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『孤独に生きよ 逃げるが勝ちの思考 増補改訂版・孤独論』田中慎弥(著)の書評・レビュー

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芥川賞作家による孤独論、である。

本文にも書かれているとおり、主な考えは次の内容であるようだ。

奴隷になるな、孤独から活路を見出せ、生き抜くための武器は言葉である。

本文より引用

もう少し詳しく論点を見てみると、以下のようになるだろうか。

  • 多くの人が、外圧によって思考停止になるという「奴隷状態」に陥っている。

  • 奴隷になると、人生が自分のものではなくなる。

  • 奴隷状態から逃れるのには、いまいる場所から逃げること、孤独になること。

  • 孤独は不可避であり、それを拒んでなしうることは何一つない。

  • 孤独の中で得た思考が、可能性を広げる。

  • 孤独に耐えるためには、本を読み続けなければならない。

  • 書物に触れること抜きに、生きる手ごたえはつかめない。

  • 読書は様々な人生を体験できるものであり、それは自らの価値観を揺さぶり、先を切り拓くための手がかりとなる。

  • 積極的に得なければ言葉は枯渇していき、思考や行動の素である言葉を失えば、望まない環境にも抗うことのできない奴隷となる。

如何だろうか。

個人的には、かなり偏っているとの印象がある。

特に、孤独なしにはなしうることもなし、書物なしには人生の手ごたえなしといった主張は、さすがに極端と言わざるをえない。

ただ、個人的な偏見かもしれないが、偏りがなければ純文学なぞ書けなかろうという気もするので、そういう部分もあるのかもしれない。

他の個人的な感触としては、著者がお勧めできない生き方を奴隷だの二流だのと言っているのだが、なぜそうだと言えるのか、そして、その何が問題なのかというのが、まとまった形では出てこないように思われた。

口述筆記なのらしく、その影響もあるとも言えそうだけれども、あまり論理的な話が書かれているという印象ではなかった。

そうは言っても単純な話として、周囲の意向に唯々諾々と従っておれば自分の人生を生きられないし、それを奴隷状態と呼ぶことはおかしくないようにも、いちおうは思う。

著者としては、その突破口としての読書があったという話で、それなしには生きる手ごたえは得られないと断言することなども、言うなれば、自分を救ってくれた物語や言葉というものに対する信仰告白のようなものなのかもしれない。

いずれにせよ、著者の主張で最重要の部分はと言えばおそらく、「言葉というものが我々の思考や行動を規定しているので、本来の自分を保つためには疎かにしてはいけない」ということであるようだ。

実際、不自由さの感覚、つまり自らの生が抑圧されている思いというのは、まずは無意識的に感じられるようなものであることだろう。

そうして、それが言語化され意識化されるまでの間というのは、如何に対処すればよいのかが分からないということになりがちだ。

一方で、その類いの無意識的な葛藤のようなものが意識化されれば、自然と解決に向かったり、あるいはそのこと自体が解決となったりというのは、かのジークムント・フロイトが発見したとおりである。

喩えてみるならば、どこにいてどちらに向かえばよいか分からずに森の中を彷徨っている状態と、必ずしも完全な答えではなくともそれらが分かっている状態との違いのような話だとも言えよう。

現状が含みこんだ問題についてのいちおうの意識化と、それに対する態度決定がなされれば我々は、その点を足場にして自らの生活を組み立てることができる。

仮に問題が解決せずとも、それと対峙できている自己像を頼みとすることができるようなところがあるわけだ。

ただ、問題が解決したにせよ、そこに至った自分は世界についての別の見方を得ているはずのもので、そこでまた新たな問題に直面するのがおおよそである、というカラクリがあるようにも思う。

その意味ではいつでも、新たな問題を言い当てるための新たな言葉が必要とされるのだとも言えよう。

著者の言う「言葉の枯渇」というのは、そんな風に捉えられるかもしれない。

より厳密に表現した気で書くとすれば、「言葉が枯渇」するのではなく、「過去の問題に係る言葉については、新しい局面においては用をなさなくなる」という具合になりそうだ。

むろん、そういうものを文学的に表現したのが「言葉の枯渇」ということなのかもしれないが。

といった具合なのだが、残念ながら孤独というテーマ自体については、そもそも何をもって孤独としているのかが曖昧なところがあり、どうにも消化不良な感じがあった。

そのためここからは、もっと深堀りをしたつもりでの、個人的な考えを書き連ねていきたいと思う。

おそらく孤独と呼ばれるものには、以下のとおり、少なくとも3つのフェーズがあることだろう。

① 単純に他人との関わりが希薄というもの

孤立とも呼ぶべきもので、今風な俗な言葉で言うなら、「ぼっち」というやつだ。

② 自分が他者から理解されていないという感覚によるもの

「群衆の中の孤独」などという言葉もあったが、その類いの原因は大概が、ここにあるものと思う。

③ 自らとの和解が得られていないことによるもの

いわゆる自己疎外と呼ばれるものであり、平たく言えば、自分が自分を軽視している状態が生み出す寄る辺のなさといったようなものである。

要するに、他者との関わりによってでは解消されない、自らが自らにとって他人であるかのように感じられる類いの孤独感というのがあるだろうという、そういう話だ。

著者においては、高校卒業後は十年以上もほぼ引きこもりのような生活をしていたようで、だから孤独①を抱えていたのらしい。

また小説家として身を立てた後も、母親には認められることがなかったとのっことで、孤独②という問題もあったようだ。

それらを、文章を読み、文章を書くという行為を通して、自らとのいくらかの和解を獲得し、孤独③の解消をもって、それなりの解決を見たという具合に捉えることができる。

一般的にはおそらく多くの人が、孤独①を解決しようと他人と関わるのだが、孤独②に気づくという具合ではなかろうか。

しかし根本的な解決を望むのであれば、孤独③という問題に取り掛かる必要がきっとあるのだ。

とどのつまり孤独という問題の解決は、自らが自らをどう扱っているかと、それをどう正すかに掛かっているのだと言える。

そうして孤独③の解決の過程は、孤独①そのものであり、また自らにさえ理解されていない自らを見出すということであるのだから、自ずと孤独②の中での営みということになる。

以上のような格闘について一人の小説家が語ったのが本書であるという、そんな具合になるだろうか。

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