和室はなぜ引き戸なの?
畳んでしまう文化、変えられない社会
日本の伝統的な家屋は引き戸でした。
欧米の古い住宅を見ると重厚な開き戸が並んでいますが、日本では障子や襖が当たり前でした。部屋の中には椅子や、テーブルや、ベッドのような据え付け家具もほとんどありませんでした。食事の膳は使う時だけ出し、布団は朝になれば畳み、屏風や座布団も必要に応じて置かれ、用が済めば片付けられます。
日本人はなぜこんな暮らし方をしていたのでしょうか。
理由の一つとしてよく挙げられるのは、高温多湿な気候です。家全体に風を通すためには、壁ごと開放できる引き戸が都合が良かった、という訳です。また木造建築は、壁そのものが建物を支えるレンガ造りや石作りの家屋と異なり、梁や柱で建物を支える構造のため、壁をぶち抜いて大きな開口部を作ることができたのだと言います。
しかし、もっと面白いのは、その発想が家具や部屋の使い方にまで貫かれていることです。
日本の畳の部屋は、寝室にもなるし、居間にもなるし、客間にもなります。用途ごとに部屋を固定するのではなく、家具を出したり引っ込めたりすることで、一つの空間の役割を変えていたのです。
言い換えれば、日本人は昔から「固定する」よりも「可変にする」ことを好んでいたと言えます。
日本文化の主役は「余白」だった
この発想を支えていたのは、収納の文化でした。
押入れや納戸や天袋は単なる物置ではありません。使わないものを隠し、空間を空に戻すための装置です。
欧米の家ではベッドや食卓が常にそこにあります。一方、日本では「何もない状態」が基本形でした。必要になれば物が現れ、役目を終えればまた消える。
それは単なる省スペースの工夫ではありません。
茶室や庭園にも通じる、日本独特の「間」の感覚です。空間は何かで埋めるためではなく、変化の可能性を残しておくためにある。
だから日本文化の本質は、実は柔軟性や可変性の側にあったようにも見えます。
実際、日本でも気密性や防御性が求められる場所では開き戸が使われていました。蔵や城門です。
つまり日本人は妄信的に引き戸を選んだのではなく、その場その場で何を優先するかを選んでいたのです。暮らしには柔軟性を、防御には堅牢性を求めていたのです。
問題は文化ではなく制度かもしれない
ところが現代の日本を眺めてみると、その情景は少し違って見えます。
日本は変化に弱い。
前例を重視する。
新しい挑戦が生まれにくい。
そんな指摘を耳にすることは少なくありません。
もしそうだとすると、引き戸や襖に象徴される「可変性の文化」とは真逆に見えます。
しかし、これは同じ柔軟性を語っているようで、実は別次元の話なのかもしれません。
引き戸や膳が実現していたのは、生活の柔軟性です。
一方でイノベーションに必要なのは、制度の柔軟性です。企業の意思決定、教育のあり方、人材の流動性、資本市場の仕組みといった社会システムの話です。
日本人が本来変化を嫌う民族だったとは言い切れません。江戸時代には独自の技術革新があり、明治維新では驚異的なスピードで西洋技術を吸収しました。明治維新(1868年)から、日露戦争(1904年)まではわずか36年しか経っていないのです。
現代の停滞感や閉塞感は、文化や精神性の問題というより、戦後に作り上げられた制度の問題として考えた方がいいのかもしれません。
製造現場のカイゼン、物流システムの最適化、限られた空間を活かす商品設計など、日本はいまでも「既存の枠組みの中で工夫する」ことには長けています。
ただ「枠組みそのものを作り替える」ことに、果敢にチャレンジする精神が育つ環境は、わずかながら存在はしていますが、稀有な存在になってしまっています。
しかし「引き戸の文化」を大事にしてきた日本人なら、その素養は間違いなく持っているはずなのです。
かつて日本人は、襖や障子を開け閉めしながら、季節や天候に合わせて家の中に風を通していました。
それは単なる換気の工夫ではありません。環境の変化を受け入れながら、その都度、暮らしを調整していく知恵でもありました。
だとしたら今の日本に必要なのも、まったく新しい能力ではないのかもしれません。
私たちが今、失いかけているのは変化する力ではなく、襖や障子を開けて新しい風を招き入れるような柔軟さなのではないでしょうか。
