昼食場所を失って気づく心模様
以前投稿した昼食に関する記事がある。あの頃は幸せだった。広いテーブルで外の景色を眺めて季節の移ろいを感じながら、静かに食事をしていた。
しかし、快適な昼食時間は1年半で突然終わりを告げた。
ある日「食券を購入した者が座席優先で食事ができる」と、見渡す限り全席に注意喚起以上、警告レベルの貼り紙があった。いちめんの菜の花かよ。
意訳すると「金を落とさぬ者には食堂利用は許さねえ」である。手弁当100%のわたしは罪人だ。
食べる場所を失ってしまった。
12時半頃からの混雑を避けて、決められた早い時間から食堂で休憩を取る指示を守り、使用可と言われたからには場所開放だと思っていたので正直落胆した。お金を生まない者は出入り禁止なのだ。
翌々日に別のスペースを発見した。いわゆる広めの通路にテーブルと椅子が数客置いてある。座れたらこの際どこでもいい。現在は座ってものの3分で食べ、積読本持参で数ページずつ読みながら静かに過ごしている。
変化といえば食事内容だ。以前は弁当箱に何でもあるものを詰め込んでいた。それなりにタンパク質や野菜を摂取していたように思う。


さすがに食堂外のちょっとした休憩スペースで弁当を広げようとは思わない。20人くらいの往来は無視できるけど、なるべく早く食べ終えたい。落ち着かないからだ。
なにより、勤務日の昼食は自称スティーブ・ジョブズなのだから。
そこで役立つのは過去。9年間くらい昼食はほぼおにぎり2個で過ごした。なんてことなかった。
復活させたらいいのだ。20年を経て感慨深い。
冷凍炊き込みご飯や前日の残りご飯を加熱して握り直す。おいしい、まずいには興味がない。何かを口にする事実があればそれで合格、サクラサク。
通行人がいちいちおにぎり周辺を覗きはしないし、憐れみの熱視線を飛ばすこともない。

ひじきあさりご飯、さつまいもご飯
塩麹チキン、プロセスチーズ


各々をラップで包みます。
その後、おにぎりと何かを一緒に包むのがやたら面倒になった。それさえもだ。
可能な限り最速で手が汚れずにワンアクションで食べられるものは、やはり安定のおにぎり。もはや離れられない。

傾いている大根葉ご飯、ひじきあさりご飯

どちらから先に食べるかを決めてしまえば、楽しみも焦りも心配もあきらめも何もないから幸せだ。
これだけでは胃がスカスカのように思われるかもしれないが、案外そうでもない。こんなものと思えばこんなもの。最初から何の苦痛もなかった。
しかし、炭水化物ばかりになるため具材の工夫は必要だとは思うけど、やはり面倒くさいが勝つ。
近年あまり食べなかった朝食量を少しずつ増やしている。昼の栄養の欠乏をどのように改善するか、課題が増えてそれはそれで頭を使っていいものだ。
どこだって食べられる。
なんだって食べられる。
伸縮自在の胃袋を持っている。
昼食場所がないと嘆くなど、ちっちぇえな。
白い壁を見ながら食べても、おにぎりから壁の味はしない。おにぎりは、おにぎりである。
