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見えない透明な「檻」と、スマホの灯り。

その檻(おり)は、ある朝突然、私の部屋に現れた。

鉄格子が見えるわけではない。鍵がかかっているわけでもない。

けれど私は、布団から一歩も出られなくなっていた。

「あぁ、また朝が来てしまった」

まぶたの裏に差し込む光を感じながら、私は深く絶望する。

息を潜め、身体の感覚を静かにスキャンする。首の後ろの重さ、頭の中でゆらゆらと揺れる小さな目眩(めまい)、足先に力が入らない感覚。

「まだ、そこにいる」

目に見えない「ナニカ」が、私の首元にずっしりと乗っかっている。

体を起こせば、それが牙を剥いて襲いかかってくる。倒れて、意識が遠のいて、そのまま消えてしまうかもしれない。そんな確信めいた恐怖が、私をベッドに縫い付けた。

逃げ道は、手のひらの中にある小さなガラス板――スマートフォンの画面だけだった。

『めまい 異常なし 倒れる』

『首こり 不安 治らない』

青白い光を浴びながら、検索欄に呪文のような言葉を打ち込み続ける。自分と同じ呪いに苦しむ誰かの言葉を見つけては「私だけじゃない」と一瞬だけ呼吸を取り戻し、画面を閉じればまた深い海へと沈んでいく。

時計の針は、すでに正午を回っていた。

「異常なし」という名の怪異

すべての始まりは、どこにでもある日常の影に潜んでいた。

50代を過ぎ、新しい挑戦を始めたばかりの頃だ。世の中が「外出禁止」の静寂に包まれる中、私は家の中でがむしゃらに働いていた。

最初は、ただの頑固な肩こりだと思っていたのだ。

けれど、違った。

ある日を境に、世界がゆるやかに傾き始めた。

外に出ようとドアノブに手をかけると、頭の中が真っ白になる。足の骨が急にスポンジに変わってしまったかのように、地面を踏みしめる感覚が消える。壁を伝わらなければ、立っていられない。

「私の身体に、何が起きているの?」

恐怖に駆られ、いくつもの白い巨塔を訪ね歩いた。

頭を切り刻むような精密検査も、心臓の鼓動を追うモニターも、私の身体の異変を何ひとつ捉えなかった。

白衣の男たちはみな、首をかしげて同じ言葉を繰り返す。

「どこも異常はありませんよ。綺麗なものです」

それが何より恐ろしかった。

病名という「名札」さえついていれば、戦いようもある。けれど、私を苦しめているのは、名前のない透明な怪物だったのだ。

理由のわからない恐怖から逃れるため、私は針を打ち、骨を鳴らし、無数の治療院を巡る漂流者となった。

皮肉なことに、世界を覆っていた「ステイホーム」という免罪符だけが、外に出られない私を匿(かく)まってくれる唯一の盾だった。

暗闇のレッスン

怪物は、私の生活をひとつずつ喰み(はみ)崩していった。

友人からの連絡を断ち、誘いの声を無視した。説明できない恐怖を説明するのが面倒だったし、何より怖かったからだ。

部屋の外からは、成長した子どもたちの足音が聞こえる。

「お母さん、買い物いこうか?」

戸越しにかかる優しい声が、どんな刃物よりも鋭く胸に刺さった。

幼い子なら「ママ頑張るね」と言えたかもしれない。けれど、もう大人になった彼らに気を遣わせている自分が情けなくて、惨めで、合わせる顔がなかった。

昼間は、生きている心地がしない。

だから私は、現実から逃避するように意識を断ち切る「昼寝」に逃げ込んだ。夢の中にいる間だけは、透明な怪物も追ってこないからだ。

だが、夜が来るとその逃げ道すら塞がれた。

暗闇の中で横になると、昼間の「揺れ」が蘇る。まどろみから深い眠りへと落ちるギリギリの瞬間、背筋を氷の指でなぞられたような、狂おしい恐怖が襲いかかるのだ。

「眠ったら、二度と戻ってこれないかもしれない」

朝が来るのが怖い。

昼をやり過ごすのが辛い。

夜、眠るのが怖い。

発作という嵐が去った後、何もない静寂の中で怯え続ける「24時間のカウントダウン」。それこそが、私の日常を支配する一番恐ろしいゲームだった。

檻の鍵は、どこにあったのか

出口のない迷宮をさまよい続けて、4年。

あんなに頑丈に見えた「透明な檻」から、私は今、こうして外に出て光を浴びている。

あの狂気のような検索行動は、一体何だったのか。

なぜ、何ともない時間こそが、あんなにも恐ろしかったのか。

実は、私を閉じ込めていたあの怪物には、明確な「仕組み」が存在していたのだ。敵の姿(構造)を知ったとき、檻の鍵は思いのほかあっけなく外れた。

あとがき

今回、私と同じように「予期不安」や「何もない時間の苦しさ」という見えない敵と戦ってきた卒業生をお迎えし、その体験を一つの対談動画にまとめました。

物語のようでありながら、これは誰かにとっての「いま」の記録です。

暗闇の中で一人、スマホの光を眺めているあなたへ。檻の鍵を開けるヒントを、ここにおいておきます。

👉 【パニック卒業生対談①】発作がない時間が、一番つらかった。(YouTubeで見る)

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