にも知られていない心理的過程が存在することを明らかにしようとした。
Perlsは、そのFreudの発見を土台の一つとしながら、人間を過去の欲動や心的装置の内部だけから理解するのではなく、今ここで実際に起きている接触を通した体験へと重心を移していった。
さらに、Wilhelm Reichから受けた身体や性格への視点、ゲシュタルト心理学、Kurt Goldsteinの有機体論などが加わっていく。
そしてPerls自身の1942年の Ego, Hunger and Aggression では、Freudの性的欲動を中心とする理解に対して、食物を噛み砕き、破壊し、咀嚼することを通して、自分のものとして同化するという「食欲」のモデルが重要な意味をもつようになる。
これは、後のゲシュタルト療法を理解するうえで極めて重要である。外から与えられたものを、そのまま丸呑みするのではない。
噛み砕く。
破壊する。
自分に必要なものと必要でないものを分化する。
必要なものを同化し、自分自身の成長へと利用する。
この考え方は、1951年のPHGにおける接触、新奇性、破壊、同化、創造的調整、成長という理論へとつながっていく。
【FreudからPHGへ】
こうして見てみると、FreudからPerls、そしてPHG理論への変化は、単なる心理療法の技法の変化ではないことがうかがえる。
「人間そのものを、どのように理解するのか」
その前提が変化しているのである。
Freudでは、現在の症状の背後にある無意識的な欲動や葛藤を理解し、その成立を過去の発達史へと遡っていく方向性が重要であった。
PHGでは、人間を環境から切り離された心的装置としてではなく、有機体/環境フィールドにおいて絶えず接触しながら生きている存在として捉える。
そこで重要になるのは、
「この人の内部には何があるのか」だけではない。
「今、この有機体と環境との接触において、何が生まれつつあるのか。」という問いである。
接触において、それまでにはなかった体験が立ち上がる。それが分化し、図として組織化される。
新奇性が取り入れられ、それまでの既知の体験との関係が変化する。
そして、その新奇性が同化されることによって、有機体と環境との関係そのものが新たに組織化され、次の接触へと推進していく。
この生成的生命過程を、PHGは創造的調整(creative adjustment)として捉えたのである。
だからこそ、私はゲシュタルト療法を理解するためには、PHGだけを読むのではなく、Freudを理解することも必要だと思っている。
Freudが何を発見したのか。
Perlsはそこから何を受け継いだのか。
そして、何に疑問をもち、何を変えたのか。
その変遷を辿って初めて、なぜPHGが接触、体験、図地形成、新奇性、同化、Self、創造的調整、成長という人間理解へと向かったのかが見えてくる。
Freudを理解することは、Freudに戻ることではない。Perlsがどこから出発し、どこへ向かおうとしたのかを理解することである。
そして、その過程を理解することによって、私たちはゲシュタルト療法が本来何を目指していたのかを、より深く理解することができるのではないだろうか。
