見出し画像

戻ってきたのは場所じゃなくて“わたし”だった |同じ“つながり”の中で、こんなにも違う景色がある

こんばんは。
おさゆです。

新年度がはじまって、
少しだけ慌ただしい日々。

朝の空気が、
うっすらと冷たさを残している時間。

そんな時間に外へ出ると、
遠くの山の輪郭がやわらかく霞んで見えて、

どこか、
季節の移ろいを教えてくれているようでした。


昨日は、町内の春の溝掃除。

長靴の底で土を踏みしめながら、
黙々と水路を整える。

落ち葉をすくい上げる音や、
水の流れが少しずつ整っていく気配。

作業の合間に交わされる
「今年もはじまるねぇ」という、
何気ないひと言。

それだけで、この場所にまた、
ひとつ季節が巡ってきたことを、

身体の奥で受け取っているような
感覚がありました。

この掃除が終わると、
一斉に水が流れはじめます。

そしてその水は、
やがて田んぼへと運ばれていく。

わたし自身が田植えをするわけではないけど、

誰かが土に触れて、
誰かが育ててくれたものが、

めぐりめぐって食卓に届く。

そんな当たり前の循環の中に、
自分もそっと含まれていることに気づいたとき、

言葉にしなくても、
胸のあたりがじんわりとあたたかくなります。

山に囲まれたこの場所は、
近ごろは限界集落と呼ばれたりするけど、

川の音、
鳥の声、
誰かの笑い声。

それらが、
日常の中にちゃんと息づいています。

年齢も、暮らしてきた時間も違う人たちが、
同じ場所に立って、同じ手を動かす。

そんな光景を眺めているだけで、

人は、やっぱりひとりで生きているわけじゃ
ないんだな。

そう静かに感じるんです。

正直に言えば、
こういう距離の近さが少しだけ、
重たく感じる日もあります。

声をかけられることが負担に思えるときも
あるし、
自分の時間に入りたいときもある。

でも、それでも、

顔を合わせて、目を見て、言葉を交わす。

その、何気ないやり取りの中に、
画面越しでは触れられない温度は
たしかにあります。


「筍いらんかね?」

「タラの芽、食べるかね?」

そんな声と一緒に渡される、
土の香りをまとった春の恵み。

今年もこうして、
ちゃんと季節の中にいるんだなと、

ふと、手の動きがゆるみます。

旬のものをいただくことって、
ただ美味しいというだけじゃなくて、

いまここにある時間を、
そのまま受け取るということなのかも
しれないですね。


こういう暮らしを、
あの頃のわたしは想像もしていませんでした。

誰かの顔色をうかがいながら、
その場の空気を崩さないように言葉を選ぶ。

自分の感じていることよりも、
相手がどう思うかを優先していた日々。

何かをしていないと不安で、
誰かのために動いていないと、
自分の価値が見えなくなっていた頃。


”つながり”という言葉が、
どこかで”縛り”にすり替わっていた時間。


あの頃は、
こうして誰かとかかわることが、

こんなにも
穏やかなものとして感じられるなんて、
思ってもいませんでした。

同じ”人との関係”の中にいながら、
感じ方がこんなにも違うのは、

外側じゃなく、
自分の内側の立ち位置が、

少しずつ変わってきたからなんだと思います。

誰かに合わせることでつながるんではなく、
自分の感覚を置いたままでも、そっと隣にいられること。

無理に役に立とうとしなくても、
ただそこにいるだけで、同じ時間を共有できること。

そのことを、
頭ではなく、身体で知っていくような日々。


溝掃除を終えて、
道具を片付けて、

「おつかれさまでした」

そう声を掛け合って、
それぞれの家へ帰っていく。

その背中を見送りながら、
胸の奥に、静かな余韻が残りました。

なにか、
大きなことを成し遂げたわけでもないのに、
確かに満たされている感覚。

それは、

“ちゃんと生きている”というよりも、

“いま、活きている”

そんな感覚に近いかもしれません。


”生きる”というのは、
ただ存在していること。

”活きる”というのは、
その存在が、そのまま息をしていること。


誰かに認められるかどうかではなく、

自分の中で、
ちゃんと息が通っているかどうか。

忙しさの中で、
見落としてしまいそうな小さな感覚。

こういう時間の中にいると、
それが、すぐそばにあることに気づけます。


大きな変化じゃなくていいし、
誰かに理解されなくてもいい。

台所で湯気を見つめている時間や、

誰かから受け取った野菜を並べる時間。

名前もつかないような、
なんでもないひとときの中に、

ちゃんと自分がいると感じられること。

それが、
いまのわたしにとっての

”活きる”

なんだと思います。

あの頃、
外側にばかり向いていた視線。

少しずつ、
自分の内側に戻ってくるようになって、
ようやく見えるようになれた景色。

特別なことは何ひとつないけど、

それでも確かに、
ここにある暮らしの中で、

わたしは、わたしを生きています。

そしてきっと、

誰もが、
誰かの宝物であるように、

自分自身にとっての宝物としての時間も、
こうして、日々の中に静かに積み重なって
いくんだと思います。

今日も最後までお読みくださって
ありがとうございます。

こころから感謝を込めて。

おさゆ


いいなと思ったら応援しよう!

おさゆ【ピアサポーター】 よろしければ応援いただけるととても嬉しいです!いただいたチップは、クリエイターとしての学びに使わせてせていただきます。

この記事が参加している募集