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📚評価軸 シリーズ第2回

「何を異常とみなすか」で、治療はすでに決まっている

評価軸=世界観の正体

同じ患者を診ているはずなのに、
治療家ごとに結論がまったく違う。

・「ここが原因ですね」
・「いや、そこは関係ない」
・「異常は見当たりません」

慢性領域では、
こうした光景が日常的に起こります。

なぜでしょうか。

答えはシンプルです。

最初から異常の定義が違うからです。



異常とは「壊れていること」なのか?

多くの人が、無意識にこう考えています。

異常=壊れている
異常=ズレている
異常=数値や画像に写るもの

これは
病理・構造評価の世界では正しい。

・骨折
・腫瘍
・炎症
・明確な変性

これらは
「異常」として扱うべきものです。

しかし慢性の多くは、
この定義に当てはまりません。



慢性で起きているのは「異常」ではなく「適応」

慢性症状の身体を丁寧に観察すると、
壊れているというより、
• 無理な使い方に適応している
• 崩れたまま安定している
• 本来とは違う連動で成り立っている

こうした状態がほとんどです。

つまり、

異常ではなく、
そうならざるを得なかった結果

これを
病理の評価軸で見れば
「異常なし」になります。

しかし
機能・連動・調律の評価軸で見れば、
明確な問題として浮かび上がる。



評価軸が違えば「正常/異常」は逆転する

ここで重要なのは、

正常か異常かは、絶対的なものではない
という事実です。
• 病理軸では正常
• 機能軸では破綻
• 適応軸では限界状態

どれも同じ身体です。

にもかかわらず、
評価軸を一つに固定すると、

「異常はない」
「気のせい」
「説明できない」

という結論になる。

これは
身体が間違っているのではなく、
評価軸が不足しているだけです。



「正常値」という言葉の危うさ

慢性領域で、
最も誤解を生みやすい言葉があります。

それが
正常値。

正常値とは
「統計的に多い範囲」であって、
「機能的に最適」ではありません。
• 正常値内でも症状は出る
• 正常値内でも機能は破綻する
• 正常値内でも限界は来る

それを無視して、

正常値=問題なし

と扱った瞬間、
慢性はすべて切り捨てられます。



治療とは「異常を探す作業」ではない

慢性を扱う治療家にとって、
治療とは
• 異常を見つけること
ではなく
• 成り立ちを理解すること

です。

なぜその姿勢になったのか
なぜその呼吸になったのか
なぜそこだけが頑張り続けているのか

ここを評価できない限り、
どんな技術も
表層で終わります。



評価軸を持たない人ほど、言葉が強くなる

これは少し厳しい話ですが、
とても重要です。

評価軸が曖昧な人ほど、
• 理論で武装する
• 権威を持ち出す
• エビデンスという言葉を乱用する

なぜか。

自分が何を見ているのか、
自分でも分かっていないからです。

評価軸が定まっている人は、
語らなくてもブレません。

逆に、
評価軸がない人ほど、
声が大きくなります。



異常を定義した瞬間、治療は始まっている

治療は
「触った瞬間」に始まるのではありません。

異常をどう定義したか
その時点で、
すでに8割は決まっています。

・構造を異常とみなすのか
・機能を異常とみなすのか
・適応を異常とみなすのか

ここを曖昧にしたまま、
慢性を扱うことはできません。



次回予告

次回は、
さらに臨床寄りに進みます。

「慢性痛をどう評価しているか、説明できますか?」
痛みは評価対象ではなく、結果である

なぜ
同じ腰痛でも
改善する人と、しない人が分かれるのか。

そこを分解します。



慢性を扱うということは、
技術を増やすことではありません。

評価軸を、自覚すること。

それができた時、
治療は別の次元に入ります。

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