世界史の飾り窓119太陽王ルイ14世
ルイ14世は絶対主義の典型といえる人物で、「朕は国家なり」の言葉や「太陽王」の称号でも有名である。1643年に5才で即位してから1715年に死去するまで、72年間フランスに君臨した。22才までは宰相マザランの補佐を受けたが、1661年にマザランが死ぬと満を持して親政を開始した。
フランス絶対王政の転機は2度あった。一つはルイ13世の宰相リシュリューが1614年を最後に身分制議会=三部会招集を停止したことである。ブルボン朝王権側からの新しい負担=新課税や勅令を強制できる国王官僚制がほぼ整ったということである。国王官僚(Intendants)は「王の意図を実行する者」を意味する。ただ、各種の地域的・身分的特権を廃止することはできなかった。
第2の転機が1648~53年の高等法院を拠点とする法服貴族の反乱=フロンドの乱である。中世以来の高等法院(parlement)を頂点とする法服貴族は、国王が直々に行う宮廷裁判所(court)に押されていた。何しろ判決の強制力が違い過ぎたので。当時の裁判官(法服貴族)は給与は支払われなく、判決を出す度に手にする手数料に頼っていた。高等法院からすれば、ルイ14世の宮廷裁判は「縄張り荒らし」だった。だが、これをマザランが鎮圧したことで法服貴族は完全にフランス王権に屈服した。中世以来の帯剣貴族はとっくの昔にブルボン朝に屈服していた。かくしてルイ14世治世は絶対王政の黄金時代を迎えた。

コルベールを登用して重商主義政策を実行、その富を使ってルーヴォワにヨーロッパ最強の陸軍を作らせた。当時のフランスは北米ではカナダ、ルイジアナ(ミシシッピ川流域全部)を、西インド諸島ではサン=ドマングを保有するイギリスと並ぶ植民地大国だった。だがルイ14世の目はヨーロッパ、とりわけスペインとその海外植民地を見ており、フランス海軍は増強しなかった。というのも、トラファルガー海戦のナポレオンにように、スペイン海軍が自分のものになるならば、海軍増強は無駄遣いに思えたのだろう。
結果、オランダとの同君連合というか連合王国を形成していたイギリスに植民地戦争ではことごとく後塵を拝し、海外の領土をほとんど喪失した。スペイン継承戦争で、念願の通り孫のフィリップをスペイン王にした(=バルボン朝スペイン)。ただし、フランスとスペインが合併しないことが条件だった。
ブルボン朝の王様たち
アンリ4世:生涯、下半身を覆うものを身につけなかった。おもらしがひどいので。
ルイ13世:彼のハゲ隠しのカツラを周囲が気にして、宮廷関係者全員がカツラをかぶるようになった。
ルイ14世:死んだのち、遺体のお腹の中から巨大なサナダムシが這い出てきた。
ルイ15世:美少女を集めたロリコン天国「鹿の園」でくつろぐことが生き甲斐だった。
ルイ16世:マリ=アントワネットとの婚儀のあとの儀式(西欧王族の慣例で、貴族たちの前での初夜の営みをする)を、身体的理由でできなかった(詳しくは個人的に話します)。
