欧州滞在期2026 Day24-28 スコピエ(北マケドニア)編
Day 24 木曜日
プリシュティナの宿を出発。前回の日記に書いたようにいろいろあったとはいえ、もしもここが延泊できていたら……と思う快適な宿だった。バスターミナルまで荷物を引いていく。前日にすでに実里さんがターミナルまでの道のりを「予行演習」してくれていたおかげで、排気ガスの多い大通りを避けて、一本裏の通りを進む。
こうやって道順を考えずに誰かについていくのは楽だなと思う。今回の旅は、いきあたりばったりで3泊程度で次の町への移動を繰り返しているから、宿や交通の情報など調べないといけないことが多すぎて、若干それが負担になっている。沢木耕太郎『深夜特急』の時代が羨ましい。AIが使えるようになって助かっているとはいえ、その情報の信頼度も含めて最終判断をするという仕事がまだ人間には残っている。
そして、一人旅であればまだ心細いとはいえもっと気楽かもしれない。思いつきで、次の町や宿を決めることができる。たとえ間違ったとしてもそれは自分が「くうー」と悔しさを味わえば済む話で、誰かに迷惑をかけるものではない。
しかし二人旅となるとそうはいかない。思いつきや直感で「これだ!」と思っても、それを相手に納得してもらうための説得材料の準備と言語化が必要になってくる。これがじわじわとしんどい。仮にどちらかが相手に従属するような関係であれば、「リーダー」の決断に付いていけばいいのかもしれないが、我々の関係はそうではない。海外サバイブ能力についても拮抗しているので、合議が必要となり、毎回そこにかなりのエネルギーと時間を注ぐことになってしまう。それを3泊程度の間隔で繰り返し、そのたびに宿や移動経路や通貨のことを気にせざるをえなくなると、旅を楽しむ余裕はしっかりと削られていく。幸い、バルカンの諸都市はそんなに治安も悪くなさそうとわかってきたから、それぞれ別行動する時間をもっと増やしてもいいのかもしれない。
さて、バスターミナルに到着すると客引きの人がいたのだが、我々はその行き先ではなくてスコピエに行きたいと告げると、それなら14番だよ!と教えてくれる。優しい〜。バスはちょうど出発直前だった。片道ひとり10ユーロ。ネットで予約とかせずに乗り込んで車内で払う方式だと領収書とかもらえないから、助成金との相性はめちゃ悪いよなあ……と思う。でもなんかこういうパッと乗ってパッと払う感じ、嫌いじゃないんだよなあ。ちなみにバルカンのバスは今のところどれも椅子がフカフカで快適で、揺れも少ない。2時間程度なら余裕なのだった。
プリシュティナからスコピエ行きのバスは、路線バス的な機能は果たしてないみたいで、途中で山間の、大きな工場のある小さな町に止まっただけだった。そこで女性二人組が降りていった。工場で働いているのか、それともこの町の出身だったりするんだろうか。国境では検問があり、乗客は全員いったんバスを降りて国境をまたぐ。わたしたち以外ほとんどの乗客がそこで一服、タバコをたしなんでいる。
スコピエのバスターミナルは、タクシーの客引きがわりとやる気がある。それをかいくぐって宿の方面へと歩いて、カフェに寄る。テラス席で実里さんと作戦会議をしていると、鳩が迷い込んできて、ガラス窓にぶちあたり、出られなくなってしまった。店員がガラス窓を開けてくれたけど、かわいそうに、鳩はしばらく混乱していた。そのあいだにわたしはターミナルに戻って、ATMで現金(MKD、マケドニア・ディナール)を下ろす。緑色のATMは手数料が無料らしい(ほんとかな)。
宿の管理人と待ち合わせて、アパートメントへ。なんと最上階の10階で、見晴らしがいいし、広くて清潔。がんばって宿を精査した甲斐あったかも……。バルカン各都市の宿情報をBooking.comで見まくったおかげで、目が肥えてきたのかもしれない。さて現金で3泊分の5400MKDをお支払い、のはずが、しまった、わたしがお札の数を勘違いしていたせいで、宿主にあらかじめ伝えていた額と異なっており、管理人がお釣りの600MKDを持ってない。「それなら……」と彼女は臨機応変に10ユーロ札をくれた。まだ到着したばかりで通貨に慣れてないけど、おおむね合ってる感じ。あとでわかったことだけど彼女は宿主の母親らしく、ここを管理しているけど、英語が話せるわけではないみたいだ。
わたしはやっぱりまだ体調が万全ではなかったみたいで、少し頭痛がするので、ロキソニンを飲んで軽く眠る。そのあいだに実里さんが近所のスーパーで買い物してきてくれた。いったん休んだあと、実里さんと一緒に外に出て、川のほうへと歩いてみる。橋の向こうはバラック小屋が集まる集落になっていた。子供たちの姿がたくさん見えたものの、どういう人たちが住んでいるのか、治安はどうなのか、何も情報がなさすぎるため、今日のところは橋は渡らないことにする(実里さんはちょっと行きたそうな気配を見せていたけど……)。
カフェの「半オク」席でしばらく作業。ステファン・ノエルが紹介してくれた2人の「友人」に連絡をとってみる。2人とも、2010年にイスタンブールで開催されたIETM(旧Informal European Theatre Meeting、現International Network for Contemporary Performing Arts)で会ったきりらしく、つまりは薄い繋がりでしかないはずなのに、こんなよくわからない謎アーティストと会ってもいいよとすぐにメールに返事をくれていたのだった。2人とは明日会うことになった。どんな人たちなんだろう。






Day 25 金曜日
アパートメントの唯一の弱点(?)は、朝の6時〜8時頃にかけて強烈な朝日が差し込むことだった。早起きする人にとっては弱点ではないんだろうけど。
さて朝11時から、ステファンが紹介してくれた友人のひとり、キロさんとマケドニア広場で待ち合わせ。川沿いに歩いていくと、巨大なアレクサンダー大王の銅像があり、その下であまりの大きさに驚いていると、キロさんが現れた。思わず「Too big」と言ってしまったのだが、それがもしかしたら失礼だったか、どうだったか、よくわからない。近くの、隠れ家っぽいカフェに案内してもらう。彼はパフォーミングアーツの人というわけではなく、どちらかというとデザイン系で、映画イベントにも関わったりしている。1980年代の北マケドニアのアートシーンの話など、実に興味深かった。1968年のインパクトはここにもあったみたいで、そこで生まれたカウンターカルチャーというか潮流に対して、チトー(ユーゴスラヴィアのカリスマ大統領)は比較的寛容であった、というのがキロさんの見立てだ。しかし1980年にチトーが死去して、やがてユーゴスラヴィアは解体、バルカン半島は恐ろしい混乱へと突入していくことになる……。そういった話を聴きながら、わたしは、キロさんの手がすごく綺麗なことに魅入られていた。
ベーシックなバルカン(旧ユーゴスラヴィア)の歴史については、アルバニア〜コソボ〜北マケドニアと旅をしてくる中で、じわじわと学んできた。ただ、その複雑さをある程度(あくまで、ある程度)理解している今、初めて密に話す北マケドニアの人に対して、そして「北マケドニア人」といってもいろんなバックボーンの可能性がある中で、どこにどう地雷があるかわからない、と慎重になってしまう自分がいた。
かつて10年ほど前に、アーティストのチョイ・カファイが「外国人カード」という言葉を使っていたのを思い出す。彼は一連のインタビューシリーズを通してアーカイブ的な作品をつくるなど、様々なリサーチを行っていることでも知られるが、その彼曰く、あえて「外国人」として、その土地のコンテクストを理解していないふりをしてずかずかと踏み入れる領域もある……という話だった。もしかしたら、今こそ「外国人カード」を使う時なのかもしれない。一方で、わたしとしては、ステファンがある意味ではアクロバティックに繋いでくれたこのご縁を大切にしたいという気持ちもあり、今日のところは、いったん探り探りという感じで無理に踏み込まなくてももいいのではないか、と考えた。キロさんは、仕事の合間の1時間しかないと言ってたのに、大幅に時間を超過してわたしたちに付き合って、コーヒーをごちそうしてくれた。そして「ここから左に行けばマケドニア広場、右に行けば……」と演劇クエスト風の道案内をしてくれて、いったんお別れした。
マザーテレサの記念館や、教会などを覗いて、軽くバーガーを食べたあと、今度はイシュクラさんと会う。彼女はよく行くらしいマイクロブルワリーに招待してくれたのだが、ここは非常に興味深い場所で、左側はタップビール(生ビール)を提供するお店、右側は輸入ものの瓶ビールを取り揃えたお店になっている。このふたつのお店の経営は別なのだが、「お互いにコラボレーションしている」らしい。実際、お客は好きなようにどちらかのビールを買って軒先で飲むことができる。まあ要するに角打ちみたいなお店なのだが、ビールも美味しいし、コミュニティが存在している感じがすごくあって、わたしも実里さんもすっかり気に入ってしまった。バルカンに来てついに「お気に入りの場所」に出会った感じ。(過去のこういう場所を思い出すと、例えば香港の彩虹地区でおっちゃんたちが飲んだくれてるワンさんの店や、バンコクのターディンデン地区のおばちゃんの駄菓子屋、ビルバオのサンフランシスコ地区のエヴァが仕切っているバル、フィリピン・マニラのティーチャーズビレッジにあるフライング・ハウス……といった足繁く通った店たちに匹敵する「開かれ方」を感じる。)
そしてその店にポスターが貼ってあった。ああ、それね、音楽イベントを今ちょうどスコピエでやってるんだよ、興味ある?……と言われて眺めてみると、あれ……あれれ、マチュメじゃん! 4年前に南アフリカのナショナル・アート・フェスティバルに参加した時に同じくアーティストとして招聘されていたMatchume Zangoのライブが、なんと明日ここスコピエであるという。マジか!と思ってマチュメに「スコピエにいるの?」と連絡してみると、「今フライトの乗り換えだよ」とすぐに返事があって、うわー、まじか。もちろんすぐにライブ公演を予約。
いったん解散。バスのアプリを使用したいのだが、Wi-Fiがないとうまくトップアップ(チャージ)してくれないみたいで、やむなくカフェに寄ってそれをしてから(わたしはここでもビールを飲んだ。実里さんはほとんど寝ていた)、バスに乗って宿に帰る。
小一時間だけ休んで、動き出す。再びバスに乗ろうとしたのだが、目当てのバスをつかまえるのが難しい。というのは、Googleマップは完全には正確なルートや時間を表示してくれないし、専用アプリのほうも不正確なうえに使いづらい。結局20分近く遅れて、ようやくアーティストトークの場所Jadroに到着。イシュクラさんが門前で待っていてくれて、中に滑り込む。
トークは、ニューヨークから来ている振付家Luciana Achugarによるもの。1時間半ほど映像を交えて喋ったあと、彼女の語りはそのままパフォーマンスへと移行した。紹介されていた映像で、客席で音が立てられるパフォーマンスは特に興味深かった。振る舞いワインを飲みながら少し話す。それと、Iskraさんには若いダンサーたち、Tereza LazarevとAlexandra Petrushevskaを紹介してもらう。Iskraさんによると、マケドニアの未来だ、という。
日曜にはスコピエを出発しないといけない。それは無理だろう、もう少しこのスコピエで時間を過ごしてみたいと思い、宿も空いていたので、延泊することにした。










Day 26 土曜日
朝、カフェをはしごして作業。いったん昼寝タイムに入るも眠れず。夕方に出かける時、わたしはどうせ通り道だからとバスターミナルのATMでお金を下ろしたかったのだが(家主に追加の宿代を現金で払う必要があった)、約束の時間を優先したい実里さんとのあいだでちょっと揉める。おまけにバスが予定通り来ない。Googleマップはもちろん、バス会社のアプリも著しく正確さを欠いている。そうなると、「諦めて歩く」「目当てのバスを待つ」「とりあえず来たバスに飛び乗ってみる」という選択肢が発生することになり、合議制を維持するかぎりそれは争いの火種となるのだった。やっぱり合流地点だけ決めてあとは自由に、といった時間をもう少し増やしたほうがよさそう。
実里さんが気にしていた「約束」というのは、昨日マイクロブルワリーで出会ったニコラが、妻である人と共に古着市をやっていて、それが18時までと聞いていたのだった。バスのトラブルがあったとはいえ、17時半頃には着いておしゃべり。彼らは時々旅をしていて、旅先で手に入れた服を売ることもあるみたい。デザイナーさんとか常連さんもいて、話していると「おばあちゃんはユーゴスラビアの出身で」というような言葉が出てくる。今は存在しない国。現在の地図に照らして、その地域の名称を指すこともできるだろうけど、人間の帰属意識というのはそう簡単に「再編集」できるものではないのだろう。
歩いて川を越え、旧市街のほうへと向かう。オスマントルコ時代の名残が色濃いエリアで、川向こうとは全然雰囲気が違う。観光客も物乞いも多い。軽くビールを飲みたかったけれどカード払いできるところがないし、騒がしい雰囲気を避けたかったから、だいぶ歩いた先の静かなビアバーへ。悪い店ではなかったけれど、さすがに昨日飲んだマイクロブルワリーの新鮮なタップビールと比べてしまうと味は雲泥の差だった。実里さんが、同じ銘柄のビールなのになんでこんなに味が違うの?!と驚いている。ふふふ、君もついにビールの奥深さに目覚めたかね。
MKCという文化施設に行く。パフォーマンスは22時からと書いてあったけど、一向に始まる気配はない。なんかこの時間感覚のゆるさはわたしにマニラを思い出させて好感が持てる。実里さんと、何時に始まるかな、と賭けをしたりして待つ。
1本目はMatchume Zangoのパフォーマンス『Native Practices of Mozambique』。彼の出身地であるモザンビークの人々の踊りを映し出すスクリーンの前で、マチュメがパワフルな演奏をする1時間。圧巻のパフォーマンスだったけど、倫理的には大きな問いも孕んでいる。マチュメがどの程度それらのコミュニティと繋がりがあるのかはわからないけど、もし彼自身がそのコミュニティの出身だとしたら、彼は「当事者」と見なされるのだろうか。まったく無許可で撮影しているわけではないことは映像から感じられたけど、聴衆全員に許可はとってないだろうし、被撮影者たちにどれだけの報酬があるのかもわからない。少なくとも、上演のたびに彼らの懐にお金が入るような設計にまではたぶんしてないだろう。では彼が寄付でもすれば倫理的に解決されるのか。それでも彼だけが国際的に移動する特権を持ち、名声を高めることができるという問題はどうなるのか。そしてそのパフォーマンスを、バルカンとはいえ白人系の人たちが多いこの「ヨーロッパ」の会場で見せるというのはどういう意味を持つのか。マチュメはパフォーマンスの最後に、このコミュニティの人たちの姿を忘れないでほしい、と言った。それは真摯な言葉だったが、そのひとことによってこの場にいる人たちのすべてが「免罪」されるわけではなかった。
実里さんはこうした倫理的問題について「ざらっとしたもの」と表現した。しかし実際のところ、わたしはそうした「ざらっとした」倫理的問題が頭の片隅にこびりつきながらも、1時間ほど続いたその映像とマチュメのパワフルなパフォーマンスとに勇気付けられたのだった。
去年のBIPAM(バンコク舞台芸術ミーティング)で、書籍『Very Thai』についてのセッションでも、この問題について議論したことがある。たしかに今は、権力構造の偏りについてセンシティブな時代に入っているし、搾取への懸念や批判は真っ当だとも思う。一方で、「representation=表象・代理――誰かや何かを別の時間・場所・形で立ち現れさせること」が人類史に果たす役割についても考え、採取とアーカイブの必要性も認識しなくてはいけないのではないか。現在「正しい」とされる価値観だけで、過去・現在・未来と続いていくことのすべてを性急に判断してしまうのは危うい。
マチュメの作品は、まさに映像を通した「representation」の可能性を感じさせてくれるものであった。「正しさ」に貫かれたわたしたちは容易にこの作品を批判することができるだろう。しかしこの「representation」がなければ、いったい誰がこの映像に映っているモザンビークの人たちの存在や踊りの躍動感といったものを想像するだろうか。もし、彼らを「貧しくて可哀想な人たち」としてのみ映す報道的な「representation」のみが許されるということなら、やはりそこに生まれてしまっている「何を正しいとし、何がそうでないとみなされるのか」の歪みについても考えないと、世界認識・他者認識の仕組みはどんどん貧相で狭いものになっていってしまう。アーティストはそういった歪みに対して抗いうる存在でもあるだろう。マチュメがこの問題に対してどこまで自覚的・意図的なのかはわからないけれど、少なくともこの作品には、そのような問題群を観客へと突きつける力強さがあった。
この夜は2本立てで、続いてはタンザニアの女性デュオのパフォーマンスだった。フロアでだいぶ踊る。会場にいるアジア系の見た目の人間はわたしたちだけでちょっと変に目立ってしまっては申し訳ないと思い、最前列とはいえ端っこで踊っていたけれどカメラマンにつかまってしまいしばらく撮られた。実はこういったフェスティバルに参加する時わたしたちはよく撮影される。フェス側にとって見た目が東アジア人であるわたしたちは、「このフェスにはこんなにインターナショナルな客が来てます!」とアピールする格好の素材になるのだろうし、まあ別にいいですよ、と思っておとなしく撮られるようにしている。
そうやって踊っていると、さっきパフォーマンスを終えたばかりのマチュメが話しかけに来てくれた。彼は日本にもよく来ていて、この夏も沖縄に行くらしい。スコピエにはもう1日いられるらしいから、もしも明日お互い元気だったらビールでも飲みに行こう、と軽く約束をして別れる。
パフォーマンスが終わるともう1時近くになっており、夜道を歩いて、バスターミナル前でまだ開いていたハンバーガー屋に寄ってテイクアウトして帰る。玉ねぎが美味しい。家に着いた頃には深夜2時を過ぎていた。










Day 27 日曜日
ゆっくり眠る。前にも書いたように朝日が差し込むために一度目が覚めるけど、ゆっくり眠る。延泊して正解だった。今日移動とか絶対無理だったな。マチュメもやっぱり寝てるのか連絡がない。もしも会えたら、あの作品の創作過程の話とか聞きたかったけど、やむをえない。観客として踊っていただけのわたしたちすら疲れているのだ。
気分を変えようと、夕方にショッピングモールのフードコートに行ってみたけど閉まっていた。日曜はこのモール自体が休みだったらしい……。そのかわりに、帰り道で、実里さんがなんとなく気になる店構えのレストランを見つけて、それは大きな道路の反対側にあったから、いかがわしい看板の薄暗い地下道を潜り抜けて(なんでこんな冒険をしているんだろう)、向かってみる。「赤白のチェックのテーブルクロスを置いている店にハズレはない」と実里さん。恰幅のいい女性店員が頼もしく、オススメを教えてくれる。メニュー表を見て、「あーちょっとぼくらには高すぎるかも」と率直に口にすると、「大丈夫、これはキログラムあたりの値段だから、一皿あたりに換算すると……」と目安の価格を教えてくれて、おお、それなら!と注文。リブステーキは油っこすぎずちょうどよい脂身で、この地方の名物らしいショプスカ・サラータ(Šopska salata、チーズのサラダ)も大変美味しかった。



Day 28 月曜日
10時すぎくらいには宿を出て、再び旧市街に向かう。またもバスを待っていたのだが、いつ来るかわからないし暑いから、実里さんが「もう乗っちゃおう!」と言うのに続いて飛び乗る。そのバスが旧市街に行かないのはわかっていたから、分岐するあたりで降りる。そして道路の対岸のバス停から、ちょうど来たバスに乗り換え。うわー、めっちゃうまくいった。実里さんのリサーチによると90分間は乗れるらしい。いやー、なんか4日目にしてわかってきたね。実里さんは「なんか町を彫刻してる感じがしてきたわ」とご満悦だった。たしかに、ちょっとずつ彫っていって輪郭が見えてくるという喩えはわかる気がする。
ところが……である。ちょうど乗車券チェックのおじさんがやってきたので、わたしたちは自信満々で、アプリに入れてあるアクティベートされたチケットを見せたのだった。すると、ブー、という音。あれ? これってダメな音だよね。何回やってもブー。お前、金が足りないぞ、とおじさん。いや、そうじゃなくてもうアクティベートしてるんですよ、と説明するも、おじさんは英語が喋れるわけではないので話が通じない。押し問答をしているうちに、目当ての降車駅に着いてしまった。幸い、おじさんも元々ここで降りる予定だったらしく、一緒に降りて、説明。近くにいた人が、その人も英語ができるわけではないけど、親切なことに翻訳アプリを使ってサポートしてくれた。ありがとう。わたしの推測では、そもそも90分は乗れるという情報そのものが間違っていた可能性もゼロではないけど(でもアプリにはアクティベート時間がちゃんとスタンプされてる)、むしろ、たぶんバスを乗り換えるたびにピッとそのバスに登録しておくことが必要で、わたしたちはそれをしておらず、そしておじさんも90分は乗り放題というルールを知らないから、この混沌が起きているような感じがした。まあ真実はわからない。誰かそれを知っていたら教えてほしいけど、きっと次に来る時にはルールも変わっているだろう。とにかく、最終的にはおじさんは「観光客には敬意を」とひとことを残して、わたしたちを見逃してくれた。まあこちらがズルをしていたわけではないことはわかってくれたみたいで、最後はにこやかに挨拶して別れた。
さて、旧市街を再訪した理由は、市場に行きたかったからだ。それは予想をはるかに上回る大きさの市場だった。少し覗いてチェリーなど買ってからは、最近の教訓を活かしてそれぞれ別行動ということにして、わたしはカフェへ。PC作業をしたかったのだが、若い店員が人懐こく、いろいろ教えてくれる。彼はスコピエの西のほうにある渓谷Maktaの出身らしく、今もそこに住んでいて毎日バスで通っているらしい。バスアプリを教えてくれる。それは、バス会社公式のアプリSkopjeBusとは別のJSPというアプリで、おお〜、移動経路の検索まではできないものの、たしかに乗り場などをチェックするには良さそう(後で試してみたところ、バスが来る時間もかなり正確だった)。そんなこんなで、実里さんが来るまでずっとおしゃべりしてて仕事にならなかったけど楽しかった。次の町で温泉に入れるかもらしいので、350MKDほどの水着を購入。
13時にIskraさんと待ち合わせしていた。まずはカフェへ。コーヒーを飲みながら話す。彼女はありがたいことにわたしたちとの将来的なコラボレーションも考えてくれているらしいから、もしかしたらこういう可能性があるかも、と相談する。今までいろいろなコラボレーションをしてきたけれど、やっぱりお互いを知るということが大事で、それはいろんな方法を通して「知る」わけだけど、わたしとしては、北マケドニアにおけるコンテンポラリーダンス(あるいは現代的なパフォーミングアーツ)の実践者および観察者としての歴史的な経験を持っているであろう彼女ともし何かをご一緒できるとしたら、より深いところに行くためにも、一度真面目なテーブルを持っておきたいと思ったのだった。そしてこれは予期してなかったけど、彼女の家族ルーツについての凄い話を聞いた。
さて、そろそろビールタイムにしよう!ということで、徒歩1分の、あのマイクロブルワリーに満を持して移動。両店の店主はとても温かくわたしたちの再訪を迎え入れてくれた。やっぱりいいお店だな〜。そしてめちゃ美味しい。ついついビールが進み、話も進む。「初対面の時はさすがに言えなかったけど……」というような話をIskraさんからも聞いたりした。もちろんわたしたちの付き合いはまだあまりにも浅いけど、ひとつ、違う段階に入ったのを感じる。アーシュラ・K・ル=グウィンの『ゲド戦記』を読んだことのある人ならわかると思うけど、あの世界では「真の名前を知ること」がとても重要で、おそらくわたしたちの関係はそういった領域に入ろうとしていた。
わたしたちが飲んだくれながら話しているあいだに、おそらく知的障害を持つ娘さんとその母親らしき人が少し寄っていったのだけれど、そういえば、バルカンに来てから、いわゆる「障害」を持つ人たちを町で見かけることが多い気がする。彼らの存在がどの程度、各社会において市民権を得ることができているかはわからないし、彼らがいやすいような場所やコミュニティがどれだけあるのかはわからない(ここも、もちろん排除はされないけど、ものすごく馴染めている感じかというと違う気がする)。それでも、例えばコソボの首都プリシュティナにはいたるところにスロープがあって、車椅子対応のバリアフリーはかなり意識されているように感じた。『演劇クエスト』を作っていると、スロープか階段かというのはかなり大事だからよく見るんだけど、ミラノもビルバオもユトレヒトも、車椅子で進みやすい都市かというとそうではなかったから、プリシュティナのそれはちょっとびっくりしたのだった。
名残惜しいけどIskraさんとお別れして、バスに乗って帰る。そういえば、彼女や常連さんにとってはわたしたちがバスに乗っているというのは「たいへん勇気のある行為(もしくは蛮勇、笑)」らしく、よくスコピエでバスなんか乗れるね、と驚かれる。たしかにバスを使わない人にとってはハードル高いかもしれないけど、でもなんだかバス、好きなんだよなあ……。
夜は、自宅で簡単にご飯を食べたあと、近所のカフェバーで実里さんと作業や相談。スコピエでのこの濃密な日々を終えて、さて我々はどこにいくのだろうか、と昨日くらいから真剣に考えてきた。ソフィアにもステファンの「友人」たちがいるらしいけど、今またすぐに別の町で社交を始めるというのは難しい気がした。それなら地中海方面を目指して、テッサロニキにいったん抜ける手もある。あるいは、北マケドニア南部のオフリドという湖畔の都市で過ごして、そこからティラナ(アルバニア)に戻って飛行機で北のほうに飛ぶというルートも考えた。しかし実里さんが言うには、セルビアのニシュという町に行けば、温泉に入れるかもしれないらしい(その可能性も考えて、市場で水着を買ったのだ)。
温泉はさておき、わたしとしては、とにかくセルビアには行ったほうがいいと感じていた。コソボや北マケドニアを旅しながらその歴史を学んでいると、旧ユーゴスラビアにおいて多数派であり実権を握ってもいたセルビアは、「悪者」の側になってしまう。このままセルビアに行かずにバルカンを去ってしまうことはできない気がした。そう思えるようになったのも、コソボや北マケドニアの風を浴びたからこそだ。何を浴びていて、何を浴びてないか……そのことは考える。でも結局のところ、体当たりで、この身体を運び動かしながら、そこで出会ういろいろなものを浴びていく……それはあらかじめ選びきることはできず、むしろ、そのほとんどは選べない。それが旅というものなんだろう。スコピエの夜は終わっていく。名残惜しい。そしてわたしたちは、昨日まで名前も知らなかった町、ニシュへと向かう。














