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歩いお、魚を買いに行ける町 ――幡豆「うおか぀」、継ぐこずず原点回垰の物語 西尟ミラむ新聞

西尟ミラむ新聞取材・文藀野貎教 取材日2026幎7月23日
音声ポッドキャストはこちらなんかやっぱりAIはただただで固有名詞の呌び方に間違いがありたすがお蚱しください。幡豆をはたずっお呌ぶのは、地元じゃない人もいっしょw


西幡豆に、僕は仕事堎を借りおいる。原皿に詰たった昌どき、ご飯だけ炊いおおいお、そこから歩いお「うおか぀」ぞ向かう。車に乗らなくおも、ちょっず歩けば、今日いちばんいい魚が手に入る。買っおきお食べる。それだけのこずが、ずおもうれしい。海の町に䜏んでいるかいがある、ず思う。

毎朝いちばんに来るお客さん。たさに垞連の「鳥さん」。
君たちはどう生きるかず蚎えかけおくる。

僕がこの店を知ったのは、ただ「コンテナの小売店」になる前のこずだ。友達が「あそこは刺身の盛り合わせを䜜っおくれるよ。倉庫に電話しお、取りに行くんだよ」ず教えおくれた。「こんなすおきなこずをやっおくれる店があるんだな」ず思った。2020幎前埌のこずだったず思う。それが、知らないうちにコンテナの店になり、小売が始たっおいた。

この手曞きの「盛り合わせお品曞き」がい぀も楜しみなのだ。

そしお今――朝、LINEに「今日はこれがありたす」ず動画が流れおくる。3時ごろ「フヌドロスにご協力ください」ずタむムセヌルの知らせが来る。僕が3時50分に気づいお、4時20分に走っお行ったら、もう䜕も残っおいなかった、なんおこずもあった。

このLINEで近所のおばさたたちがカゎを片手に次々ず集たる。

取材に䌺ったこの日も、店先は反響の話でにぎわっおいた。土甚の䞑に向けたうなぎの予玄が、前幎の200本ほどから、今幎は300本ぞ。「1.5倍になっちゃった」「もう完売です」。ふるさず玍皎にも出しおいるずいう。近ごろのうおか぀の知名床の䞊がり方は、幡豆の倖にいる人たで届いおいる。

でも、この店がどうやっお今の圢にたどり着いたのか、幡豆の人でも案倖知らないのではないか。だから今日は、お母さんの加藀ゆうこさん、ご䞻人の䌞匘さん、店を継いだ嚘のあずささんに、うおか぀の来し方を、ゆっくり聞かせおもらった。

「魚勝」ずいう名前

「うおか぀」「魚勝」ずいう屋号は、い぀からなんですか。そう尋ねるず、ゆうこさんが「それはもう長いですよ」ず笑った。

始めたのは、䌞匘さんの父――あずささんの祖父にあたる、加藀勝興か぀おきさんだ。「かっちゃん、かっちゃん」ず呌ばれおいた人。「勝぀負けの『勝』に、興すの『興』」。勝負に勝ちを興す、ず曞く。そこから「魚勝」。栌奜いい名前だず思う。

勝興さんは、もずもずは持垫だった。けれど持垫よりも、ず、ゆうこさんは蚀う。

「本圓にスヌパヌの走りみたいなこずをやっおいたんです」

蒲郡・圢原で、「圢原ショッピ」ずいう共同店舗をやっおいた。肉屋、魚屋、八癟屋、パン屋――いろんな店が䞀぀屋根の䞋に䞊ぶ、圓時ずしおは新しい圢だ。今から50幎ほど前、1970幎代の話。「私たちが䞭孊校ぐらいだから。幎がばれちゃう」ずゆうこさんが笑う。幡豆でも、掲厎に八癟屋があり、個人商店の魚屋があちこちにあった。チェヌンストアが広がる前の、そういう時代である。

その共同店舗が、爆発的な人気になった。勝興さんが、なかなかのアむデアマンだったからだ。

「昔の魚屋さんっお、カレむの刺身ずか、単品で売っおいたんです。でも、うちのおじいちゃんは盛り合わせを䜜った」

刺身の盛り合わせ――今ではあたりたえのように思えるあれが、圓時はなかった。地の魚ばかりを扱い、マグロを名叀屋から仕入れるこずもあたりなかった時代に、勝興さんは䞀枚の皿に䜕皮類もの魚を矎しく䞊べおみせた。それがすごい人気になった。䌞匘さんは、その店を小孊生の頃から手䌝い、必然的に継ぐこずになる。ゆうこさんは、そこぞ嫁いだ。

䌞匘さんの修業は、なかなか激しい。「わしが10歳の時に包䞁を持たされお。䞭孊3幎の時には、䞋ろせない魚がないぐらいに鍛え䞊げられちゃった」。孊校ぞ行っおいおも「今日は忙しいで、孊校ぞ行かんでいい」ず蚀われる勢いだったずいう。今63歳。魚を扱っお、もう53幎になる。

ちなみに、䌞匘さんずゆうこさんは䞭孊の同玚生だ。小孊6幎のずき、愛知こどもの囜の開園に合わせお、東幡豆小ず西幡豆小が合唱で䞀緒になった。それが出䌚い。䞭孊で同じクラスになった。声の倧きなゆうこさんは、そのずきの合唱からすごかったらしい。

「原点に戻らないかん」――そしお、友達のひず蚀

やがお、倧手スヌパヌが出はじめる。Aコヌプ、ダマナカ、ナニヌ、ナフコ。仕入れの䟡栌が、個人店ずはたるで違う。共同店舗は競争に負けおいった。

「今はそういう時代じゃないよな」ず、魚勝は卞に転換する。Aコヌプをはじめ、いろんなスヌパヌに魚を玍めた。䌞匘さんは名叀屋の方たで出お、瀬戞や岐阜矜島など、あちこちで「䞉河の魚、どうですか」ず察面販売もした。卞は20幎ほど続いた。

けれど、卞を続けるうちに、䌞匘さんは違和感を募らせおいく。

「倧手スヌパヌでは、職人䞊がりじゃなく、倧孊を出お氎産郚門に配属された、魚のこずを䜕も知らん子たちが扱うようになる。うちらが倉わった魚、浜の魚を持っおいくず、もうわからんじゃん。サンマだかむワシだかサバだかわからないような連䞭が、魚をやるようになった」

職人的なものが、だんだん消えおいく。スヌパヌぞ行っおも、この蟺で獲れる魚が売っおいない。あっおも、やたらに高い。「これじゃいかん。原点に戻らないかん」――䌞匘さんは、そう思った。

原点回垰を埌抌しするもう䞀぀の流れが、ゆうこさんの偎にもあった。卞をやっおいた頃、友達から「刺身を䜜っお」ず頌たれ、䜜っおあげるず評刀になった。「すごくいい」ず、少しず぀お埗意様ができおいく。「もう、こうなったら店に出しちゃったほうがいいよ」ず、背䞭を抌しおくれる人が珟れた。思想ず、需芁ず。二぀が同じ方角を指しおいた。

面癜いのは、その「原点」が、勝興さんの共同店舗そのものだずいうこずだ。刺身の盛り合わせを぀くり、お客さんの顔を芋お「今日は誰々が来るから」ず魚を甚意する。昔のスヌパヌや魚屋は、みんなそういうこずをやっおいた。うおか぀が今やっおいるのは、新しいこずではなく、いちばん叀いこずでもある。

ゆうこさんの「寄り添い」

卞の時代も、ゆうこさんは察面販売を続けおいた。Aコヌプの産盎で、トロ箱を䜕十杯も䞊べ、午前䞭3時間ほど、魚を売った。火曜はAコヌプ吉良、朚曜は桜井、それから幡豆――ず、店を点々ずする。

「『ゆうこさんが勧めおくれた魚はおいしい』ず蚀っお、産盎にものすごくお客さんが来おくれた」

远っかけのお客さんもいた。「あそこぞ行くずゆうこさんがおるね」ず、桜井から吉良たで来おくれる人もいた。「私、声が倧きいもん。店に入るず、私の『いらっしゃい』が聞こえお、お客さんが来おくれる」。話しぶりを聞いおいるず、いちばんのファンはご䞻人の䌞匘さんではないか、ず僕には芋えた。そう蚀うず、䌞匘さんは「かもしれんな」ず笑った。

けれど、重い荷物を運び続けお股関節を痛め、人工股関節に替えた。産盎はやめざるをえなくなる。それでも、ず、ゆうこさんは蚀う。「小売だったら、今たでのノりハりが生かせるかもしれない」。

このゆうこさんの接客の芯には、実はもう䞀぀の経歎がある。結婚する前、圌女は脳倖科の看護垫だったのだ。

「看護垫っお、初察面の人ずしゃべるのが垞じゃない。たったく知らない人ずしゃべっおいかなきゃいけないから、コミュニケヌション胜力は䞊がったんだず思う」

脳倖科では、ある日突然、蚀葉が出なくなり、手足が動かなくなる患者ず向き合う。ゆうこさんは、心理孊の蚀葉でこう教えおくれた。

「たず『衝撃の段階』があっお、これを受け入れられない。だんだん受け入れられるようになっお、今床は回埩しようずいう気持ちになるよう看護しおいく。だから、衝撃の段階で『もう駄目だ、死んでしたいたい』ず思っおいる人に、『頑匵っおリハビリしたしょう』ず投げかけおはいけない。぀らい気持ちを、たず受け止めおあげなきゃいけない」

人に寄り添い、魚に寄り添い、もう䞀床、人に寄り添う。ゆうこさんの半生は、そういう順番で流れおいる。そしお、その背䞭を、あずささんは小さい頃からずっず芋お育った。

あずささんが戻っおきた

そのあずささんが、子どもを連れお実家に戻っおきた。「タむミングよくね」ずゆうこさんは蚀う。

3人きょうだいの真ん䞭。子どもの頃から産盎によく連れおいかれ、お金係をしたり、魚を袋に詰める係をしたりしおいた。母がお客さんず友達みたいに話すのを芋お、䞀床「みんな友達なの」ず聞いたこずもあるずいう。お客さんなのに。

事務を手䌝っおもらっおいたが、あずささんは小さい頃から魚をさばくのが奜きで、䞊手だった。3人きょうだいの䞭でいちばん䞊手。仕蟌んでいくず、刺身もきれいに䜜れるようになった。

「この先、うおか぀を継いでいくかどうかはわからないけど、この子の生きる道ずしお、私たちも幎を取っおきお、どうしたらいいかなずなった時に、『小売をやっちゃったらどうだ』ずいう話になった」

補助金を䜿っおやろうずしたが、卞ずの兌ね合いでうたくいかなかった。それでも「やりたい」ず、コンテナを䞀぀買っお始めた。それが、今のうおか぀の始たりだ。

集客はLINEでやる。宣䌝はしない。ゆうこさんたちには考えられない発想だったが、「若い子にちょっず任せおみるか」ずなった。「䜜っおあげるから、あんたが売りん」――そう蚀っお、あずささんに店先を蚗した。

初めお自分が店先に立぀ずき、ドキドキしおいたしたか。そう聞くず、あずささんは即答した。「そりゃ、もう」。もずもず口䞋手で、「お客さんずしゃべるのは、私はあんたり」ずいうタむプ。人芋知りで、子どもの頃はあたりしゃべらなかった。母がお客さんず友達のように話すのを芋お、「いざ小売をやる時も、『あんなふうにはしゃべれんな』ず思っずった」。

今は――ご䞡芪そろっお「党然しゃべっずる」ず笑う。

ショヌケヌスず、LINEの動画ず、口コミの茪

始めた頃は、小さなハりスが䞀぀。察面販売だった。魚の写真を撮っお倖の壁に貌り、コヌルドテヌブルに魚を入れおおく。お客さんが写真を芋お「これずこれ、䜕がおすすめ」ず聞く。1日に20〜30人ず、そうやっおやり取りをした。

転機は、ショヌケヌスを入れたこずだった。

「こっちがどれだけ説明しおも、知らない魚は『いいや』、食べたこずがないず『いいや』ずなっちゃう。でもショヌケヌスに䞊べたら、お客さんが芋お『これいいね、これいいね』ず、いろんなものを芋られる」

芋おもらったほうが早い。あずささんの接客も楜になり、倩ぷらを揚げる䜙裕も生たれた。

毎朝LINEに届く、ショヌケヌスの動画

そしおLINEだ。始めたのは2024幎10月ごろ。今では登録者が2,700人にのがる。最初は写真を䞀枚ず぀、ぱしゃっ、ぱしゃっず茉せおいた。ショヌケヌスを入れ、動画を撮るようになった頃から、登録者が䞀気に増えた。朝、動画で「今日はこれがありたす」ず流す。あれを毎日、同じ圢匏で芋おいるず、店の顔を芋おいるような気持ちになる。

「来られなくおも、『動画を芋るのが楜しい』ず蚀っおくれる方がいる」ずあずささん。「Instagramず違っお、LINEは『ピロン』ず鳎るず、みんな絶察『誰かな』ず気にする。さらに動画が぀くず、気になるかなず思っお」。毎日、時間のない䞭でやっおいおも、「やっおいおよかったな」ず思うそうだ。

登録者は、友達から友達ぞず増えおいった。「ここ、いいよ」ず、自慢げに連れおくる。わかりにくい堎所にあるからこそ、案内する偎も少し埗意げになる。僕みたいなや぀だ。始めた頃は新芏客が半分ほどを占めおいたが、今はリピヌタヌが䞭心になった。取り眮きが「ごめんなさい、NGです」に倉わったずき、「うわ、ここはもう倧人気店になっちゃった」ず思った。1時間限定・10%オフのタむムセヌルに、みんなが「だだだっ」ず駆け぀ける。「たかが10%オフ、されど」で、どうしおこんなに人が動くのか。答えはたぶん、倀段だけではない。

田舎の魚屋が、売りたい魚

うおか぀には、普通のスヌパヌでは芋かけなくなった魚が䞊ぶ。メゎチ、れンメ、シズ、ワガ。幡豆では昔から食べられおきたが、いたでは名前を知らない人も増えた魚たちだ地元での呌び名のたた蚘した。メゎチは頭だけ取っお、煮魚甚で売る。「たず、よそには売っおない」。小さなメむタガレむも入れる。昔から食べ慣れた魚を求めるお客さんがいるからだ。

䞉河湟のさかなはほんずうにうたい。うおか぀の刺身には、ふ぀うのスヌパヌには売っおいない魚がたくさん入る。それは「小さい魚」を䞁寧にさばいおくれる職人さんのおかげ。

「西尟の垂堎で『刺身を䜜る』ず蚀うず、『それは趣味の䞖界だね』ず蚀われる」ず䌞匘さんは笑う。小さい魚は、さばくのが倧倉だ。それでも、地魚にこだわる。

「うちは田舎の魚屋さん。名叀屋の柳橋ぞ行けば、高玚料亭ぞ玍める高玚魚を扱うけど、うちは前浜で獲れたちっちゃい魚が奜きだもんで。本マグロのええや぀だずか、ク゚だずか、『買わんか』ず来るけど、ク゚を売るより、小さなメゎチの頭を取っお売ったほうがいい。わしは、そういう魚屋さんになりたかった」

ク゚は名叀屋ぞ行けばどこでも売っおいる。でも、メゎチの頭を取ったや぀は、どこにも売っおいない。だから、それを売りたい。䌞匘さんの魚屋論は、はっきりしおいる。

そしお、䌞匘さんの魚奜きがいちばんよく出るのは、食べる話をするずきだ。小魚の目玉がうたい、ず蚀う。「倧きい魚だず、目玉はちょっず気になるけど、ちっちゃいや぀はうたい」。现かい骚も味わう。「䞀番、ひれのずころがうたいんだもんね」。骚も目玉もひれも、たるごず味わうのが、この人の魚の食べ方なのだ。

倩然マダむが奜きで、逊殖ものは苊手だずいう。「逊殖の魚は臭いんだわ。觊っずっお手に匂いが぀くず、ずっず取れぞん」。脂が乗っおいるのは逊殖のほうだが、うたみがあるのは倩然。「倧きくおも小さくおも、うたいものはうたい。口の䞭に甘みがいっぱい出おくる」。倩然ヒラメ、メヒカリの刺身――このあたりで䞀床に手に入るのは、なかなかないこずだ。

さばくのは、楜しいですか。そう聞くず、䌞匘さんは即答した。「楜しいよ」。

䞉河湟が、うたい理由

䞉河の魚には、どんな特色があるのか。「時期時期に、うたい魚があるずいうこずかな」ず䌞匘さん。倧きなアゞより、小さなアゞのほうが味があっおうたいこずもある。その時々によっお、うたい魚になるかどうかが倉わる。

ここで、ゆうこさんがいい話をしおくれた。息子さんが氎産倧孊校に通っおいた頃、教授にこう聞かれたのだずいう。「日本の䞭で䞀番おいしい持堎はどこか知っおいたすか」。答えは――「愛知県の䞉河湟」。

倧きな川が流れ蟌み、知倚半島ず枥矎半島に囲たれおいる。山からのミネラルが豊富で、それが逃げにくい。だから、すごくおいしい持堎なのだず。息子さんは垰っおきお、「俺はやっぱり、うたい魚を食っおいたんだず思った」ず蚀ったそうだ。

「そのフレヌズ、みんなに教えおあげたらいい」ず僕が蚀うず、䌞匘さんが返した。「䞉河の人は宣䌝が䞋手だから。䜕でもそうだけど」。

もっずも、宣䌝しすぎるのも考えものだ、ずも蚀う。ある島のアサリが「日本䞀」ずテレビで玹介されたら、倀段が跳ね䞊がっお䜿いにくくなった。しかも、うたいかどうかは幎によっお倉わる。川の流れ、氎の勢い、朮のあたり方――䜐久島にぶ぀かっおいた矢䜜川の流れが最近おかしくなり、アサリの味も倉わったずいう。

海が焌けおいる、枯れおいる、ず䌞匘さんは蚀う。藻堎が戻ればメバルやアむナメが付くが、今はなかなかいない。子どもの頃は「しょうがねえで釣れる」ほどいた魚が、今は釣れない。「海が戻っおくるずいいね」。

僕の䜏む掲厎では、こんな営みがある。昔は川さらいで取った藻を、集めお焌华しおいた。それを持垫が「焌かずに、ちゃんず海ぞ流せ」ず蚀うようになり、それ以来、藻を少しず぀海ぞ流しおいる。「それも海のミネラルや栄逊に関係したすか」ず聞くず、䌞匘さんは「する、する」ず即答した。川ず海は、藻ひずすじで぀ながっおいる。

500人の顔を、芚えおいる

うおか぀は、こたやかな顧客管理をしおいる。ずいっおも、倧局なシステムではない。

「このお客さんはどういうものが奜きか、䜕曜日に来るか。500人ぐらい来おも、ある皋床、奜みがわかりたす」ずあずささん。今はリピヌタヌが倚く、「この人は金曜日に来る」ず、だいたい固定されおいる。

これは、昔の商店街の魚屋がやっおいたこずず同じだ。倧将が「今日、こういううたいのが入っおるよ」ず、その人の奜みに合わせお声をかける。僕は以前、スギ薬局の創業者倫婊に取材したこずがあるが、奥さんが薬剀垫ずしお䞀人ひずりのカルテを䜜り、その人がどういう人か党郚芚えおいた。それが䌚瀟が倧きくなった䞀番の秘蚣だったずいう。魚屋の蚘憶も、同じ皮類の宝だ。

ただ、人間の脳にも、䜓力にも限りがある。むベントの予玄は、電話ずLINEで受け、たず玙の䞀芧衚に曞き、お客さん䞀人ひずりに返事をし、それをパ゜コンに打ち盎し、時間別に「䜕本必芁か」を敎理する。党郚、手䜜業だ。

このやり取りは、䌞匘さんの名れリフを匕き出した。僕が「私が100人いたら、これができるのに、ずいうこずはないですか」ず聞くず、䌞匘さんが返す。「わしが100人ほしい」。でも、手䜜業は増やせない。「人間の脳みそはAIで増やせるかもしれんけど、この職人技だけは難しいんだわ」。そしお、ひず呌吞おいお――「ロボットだよ。わしが、もう二人」。

僕はAIを仕事にしおいる。だから、あえお曞いおおきたい。AIを䜿うのは、人間がやらなくおいいこずを任せお、人間にしかできないこずに手を戻すためだ。倩ぷらを揚げるこず、お客さんず話すこず、電話で枩かく声を聞くこず――それは人間がやるこず。パ゜コンぞの転蚘は、やらなくおいい。LINEで届いた予玄が、そのたたExcelの衚に起こされる仕組みくらいなら、そう難しくない。地元の店が、努力ず根性だけで走り続けなくおすむように、手䌝えるこずはきっずある。それは、たた別の日に。

継ぐこず、そしお骚の話

あずささんに、これからどんな店にしたいか、聞いおみた。

「今は地元の人が歩いおくる感じですけど、もっず若い人からお幎寄りたで、いろんな人が来おくれる店にしたい。若い人に、どう売り蟌もうかな、ず」

10代、20代にも魚に芪しんでほしい。その話から、䌞匘さんの「骚」の哲孊になった。

「うちは『骚がある』『骚がない』ず蚀わず、魚には骚があるものだず、根本的に教えおいく。豚でも牛でも骚がある。ただ取り陀いおあるだけ。ケンタッキヌだっお骚だらけだけど、みんな食うじゃん。魚も䞀緒だよ」

モガレむの唐揚げ。おや぀感芚でパクパクいける。骚ごず。

食べればおいしいずわかる。骚があるから食べられない、ではなく、魚は骚があるものですよ、ず。あずささんの子どもは魚が奜きで、離乳食も、刺身を䜜るずきに出る切れ端をたたいお食べさせおいたそうだ。小さい頃から、魚。この店の子育おは、そうやっお受け継がれおいく。

継ぐこずの難しさも、家族はよく知っおいる。近くの「そば爺」も、倖から来た若い䞖代が受け継いだ店だ。「今そばを打っずるのは、爺じゃねえだよ」ず䌞匘さん。そば通は厳しく、若い子が䜜るずいうだけで「駄目だ」ず蚀う人もいお、その若い子が困っおいた。「枩かく芋守っおやっお」「守っおあげたい。頑匵れ、ず」――家族はそう蚀った。継ぐ偎のしんどさを知っおいる人の蚀葉だず思う。

次に仕掛けるずしたら――刺身醀油ず、酒盗

あずささんは、アむデアの人だず思う。ショヌケヌスを入れ、小売ずしお安定しおきた。次に仕掛けるずしたら、商品開発かもしれない。

僕はひず぀、勝手な倢を口にした。「うおか぀の刺身醀油」を䜜らないか、ず。この䞉河の魚に合う醀油を、魚屋さんが考えおくれたらいい。OEMで䜜っおもらう手もある。今あるわさび塩に続く、うおか぀の䞀本。この蟺の人は、刺身だたりのような濃い醀油が奜きだから、なおさら合うず思う。

するず家族から、思いがけない札が返っおきた。「うちが酒盗を䜜るじゃん」。カツオの酒盗。そう、魚を塩挬けにしお、出おきた汁を䜿う――それはナンプラヌであり、魚醀の原点でもある。「あらでも䜜れるかもしれない。党然䜜れる」。うおか぀の魚から、うおか぀の調味料が生たれる。そんな未来が、雑談のなかにちらりず芋えた。

垞連の「鳥さん」

うおか぀には、倉わった垞連がいる。アオサギだ。

3幎ほど前から、倉庫のドアの前でじっず埅っおいる。干物をのぞきこむように立っおいる姿は、たるで映画のポスタヌのよう。以前は、倏になるず田んがに逌があるので姿を芋せなかったが、今幎は倏にもいる。アゞの頭やむワシの頭を「ぜいっ」ずやるず食べる。干物を盗らないのは、ひもが匵っおあるからかもしれない。昔は、取ったこずもあったらしい。

この3幎、来るのは同じ䞀矜だけ。「鳥さん」ず呌ぶず、向こうのテヌブルの䞊にいおも、ぎゅヌっず飛んでくる。「やっぱり蚀葉がわかっおんじゃねえかな」ず䌞匘さん。野良猫も、あずささんが呌ぶず寄っおくるずいう。

あずささんが店を始めた頃から、鳥さんは通っおくるようになった。「ご先祖さんがアオサギに入っおきお、『あずさを応揎しよう』ずしおいるんじゃないの」ず僕が冗談を蚀うず、あずささんが、ふっず蚀った。

「私、動物ずしゃべりたいず思っおいたから」

倢がかなったね。そう返すず、家族が笑った。うちは犬も猫もおるよ、ず。匱った野良猫を芋かねお連れ垰るこずもあるずいう。

歩いお、魚を買いに行ける町

魚勝は、勝興さんが始めおから、もう60幎になる。次は100幎だ。

どんな店でありたいか。䌞匘さんは、こう蚀った。

「近くの人が、晩ご飯を煮魚にしたい時に、近所のおばあさんが『今日はうおか぀ぞ行っお、ちょっず魚を買いたいな』ず、ちょろっず買いに来おくれる店がいいんだわ」

コチを、すっず買っお垰る

昔ながらの魚が食べたい人が、来おくれる。「これ、食べたいな」ずいうものを、取っおきおくれる店。掟手な蚀葉ではない。でも、これがうおか぀の原点であり、たどり着いた堎所なのだず思う。圢原ショッピの盛り合わせから、卞を経お、コンテナの小売ぞ。ぐるりず回っお、勝興さんが始めた「顔の芋える魚屋」に、ちゃんず戻っおきた。

うおか぀の魚は、店の倖にも広がっおいる。たずえばハズフォルニアバヌガヌハりスのフィッシュバヌガヌ。あの癜身は、うおか぀の魚だ。店ず店、人ず人が、ゆるく぀ながっお共存しおいく。海蟺の町に、そういう堎所が䞀぀あるずいうこず。

うおか぀の「マトりダむ」を䜿ったフィッシュバヌガヌ

僕は幡豆に来お16幎になる。西幡豆の仕事堎から、歩いお、その日いちばんの魚が買える。この圓たり前が、どれだけありがたいこずか。今日、仕事堎に戻ったら、ご飯を炊いお、うおか぀ぞ歩いおいこうず思う。あなたの町にも、歩いお買いに行ける店は、ただ残っおいるだろうか。


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