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恋愛で苦労するのはスペックのバランスが悪い人である

はじめに

世の中には、高学歴・高収入といった「ハイスペック」であるにもかかわらず恋愛で苦労する男女がいる一方で、低学歴・低収入でも恋人に事欠かない男女もいる。

これは当たり前の光景かもしれないが、その要因を言語化すると「スペックのバランスが悪い人ほど恋愛で苦労する」という仮説に辿り着いた。スペックを構成するのは、学歴、年収、容姿、コミュニケーション能力などだ。東大卒・年収1000万のコミュ障男性より、MARCH卒・年収500万の陽キャ男性の方が恋愛を謳歌している姿は、想像に難くない。能力値がアンバランスな人より、たとえ小粒でもバランスが取れている人の方が、恋愛において「普通の幸せ」を手に入れる上では有利なのだ。

なお、ここで言う「苦労」とは、単に異性にモテないという意味だけではない。自分が望むような相手と交際・結婚できないという状況も含まれる。

自分の持つ「最大スペック」で所属コミュニティが決まる

最近気づいたのだが、人間は自分が持つ「最大のスペック」を基準にして、主たる所属コミュニティを決めている。

東大生は在学中、基本的には東大生とつるむし、卒業後も似たような学歴の人間が集まる会社で働く。大学にせよ会社にせよ、そこは「学歴」というスペックを最大値とする人々が集まる場だ。ミスコン出場者のように、容姿の美しさを売りにする東大生もいるが、彼女たちとて所詮は「東大生のわりには美人」という枠組みの中にいる。彼女たちが「美貌」という軸だけで、高卒から成り上がったモデルやタレントのコミュニティに属することはない。せいぜい、早慶やMARCHのミスコン出場者と交流する程度だろう。

同様に、運動神経が最大のスペックである人はプロスポーツや実業団を主たるコミュニティとし、コミュ力が最大の人はお笑い芸人になったりする。あるいは、普段は会社員であっても「週末の社会人チームが一番の居場所」という人は、そこが最大スペックを発揮できる場所なのだ。

このように、我々は自身の最大値に基づいて居場所を決めている。平均値ではない。例えば「学歴偏差値70・運動偏差値50」の人は、平均すれば「総合偏差値60」かもしれない。しかし、だからといって「学歴50・運動70」で同じ総合偏差値60になった人と、コミュニティが重なり仲良くなることは、まずないのである。

コミュニティ内恋愛は「相対評価」である

私は常々、コミュニティ内恋愛は相対評価であると主張してきた。この持論を、先ほどの「最大値によるコミュニティ決定」の議論で整理すると、以下のようになる。

普段所属するコミュニティは、自分の最大スペックによって決まる。したがって、たとえ高学歴であっても、そのコミュニティ内には「同じような学歴」の人間しかいない。つまり、コミュニティ内において、自分の強みであるはずの最大スペックは無力化(相対化)されるのだ。

だからこそ、高学歴に加えて「運動神経」や「リーダーシップ・コミュ力」を併せ持つ人がコミュニティ内で無双する。逆に、高学歴ではあるが「容姿が極端に悪い」「コミュ障」といった、スペックのバランスが悪い人は、コミュニティ内での評価が低くなり、恋愛が不可能になるのだ。

かといって「コミュニティ外」の恋愛も難しい

スペックのバランスが悪い人は、マッチングアプリや結婚相談所といった「コミュニティ外」の恋愛においても苦戦を強いられる。非モテの高学歴男性がアプリで惨敗し、高学歴でモテない女性が相談所で「いい人がいない」と嘆く現象が、それを象徴している。

この難しさの要因は、コミュニティ外恋愛特有の「評価のズレ」にある。「自分は自分の最大スペックを基準に相手を選びたがるが、相手は自分の最低スペックで判断する」からだ。

例えば「年収・学歴の偏差値が70、容姿の偏差値が50」という婚活女性がいるとする。彼女は自分の最大値である「70」を基準に同格の相手を選ぼうとするが、男性側からすれば、彼女は「容姿50の人」として評価の土俵に乗せられてしまう。結果として、彼女が望むような「偏差値70の男性」とはマッチングできない。

これに対し、「年収・学歴が60、容姿も60」というバランスの取れた女性は、自分の最大スペック「60」を基準に相手を探し、かつ相手からも「60」として正当に評価される。そのため、ミスマッチが起きにくく、苦労しづらい。これが「普通の人」が結局一番モテる、という理屈の正体だ。

コミュニティ外恋愛におけるこの高望みに対し、「身の程を知れ」という主張も散見される。例えば「ハイスペな40代女性に釣り合うのは、30代の低収入男性だ」といった、ルサンチマンの混じった意見だ。しかし、理屈では正しくとも、当事者がそれを受け入れるのは難しいだろう。

なぜなら、我々が普段身を置くコミュニティは「最大値のつり合い」で成立しているのに、恋愛の場になった途端、急に「最大値と最低値のバランス(総合力あるいは平均点とも言える)」での取引を要求されるからだ。このギャップこそが、アンバランスなハイスペック層を絶望させている原因なのである。

まとめ

結局、恋愛における苦労の本質は、自分の居場所を決める「最大スペック」と、相手から品定めされる「最低スペック」の乖離にある。特定分野の突出がコミュニティ内で無力化される以上、歪なハイスペックよりも、全項目で平均点をもぎ取る「バランスの取れた普通」こそが、恋愛市場における真の強者なのである。

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