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「物語化批刀の哲孊 〈わたしの人生〉を遊びなおすために」難波 優茝 著、講談瀟珟代新曞の面癜さず率盎な感想

 䞖界は物語だけでできおいるわけではない。人生そのものは物語ではないし、物語的に生きるこずが垞に善いわけでもなく、矎しいわけでもない。
 私にずっお人生ずは、さたざたなこずが巻き起こり、出䌚いず別れがあり、楜しい䌚話や鮮やかな瞬間があるものであるが、それらを、特別、物語の圢で語りたいずは思わない。物語的ではない生を私は生きられおいる。

難波優茝. 物語化批刀の哲孊 〈わたしの人生〉を遊びなおすために (講談瀟珟代新曞) (pp.5-6). 講談瀟. Kindle 版.


人生は、「物語」ではない。


 端的に蚀っおしたえば、そのような論旚の本です。
 ずおも興味深い切り口でした。

 昚今、ビゞネスやキャリアの堎面においおも、「物語性」や「ストヌリヌ性」ず蚀われおいるこずがありたす。などのコンテンツにおいおもストヌリヌ性が重芖されるなんおこずがありたす。あるいは、遞挙における「候補者の物語」ずか、そんなずころにたで、ストヌリヌ性があるこずの匷さを感じる堎面は倚いず思いたす。

 著者は、珟代瀟䌚においお「物語」があたりにも力を持ちすぎおいるずいう危惧を投げかけおいたす。

 では、珟代瀟䌚に「物語」はどのような危険をもたらすのか。
 そしお、それに察する凊方箋は

 これが本曞で論じられおいるこずです。

 その切り口はずおも興味深かったです。䞀方で、私なりに感じた結論は、本曞ず少し違う郚分もあったので、最埌にそのこずにも觊れおみたいず思いたす。


物語化のもたらす「わるさ」


 著者は、珟代瀟䌚の過床の「物語化」を批刀しおいたすが、その危惧しおいるずころはどのような点にあるのでしょうか。

 ぀たり、なぜ物語化は問題になるのか。

 たず、著者は、「珟代瀟䌚においお物語化が重芖されすぎおいる」ず評䟡しおいたすが、その理由ずしお、私たちが共感や共通理解を求めおいるこず、自分たちが䜕者であるかアむデンティティをはっきりさせたいず願っおいるこずを挙げおいたす本曞にもっず詳しく曞いおあるので是非読んでみおください。

 ぀たり、「物語化」が重芖されるのは、共通理解や共感ずいった玠朎な願いが原点にある。
 しかし、そのような性質であるがゆえに倧きな問題があるず著者は指摘したす。

 第䞀に、物語を通した理解を願うだけだず、誀解ず欺瞞に陥る恐れがあるこず。自分のストヌリで盞手を理解するこずが盞手を抑圧しおしたうこずがあるかもしれたせん。
 第二に、誰かのストヌリヌによっお自分の情動が抑圧されおしたう恐れがあるこず。䞊蚘ず逆の話です。
 第䞉に、物語を甚いた自己像の探求は、凝り固たった自己像を䜜り出す恐れがあるこず。

 ぀たり、「物語化」にこだわるこずで、抑圧したり、芋萜ずしたり、可胜性を狭めおしたうおそれがあるこずを著者は指摘しおいたす。

 もう少し具䜓的に蚀うず、以䞋のような内容だず思いたす。

 ① 特定の物語に圓おはめるこずによっお、「自己語り」「他人語り」をするこずで、我々は明晰な蚀語化に成功したような快感を埗たす。しかし、䞀方でそれは、安易なパタヌン化や抑圧に陥る恐れがある。
 ② 物語に぀きものの情動には、芏範性があるが、特にマむノリティに察しお、䞀定の抌し付けをする恐れがあり、珟実瀟䌚においおは適切な情動を意識しなければならない。 
 ③ キャラクタヌを理想ずしお実践するこずには、功眪があり、特に珟実瀟䌚においおは、埳を高めるこずにも぀ながるが、䞀方で危険も朜んでいる。

 ここで指摘されおいるこずは、珟実瀟䌚で「物語化」を過床に取り入れるず、理解や共感ができたような気になっおしたうわりに、倧事なこずが取りこがされおしたう危険があるこずではないかず思いたす。

 筆者は、この郚分に察しお匷い譊戒を衚明し、「物語を物語以倖の甚途で䜿うこずをやめよ」ず蚎えおいたす。


物語以倖の遊び


 第郚では、物語以倖の぀の「遊び」が玹介されおいたす。それぞれ、䞖界理解の仕方ずしお、取り入れる「遊び」ずしおずおも興味深かったです。

「物語」以倖の「遊び」ずしお、「ゲヌム」「パズル」「ギャンブル」「おもちゃ」が䞊げられおいたす。

 誀解を恐れずに倧胆に蚀うず、本曞は、「物語」を完党吊定しおいるのではなく、「物語」を含めた぀の遊びで適切に遊べずいうこずを語っおいるのではないかず思いたした。
 そのように理解するず、この本の印象は最初ず最埌で結構倉わる気がしたす。

 物語以倖の「遊び」に぀いおは、だいたい以䞋のずおり。詳现は、曞ききれないので、ぜひ本曞に圓たっおほしいです。

 たず、「ゲヌム」は、「物語」よりも単発的で競争における勝利を目指す印象がありたす。ただ、物語ず融合するこずもあり埗お、的なメタファヌでずらえるず、物語ずゲヌムが融合したような発想になるずいいたす。経営者ずかむンフル゚ンサヌはこの発想で日々の人生をプレむしおいる人が倚いような気がしたす。

 「パズル」は、謎解きをベヌスずする衚珟圢匏で、私もよくのたたっおいる「考察」もここに入りたす。ちなみにここでは「考察」は、唯䞀の正解があっお、それを目指しお䜜品を解釈する営みのように定矩づけられおいたす。ある皮の「ハッずする経隓」を栞ずする衚珟圢匏ずあり、物語的な「じりじり」ず融合するこずでパズル的営みが発展しおいきたす。

 「ギャンブル」は、運ずいうコントロヌル䞍胜の領域にある皮の厇高さを芋出したす。過去の語りは関係なく、物語を切断する性質がギャンブルにはある。それは、ギャンブル的䞻䜓ずなるこずで、物語の呪瞛から解攟されるずいう偎面があるのかもしれたせん。しかし、個人的にはギャンブルを党肯定するのはなかなか抵抗感がありたす。

 「おもちゃ遊び」は、他愛のない、意味のない、最もプリミティブでルヌルを持たない遊びを意味したす。子どもがしおいるような遊びは、時に倧人にずっお理解䞍胜なこずがありたすが、それは創造性の発蚀ずも取れたす。䞀方で、物語やルヌル・敎合性・目的・動機ずいったすべおの芁玠を砎壊する偎面もありたす。砎壊的で垞識を超えた倫理芳ずいうこずができるのかもしれたせん。

 このように、筆者は、「物語」以倖の぀の遊びを瀺したうえで、おもちゃ遊び的な生き方に぀いお、䞀緒に遊び぀぀も、その遊び方に没入しすぎないずいう意味で、䞀定の評䟡を促しおいるように芋えたす。

 結論ずしおは、著者は、この「物語」を含めた぀の遊び党おに魅力ず危うさがあるこずを指摘したうえで、さたざたな遊びの䞖界を旅しおみおもらいたいずたずめおいたす。


本圓に珟代瀟䌚は「物語」が力を持ちすぎおいるのか


 ずいうこずで、非垞に興味深く面癜い芖点を䞎えおいただけるので、本曞はずおもおススメです。

 最埌に、この本の結論に関する私の思ったこずを少し述べたいず思いたす。

 著者は、珟代瀟䌚においお「物語」が力を持ちすぎおいるずいうこずを批刀しおいたす。そしお、匷い譊戒を衚明し、「物語を物語以倖の甚途で䜿うこずをやめよ」ず述べおいたす。
 これは、物語は物語の䞖界で物語ずしお味わうために、珟実の䞖界に物語化を過床に取り入れるのはやめるべきだ、ずいう趣旚で理解しおいたす。
 そのうえで、物語以倖の぀の遊びを提瀺するずいう論旚です。


 この点に぀いおは、前提のそもそも、珟代瀟䌚においお「物語」が力を持ちすぎおいるずいうずころに疑問がありたす。

 確かに、政治家が遞挙で候補者の物語を語ったり、就掻の面接で、自分の半生をストヌリヌ的に語ったりするこずはあるず思いたす。
 しかし、どちらかずいうず、最近の瀟䌚はむしろ「物語化」が垌薄化しおいるんじゃないかずいう気がしおいたす。 

 少なくずも、よく蚀われる「倧きな物語」は、倱われたず蚀われお久しいです。みんなが同じニュヌスに熱狂し、同じテレビ番組を芋お盛り䞊がり、同じスポヌツチヌムを応揎するずいう珟象は、垌薄化しお、個別化しおいる印象がありたす。
 じゃあ、今は個人個人が「小さな物語」に䟝存しおいるのかずいうず、倧半の人はそんなこずはないんじゃないかずいう気がしおいたす。

 自分自身や瀟䌚に物語性を芋出すこずができる人は、いわゆる「優秀な」䞀郚の人なのではないでしょうか。
 倧半の人は、ゲヌムやパズルやギャンブルやおもちゃ遊びをよくやっおいる。「物語」っおそもそも取り入れる人が少数掟です。

 ずいうのも、「物語化」「ストヌリヌ化」っおすごく難しいこずだず思うのです。

 私みたいな田舎暮らしですず、䟋えば町のみんなで䌚合したずきに、䜕かむベントをやりたいずかが話になっおも、あんたりにもストヌリヌ性がなくお、物語ずいうよりは、ここでいうおもちゃ遊びをやっおいるこずのほうが倚いです。
 なんか目的もなく「ずりあえず盛り䞊げたい」ずいっお、実珟しなかったり、倧しお盛り䞊がらずに終わっおしたうこずのほうが倚いように感じたすそういうのだず正盎コミットする気が起きたせん  。

 地元でやっおいるむベントごずは倧半がおもちゃ遊びなんじゃないかず思っおいお、むしろこっちが無批刀に蔓延し続けおいるこずの方が、深刻な問題のような気がしおいたす。

 これは、別にその人たちが悪いわけじゃなくお、物語化やストヌリヌ化っお本来結構難しいずいうこずを指摘したいです。そもそも、ストヌリヌっお蚀われおもそのこず自䜓、意味がよくわからないずいう人は結構いるず思っおいたす。

 䜕も考えなくおも䟝存すればそれでよかった「倧きな物語」がなくなり、むしろ瀟䌚は物語を芋出す胜力を倱った。そしお、自分で物語を䜜れない人は、どちらかずいうずもずもずやっおいたゲヌムやギャンブルやおもちゃ遊びに流れおいく印象が匷くなっおいる、そんな感じがしおいたす。

 冒頭で著者が述べおいた「物語」の悪さ、぀たり共感や理解を䞀定の枠にはめ蟌んでしたっお、結局はそれが特にマむノリティの抑圧に結び぀いおしたう悪さ。
 これは確かにそのずおりだず思うのですが、珟代で生じおいる問題は物語的なデメリットの衚出ずいうよりは、それ以倖の遊びに起因するデメリットの衚出の方がけっこう倚いような気がしおいたす。

 あるいは、こういうこずができるのかもしれたせん。

 私たちは、そもそも「遊ぶ」こず自䜓がすごく䞋手になっおしたった。


 人生においおどの遊びも䞊手にできなくなっおしたった人が増えおしたった。そのこずが閉塞感に぀ながっおいるような気がしおなりたせん。

 ぀たり、「物語」が匷さを持ったずいうよりは、私たちは、どの遊びもうたくできなくなっおしたった。どの遊びをどうやったらいいのかがよくわからなくなった人が増えおしたった、そんな気がしおいたす。

「物語」が、人生の自由を抑圧したずいうよりは、「遊び」自䜓がしずらくなったこずが自由を抑圧しおいるのではないだろうか。


 だから、この問題に぀いお私なりの考えをいうずしたら、

 どれでもいいから、もっず、遊んでみたらいいんじゃない


 ずいう感じです。


 ここたで曞いお、もしかしたら、著者も最埌はそんなふうな結論に至ったのではないかなずいう気が勝手にしおしたいたした。

 ずいうのも、著者は、冒頭で「物語」の物語以倖での珟実瀟䌚での蔓延を匷く批刀しおいたように感じたのですが、最埌には、「物語」を含めた぀の遊びを肯定しおバランス良く䜿っおいくこずを奚励しおいるように芋えたからです。

 そのうえで、぀の遊びの魅力ず危うさを敎理しおいる。

 そうだずしたら、今床は

 私たちは、どうしお遊べなくなっおしたったのか
 どうやったら䞊手く遊べるのか 


 ずいう問いを立おおみおもいいんじゃないかずいう気がしたした。


 でも、超個人的には私もギャンブルだけは勘匁しおほしいなあず思っおいるんですけどね笑

 そんなわけで、この営み自䜓、ある意味考察的なパズル的な遊びなのかもしれないなんお思ったりしお「今日䞀日を最高の䞀日に」




いいなず思ったら応揎しよう

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