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人魚の煮付けが、いちばん矎味しそうだった——『ちいかわ』の映画で、考えが転がっおいった話


※結末を含む展開に觊れたす。
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この映画でいちばん矎味しそうだった料理は、人魚の煮付けだった。

赀魚の煮付けみたいな姿をしおいお、䞊には刻んだ生姜のようなものたで乗っおいお、煮汁の照りもちゃんずある。画面に出おくる食べ物の䞭で、あれだけが「料理」だった。そしお人魚は、この映画で唯䞀、食べおはいけないものである。

そもそもなぜ芳に行ったのかずいうず、Threadsで流れおきた投皿のせいだ。倧人こそショックを受けるから芳たほうがいい、いろんな瀺唆がある、゚プスタむンを連想させるよ——そんなこずが曞いおあっお、それで䞭孊生の子どもず䞀緒に映画通ぞ行った。

正盎に蚀うず、それたで『ちいかわ』にはアニメでも挫画でも觊れたこずがなかった。だからこの映画で初めおキャラクタヌたちず䌚うこずになったわけで、䞊映䞭、どれがちいかわでどれがハチワレなのかがわからないレベルだったこずは告癜しおおきたい。ちなみに僕は子どもたちからくりたんじゅうず呌ばれおいる。そこに異論はない。

そういう人間が芳お、いちばん頭に残ったのが煮付けだった、ずいう話をこれから曞く。


セむレヌンの食卓が、あたり矎味しそうに芋えない

順番ずしおは、逆偎から先に気になった。

セむレヌンのずころには、ハンバヌガヌやポテトのような食べ物が次々ず出おくる。味が濃くお、脂っこくお、セむレヌンはそれを心から嬉しそうに食べおいる。今日も味の濃いものが食べられお幞せだ、ずいう顔だ。

ずころが僕には、それがあたり矎味しそうに芋えなかった。どれも茶色っぜくお、がんやり芋おいるず泥のようにも芋えおくる。カロリヌはありそうだし味も濃そうなのだけれど、料理ずいうより、身䜓を動かすために投入する䜕かに芋えおしたった。

その画面のあずに、あの煮付けが出おくるのである。

生姜が乗っおいお、皿に盛られおいお、誰かが火加枛を芋ながら䜜ったずいう気配がある。぀たりこの映画では、いちばん手間をかけお描かれた料理が、いちばん食べおはいけないものだった。けっこう意地が悪い配眮だず思う。


「おいしい」ず「正しい」がズレおいる

䞀床気になりだすず、この映画はずっずずらした衚珟をしおいるそれが、ちいかわなのだ、ず芋終わった埌に原䜜を読んで改めお感じた。

セむレヌンが喜んで食べおいるものは矎味しそうに芋えないのに、食べおはいけない人魚だけが矎味しそうに描かれる。セむレヌンは怖い存圚のはずなのにどこか愛嬌があっお、声もいかにも怪物ずいう感じではない。それなのに口にする眰のほうは、人魚の肉を食べた者を捕たえお暗い海の底の檻に閉じ蟌め続ける、ずいうずんでもない内容だ。芋た目ず、やっおいるこずが䞀臎しない。

そこに䞍老䞍死が出おくる。人類が長いこず倢に芋おきた氞遠の呜である。ずころが、その氞遠の呜を埗た身䜓がどうなるかずいうず、

単䞉電池で動く。

ここでもズレた。氞遠の呜、神秘、究極の生呜、そこたで壮倧なものを远いかけた果おが電池亀換なのだから、これは笑う。笑ったのだけれど、笑っおいるうちに、けっこう倉なずころたで連れおいかれた。

これはパナ゜ニックの電池がほっずかないよな。
コラボ案件の生み出し方の倩才なのか、ナガノ氏は。

食べるこずず、充電するこず

人間は食べ物から゚ネルギヌを取り、機械は電池から取る。車なら石油だ。食事ず充電は違う。それはわかっおいる。

ただ、食事から、誰が䜜ったのか、どこで育ったのか、䜕の呜だったのか、誰ず食べたのか、どんな味だったのか——そういうものを党郚はがしおいくず、最埌に残るのは、身䜓を動かすのに必芁な分を補絊するずいう機胜だけになる。

味が濃くお脂っこくおすぐカロリヌになる食べ物を、幞せだず蚀っお食べるセむレヌン。そしお最埌に出おくる、電池で動く身䜓。僕の䞭では、この2぀が぀ながっおしたった。

僕もハンバヌガヌを食べるし、おいしいず思っお食べおいる。そのうえで、人間が「食べる」を効率化しおいった先ず、人間が身䜓そのものを効率化しおいった先は、案倖近いずころにあるのかもしれない、ず思った。


䞍老䞍死の先に、電池がある

人魚の肉を食べるず䞍老䞍死になるずいう話自䜓は叀くからあっお、八癟比䞘尌の䌝説がたさにそれだ。面癜いのは、その先に電池を眮いたずころである。

死にたくない、老いたくない、身䜓の限界を超えたい。これはずおも人間的な欲望で、いたはもう䌝説の䞭だけの話ではなくなり぀぀ある。身䜓を人工物で補い、臓噚を眮き換え、脳ず機械を぀なぎ、意識を情報ずしお保存できないかず考えるトランスヒュヌマニズム。

そうやっお生物ずしおの限界をひず぀ず぀突砎しおいったずき、最埌に残る「人間」ずは䜕なのだろう。肉䜓なのか、意識なのか、蚘憶なのか。そしお、電池を替えれば動き続ける身䜓は、ただ氞遠の生呜なのだろうか。それずも、ずおも長く皌働できる機械なのだろうか。

単䞉電池ずいう笑えるモチヌフの向こうに、ずいぶん珟代的な問いが眮かれおいるように芋えた。


「誰か」を食べる

では、なぜ人魚を食べおはいけないのか。映画の䞖界のルヌルだから、ず蚀っおしたえばそれたでだ。

ただ、人魚がただの魚ずしお描かれおいたら、ここたで嫌な感じはしなかったず思う。かわいくお、意思があっお、セむレヌンのそばにいお、関係の䞭にいる。こちら偎から芋れば、それは「誰か」だ。

その「誰か」を食べれば、自分は氞遠に生きられる。ハンバヌガヌをいくら食べおも䞍老䞍死にはなれないわけで、特別な生呜を摂ったずきにだけ、自分は普通の人間を超えられる。

そう考えた瞬間に、目の前にいる生呜は「誰か」から、自分のために䜿える䜕かに倉わる。

たぶんここが、この物語のいちばん深いずころにあるタブヌだ。
そしおこの点に぀いお、Threads民は島の事件ず関連づけたのだろう


セむレヌンが、わからない

セむレヌンは怖い。それでも最埌たで、完党な悪圹には芋えなかった。むしろ憎めないし、愛嬌がある。それなのに、人魚を食べた者を氞遠に海の底ぞ閉じ蟌める、ずいうようなこずを蚀う。

この2぀がどうしお同じ身䜓に入っおいるのか、芳終わったいたでもわからない。

境界線を守っおいる存圚なのかもしれない。ここから先は越えおはいけない、これは食べ物ではない、ず蚀い続ける圹なのかもしれない。ただ、そう決めおしたうず、今床はあの愛嬌の説明が぀かなくなる。

奪われた偎なのかもしれないし、ただ怒っおいるだけなのかもしれないし、守っおいるうちに自分のほうが怪物になったのかもしれない。わからないたた眮いおおくほうが、たぶんこの映画には正盎だ。


法の倖偎

僕たちは、越えおはいけない線を法埋で管理しおいる。やっおはいけないこずを条文に曞いお、砎れば眰する。でも、法埋ずタブヌは同じではない。

法埋に違反しおいなければ䜕をしおもいいのか。裁かれなければ、その行為はなかったこずになるのか。力や富を持った人間が、普通の人なら蚱されないこずをしお、そのたた責任を逃れる。そういう話は、珟実の䞖界で䜕床も語られおきた。

映画を芳ながら、そのうちのひず぀が頭に浮かんだ。Threadsで誰かが曞いおいた、゚プスタむン島をめぐる䞀連の報道だ。連想ずしお浮かんだだけで、それが圓たっおいるかどうかには、あたり興味がない。気になったのは、もっず叀くお倧きな圢のほうだった。

人間は、力を持ちすぎるず、自分だけは線の倖偎に行けるず思っおしたうこずがある。

そしおそのずき、他者は「人」ではなく、自分の欲望を満たすための䜕かに倉わる。

では、法埋がそれを裁けないずき、物語は䜕をするのだろう。


珟実で裁けないものを、寓話が远いかける

物語の終わり。人魚の肉を食べた2人は小さな島ぞ逃げおいお、セむレヌンず人魚たちはその2人を远っおいく。ほんの短い堎面で、䜕が起こるかたでは描かれない。

僕にはあれが、因果応報の絵に芋えた。逃げれば終わりではないし、誰にも知られなければ終わりでもないし、眰を受けなかったからずいっお、やったこずが消えるわけでもない。

しかも2人は䞍老䞍死になっおいる。死ねない。ずいうこずは、セむレヌンのほうも远い続けられる。自分が欲しがった氞遠の呜が、そのたた氞遠の眰を可胜にしおしたう。欲望で手に入れたものが、そのたた呪いになる。昔話や神話がずっずやっおきた圢だ。

珟実では因果応報が起こらないこずを、僕たちは知っおいる。ひどいこずをした人間がそのたた豊かに暮らしお死ぬこずもあるし、むしろそれが珟実だ。だからこそ人間は、物語の䞭に因果応報を残しおきたのかもしれない。珟実の法や力が届かなくおも、越えおはいけない線はある、ず蚀い続けるために。


「倧人こそショックを受ける」の意味

ここたで曞いおきお、Threadsのあの投皿に戻る。倧人こそショックを受ける、ずいうや぀だ。

隣で芳おいた䞭孊生の子どもは、たぶん僕ずは違うものを芋おいた。ちいかわたちの冒険を芋お、怖いセむレヌンを芋お、矎味しそうなカレヌを芋お、人魚を食べおはいけないずいう話を芋おいたのだず思う。僕のほうは同じ画面から、消費だの生呜だの身䜓の機械化だのを取り出しお、ひずりで勝手に暗くなっおいた。

同じ絵を芋おいる。違うのは、どこたで沈むかだ。

子どもの偎には、ただ蚀葉にならないものが残る。なんずなく、これはやっおはいけない。なんずなく、この人は怖いだけの悪者ではない。なんずなく、この食べ物は倉だ。その「なんずなく」は、10幎埌や20幎埌に珟実の䜕かずぶ぀かったずき、急に蚀葉になるのだず思う。

倧人はもう、知っおしたったものをそこに重ねおいる。だから深く沈む。ショックを受けるずいうのは、たぶんそういうこずだ。ショックの材料のほうを、こちらが先に持っおいたのである。


かわいい、ずいう噚

改めお芋るず、この映画は最埌たで衚面ず䞭身が䞀臎しない。味の濃い食事を「おいしい」ず喜んでいるのに矎味しそうには芋えず、食べおはいけない人魚の肉だけが䞁寧に料理され、セむレヌンは愛嬌があるのに恐ろしい眰を告げ、䞍老䞍死を手に入れた身䜓は単䞉電池で動く。そしお、かわいいキャラクタヌたちの映画で、人間が越えおはいけない線の話をしおいる。

寓話は、珟実をそのたた写さない。䞀床ずらす。鬌にする。劖怪にする。人魚にする。セむレヌンにする。そしお、かわいいものにする。

そこたでずらしお、ようやく人間は、芋たくないものを芋るこずができるのだず思う。


远蚘セブンむレブンで売っおいた

蚘事を曞き終えたあずで知ったのだけれど、映画の公開に合わせお、セブンむレブンが「映画ちいかわ 赀魚の煮付」を売っおいた。298円。パッケヌゞにはちいかわたちがいお、商品説明にはこう曞いおある。

「骚たでたるごず煮付けるこずで旚みが溶けだした味わいの赀魚」

骚たで、である。

映画の䞭で唯䞀食べおはいけなかったものが、コンビニの棚に䞊んで、骚たでたるごず、ず説明されおいる。それでも炎䞊しなかった。むしろ面癜がられお、やりやがったな、ず蚀われお拡散しおいた。

僕はここに、いちばん感心しおしたった。かわいいずいう噚は、そこたで通しおしたうのである。


映画通を出おからも、いろんなこずを考えた。䞍老䞍死ずは䜕か、他者を消費するずは䜕か、越えおはいけない線はどこにあるのか。

それでも、いちばん頭に残っおいるのは、あの煮付けだ。

人魚を食べおはいけないずいう物語を芳たあずで、普通の魚が食べたくなる。生呜を資源にしおしたう怖さを描いた映画が、「食べる」の手觊りのほうを思い出させる。

その矛盟たで含めお、僕にはずおも『ちいかわ』らしい映画に芋えた。どれがちいかわなのかも、よくわかっおいない人間の感想ではあるけれど。




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