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#颚たかせ文芞郚_倜颚          『雚のカンノァス』短線小説

 倜颚がそろそろ身に沁みる季節になっおいた。初めお蚪れた町の宿に飛び蟌みで旅装を解いた。仲居は宿垳を受け取った埌颚呂の堎所を説明しお去った。ボストンバッグを郚屋の隅に抌しやっお私は济衣に着替えた。
 瀟内の“政争”はひずたず収束を芋たものの私は疲れおいた。特別に貰った䌑暇に、䞀人旅でもしおゆっくり䜓を䌑めおらっしゃいず劻に蚀われ、足の向くたた巡った旅である。
 颚呂から䞊がっお郚屋に戻るずいきなり疲れが出た。䜓を䜿ったのでないのだが気持ちが磚り枛っおいた。
 頌んでおいたお銚子䞀本で、手もなく酔いに沈む。酔いの底で雚の音を聞いおいた。い぀の間にか激しく雚が降り出しおいたのだ。激しい雚の音は私を取り囲む空間を倖界から隔お、薄闇はそのたた矊氎䞭の色圩のようでもあっお、そこに挂う快さに浞っおいた。
 埮睡(たどろ)みのカンノァスに懐かしい颚景が次々ず描かれおいく。その景色の䞭にも雚は滂沱(がうだ)ず降るのである。生たれ故郷の颚の匂いがした。故郷の人々の姿は私の幌い頃の蚘憶そのたただった。今は亡き人々も、か぀おの壮䞁の頬の茝きを芋せおあの懐かしい埀還を行き亀った。その息遣いや声は颚景党䜓を芆う雚音に掻き消されお聞こえなかった。無声映画の䞭の䞀霣(ひずこた)のようである。
 そこに私の係环はもう䞀人もいない。䜕幎も足を螏み入れたこずもない。けれど県裏(たなうら)の篠突く雚のスクリヌンの䞭では、そのかみの懐かしき人たちの姿が芋えるのだった。私自身の家族の姿もあった。
 い぀も和やかに暮らしたわけではない。諍いもした。だが懐郷のフィルタヌの向こうではみんな笑顔を湛えた暪顔を芋せおいる。亡き父ず母もどこかに若さの名残を留めおいた。私はその景色の䞭に珟れおこない。自身は酔っお異郷にあり、これは倢の颚景なのだず䞍思議に柄んだ意識の䞭で思っおいた。雚の音を聞きながら、二芪の睊たじさを感じ安心しお眠る子のようにいよいよ深い眠りに沈んでいくのがわかった。
 
 倜半に目芚めるず蒲団の䞭にいた。久し振りに酒を過ごしたはずなのに頭痛も䞍快感もない。ただひどく喉が枇いおいた。目が暗闇に慣れおいない。私は小さな冷蔵庫のあった蟺りぞ膝を這わせた。
 突然廊䞋に乱暎な足音がした。恐怖を芚えお電灯のスむッチをたさぐる。探り圓おおそれを抌したのだが小さなランプしか点かない。ほんのりず郚屋が明るくなったのず、二人の人物が懐かしい我が方蚀で䜕か眵りあいながら飛び蟌んできたのずがほが同時だった。
 䜕だか叫びながら、倧男が小柄な人圱に拳を振り䞊げおいる。薄闇に目が慣れおくるず私は思わず倧声を䞊げそうになった。男女二぀の圱は私の生家の隣の爺さんず婆さんだった。この二人はずうにあの䞖に行ったはずである。自分がただ倢の䞭にいるのだず思った。けれど爺さんの吐く息はこずのほか酒臭く私を蟟易させ、倢でないこずを告げおいた。
 隣家の爺さんは普段はおずなしい働き者だが、ひずたびアルコヌルが入るず床々その劻に暎力を揮った。息子であるその家のオダゞが居る時はいい。女たちや子どもたちしか居ない折は始末に困った。そんな時、劻である婆さんは決たっお私の家に助けを求めに来るのであった。
 私の父を頌るのである。屈匷なこの爺さんに察しお小柄な父であったが、柔道の䞉段を暙抜しおいたものだから、私の家は暎力沙汰が起きるず隣の家に限らずよく嫁たちに逃げ蟌たれる家であった。私は父の五十を過ぎおからの末っ子だったから、この爺さんず父ずは䌌たような幎恰奜だ。
 二人の闖入のシヌンは幌い頃芋慣れおいた。でも異郷の宿の深倜の隒擟では趣が違う。そこぞ、もう䞀人の登堎人物があった。爺さんを䞊回る背䞈の男だった。隣のオダゞすなわちこの爺さんの倅である。
 山仕事を終えお垰ったばかりのような颚䜓をしおいる。今にも婆さんに殎りかかろうずしおいた爺さんの前に立ちはだかっお通せんがのような栌奜をした。爺さんは倅の出珟に明らかに動揺したけれど振䞊げた拳の手前虚勢を匵り続けた。
「熊、このこの、そこをどけ」
 熊吉さんは自分の父芪を睚み぀けたたたその背に母芪を庇っおいる。暫く膠着状態が続いた。そこぞたた軜やかな足音が響いおきた。隒ぎを聞き぀けた女将か仲居であろう。が、そうではなかった。
 二人連れは、私自身の父ず母であった。私は瞬間、蒲団を飛び出しお逃げ出そうずした。母は二十䞉幎前、父は十五幎前、既にこの䞖の人でない。父は自慢のロシア垜子を被り、母は台所仕事の時い぀もそうであるように、薄手のネッカチヌフのような物を姉さん被りにしおいる。
 母が執り成すように隣家の䞉人に声を掛けた。爺さんは䟝然猛烈な酒気の息を吐いおいる。酒で赀黒くなった顔を䞀局充血させお䜕か蚀おうずするのだが、前に倧きな倅、埌ろに柔道の猛者がいるものだから酔った脳髄にも自制心がはたらいおいる。
 父はロシア垜を脱ぎ、その毛皮の感觊を楜しむように指で匄びながら、郚屋の真ん䞭に腰を䞋ろした。そうしお「たあ座れ」ずいう意味の方蚀で䞉人に声を掛け、ズボンの隠しからしんせいを取り出し喫い぀け、爺さんにも䞀本差し出した。たるでその郚屋が自分の家であるかのような物蚀いだった。
 私の心の䞭では、亡き父ず母に察する懐かしさず恐れずがせめぎあっおいた。蒲団の䞊に腰を浮かしたたた為す術も無くただきょずきょずするばかりだ。同時に、隣の爺さん婆さんやオダゞずいい、我が䞡芪ずいい、この私ずいう者にさっきから䞀瞥もくれようずしない振る舞いにやや苛立っおもいた。
「たあた、萜ち着けっお。このずころ顔芋なかったが、山のほうか」
 そんな意味のこずを父は故郷の蚀葉で蚀った。爺さんは返事ずも぀かぬ唞り声を発しおいる。
「久し振りに䞀杯やるか」
 父が重ねおそう蚀うず、老人の顔が少しだけほころんで芋えた。䞀蚀かみさんに悪態を吐いた埌卓子の前にどっかず腰を䞋ろす。
 䞀杯やるずいっおもどこに酒があるのだろうず思っおいるず母がどこからずもなく、「花友」ずレッテルの貌られた䞀升瓶を取り出した。手際よく湯飲み茶碗を䞊べ、男たちにはその「花友」を、自分ず隣の婆さんにはお茶を泚ぐ。぀たみず茶菓子が続いお珟れたのには唖然ずするばかりだった。
 酔うほどに䞀座はしだいに和やかな談笑の颚景ぞず倉わっおいった。圌らは極め付きのふるさず蚀葉で喋っおいた。その蚀葉を私はもう話せないけれど聞き取るこずはできた。私の最初の驚愕ず恐怖も少しず぀薄れおいく。けれど、仮の宿りずはいえ郚屋の䞻人である私を無芖したこの宎に䞀抹の寂しさを芚え始めおもいたのである。
 私は思い切っお圌らぞの仲間入りを詊みた。济衣の裟を盎し立っおいっお父ず母ずの間に䜓を滑り蟌たせた。二人は末っ子の闖入に気付かぬように話し続けた。埮颚が鬢(びん)を吹いたくらいの刺激さえないようだ。私の寂しさはいよいよ増した。
 この時、あるこずが脳裏を過ぎり私は愕然ずした。この堎の䞀団には私の姿は芋えないのではないか。考えおみればここに集う人々は皆死者である。圌らの䞖界にあっおはこの私こそが目に芋えぬ異界の存圚なのではないか。先ほどから詊みようずしお躊躇っおいたこずを私は実行に移すこずにした。
「父さん、母さん」
 たず小声で囁いおみる。二人ずも䜕の反応も瀺さない。今床はやや倧きな声で繰り返した。父も母も隣人も談笑を止めない。私は自分の掚枬が誀り無いこずを悲しい思いで悟らねばならなかった。だが、しみじみず悲しみを味わっおいる暇はなかった。故郷の死者たちの登堎が陞続ず続いたのである。
「俺は悪い人じゃないんだぞ」
 方蚀でそんなこずを繰り返し怒鳎り散らしおいる男がいた。ああ確か竹之䞞さんずいったっけ、ちょっず排萜た響きの名を負った酒飲みがいたな。
 名前ず圓人の颚䜓ずはおよそ釣合わなかったその人は兵隊倖套を手盎ししお身に纏っおいた。前はだらしなく開けられ頭には手拭いで頬かむりしおいる。唇がややずんがっおいるものだから䜕のこずはない、有り様はひょっずこが兵隊の扮装を凝らし酔っお隒いでいるのである。
 この人は酔っおも乱暎をはたらくようなこずはない。ただ話がくどくお、「自分は悪い人ではない」ず繰り返すだけのいたっお気の良い人だった。それでも、酔えば雪の道だろうが凍った小川の䞊だろうが、あるいは銬糞の䞊だろうが所構わず寝っ転がる癖があっお、家人には厄介な酒飲みに違いなかった。その竹之䞞氏が也いた銬糞の匂いをたずっお入っおきたのである。
「おお、竹之䞞、今日はどこで呑(や)っおきた。銬橇の具合はどうだ」
 隣家の爺さんが蚀ったのはそんな意味のこずだった。もうすっかり機嫌は盎っおいる。盞手はそれにすぐには応えず、干鱈の匂いの混じる息を荒く吐き぀぀その蟺に暪たわった。䟋の劂く「俺は悪い人じゃない」ず呟きながら。
 竹之䞞さんに続き、堰(せき)の䞋の婆さん、私の䌯母、そしおこれも酒飲みの屋根屋の陣倪郎爺さん、その他、私の蚘憶にある限りの今は亡きふるさず人が、あるいは茶を飲みあるいは酒を呷り、煎逅の音を賑やかにさせ干し鱈などを毟(むし)った。
 冬の蟲閑期のひずずきのような思い蚭けぬ俄かの宎に四方山話を繰り広げおいくのである。陣倪郎爺さんは干鱈が奜きらしく盛んに毟っおは食べおいる。魚の身の滓を掟手にたき散らしながら。
 宿の郚屋は限られた空間でありながら、際限もなく死者の䞀団を受け入れた。そしお「花友」ずいう故里の酒ず女たちのためのお茶や茶菓子が、これもたたどこからずもなく出おきお、圌らの胎間声ず嬌声は果おもなく続いた。
 死者たちに自分の姿が芋えないこずをいいこずに、私は父の茶碗酒を脇から時々倱敬しながら田舎人の話を聞いおいた。
 今の若者らがもう話すこずもない匷い蚛の蚀葉を圌らは話しおいる。遠い蚘憶にある匂いも郷里の人の息吹によっお蘇る。それは野良仕事や山仕事の匂いかも知れぬ。
 季節の巡りによっお、それは掘り返された土の匂いであったり、袖に觊れた野の花の銙りであったり、時には雪の匂いであったり、銬橇に蜢き朰された柿の実の匂いであったりした。
 皲刈り埌の田に積たれた皲藁に子どもらが䞊っお遊ぶ頃には故郷の山には雪圢が珟れ里にも霙が近いのであった。
 宎の䞭にあっお私は存分に郷愁に耜るこずができた。遠慮も照れもいらなかった。父の肩を揉み母の腰をさする。二人ずも䜕の反応も瀺さないし、自分の気䌑めに過ぎぬこずはわかっおもいたけれど、生前しおやれなかったこずを私は無心に続けおいた。
 そうしお、最前、雚の音を聞きながら埮酔のうちに眠りに萜ちた時のように、故里の人々の荒々しい声を子守唄ず聞き、父ず母ずの間に暪たわっおこの䞊ない安らぎの目を眠った。瀟瀟(しょうしょう)ず吹く颚の音を耳の底に沈たせ぀぀。
 埮睡みの䞭で鈎の音を聞いた。巡瀌の鈎のような音である。
「これでお暇(いずた)いたしたす」 
 そんな意味の方蚀がか现く震えおいる。
「次郎さん、どこぞ行きなさるか。ここに居なさい」
 この地では同姓が倚い。私の父が䞋の名前でそう蚀った。次郎さん䞀家は䞉床の出火を恥じお里を出おいこうずしおいるのである。
「次郎、どこにも行かなくおいい。ここに居ろ」
 さっき女房を远い掛け回しおいた爺さんが優しく蚀う。
「ありがずう。ここの人たちのこずは忘れない、皆さん達者で」
 錻を啜る音がする。次郎さんの女房ず嚘たちに違いない。二人の嚘はどちらも父に䌌おふっくらずした頬をしおいた。私は目を開けようずしお足搔(あが)いおみたが、どうしおもできずにいた。倢う぀぀の䞭で圌女らの面圱をなぞり぀぀再び鈎の音を聞く。そうしおいよいよ深く眠りに萜ちおいった。
 
 頬を撫でられたような気がしお、目が芚めた。誰かが蚀ったわけではないけれど、我が隣人たちずの別れのずきが来たこずを私は悟った。登堎の際の賑やかさずは察照的に、圌らが粛々ず垰り支床を始めたからである。
 䌯母が垰り、堰の䞋の老女が垰り陣倪郎さんが尻をうかせ他の人々もただ薄暗い廊䞋ぞ静かに歩を進めた。最埌に父ず母も腰を䞊げた。
「もう垰るの、父さん、母さん」
 私はたるで小孊生のような声を出した。勿論それに応ずる声を期埅しおはいなかった。呌び止めようず袖を匕っ匵ろうず二人が䜕かの反応を瀺すはずもないのだ。それでも私はもう䞀床同じように父ず母を呌んだ。
 するず、気の所為かその背がぎくりず震えたように芋えた。その埮かな動きに心が隒いだ。それからお䌜噺のような空想が浮かんできお私を捕えた。
 みんな本圓は私の存圚に気が付いおいたのではないか。異界の人々はこの䞖の生者ず亀信するこずがならず、皆その犁忌を守ろうず振舞ったのではなかろうか。そんな想像に答えを求めたのではないのだが、私は背埌からもう䞀床二芪に呌び掛けた。せめお芪䞍孝を詫びたかった。
 父ず母がゆっくり振り返った。私はどきりずした。二人の県差しは確かに私に据えられおいる。嬉しくなっお駆け寄ろうずしたずき䞡芪は鋭くかぶりを振っおそれを制した。
 その厳しさずは反察の優しい瞳が語り掛けた。唇は党く動かないが私ははっきり父母の声を聞いたような気がした。懐かしい声であった。襖が閉められるずその郚屋を静寂が蓋っお兆し始めた朝日が嘘のように遠のいた。
 
 䜕床目の目芚めだったのか。目芚めるず、颚呂䞊がりの埮酔の裡に暪たわったずきのたた私は倜具の䞭にあった。
「賑やかな倢だったな」
 そう呟いた私の頬は濡れおいた。ほんの少し前この郚屋で時ならず繰り広げられた宎の跡は無論ないものの、野良の匂いも雪の匂いも錻腔の奥にその名残を留め、耳朶に圌らの蚛や父ず母の声の響きが慕わしく残っおいた。
 カヌテンを開ける。雚はすっかり䞊がり柿の実に朝日に照らされた雫が光っおいる。優しい倢を芋せおもらった。私は䜕床か瞌ず頬ずを手の甲で拭った。
 䜕気なく卓子に目を遣る。綺麗に拭き蟌たれた片隅に小さな癜い物が芋えた。手にずり眺めおいるずそれが䜕であるか次第にわかっおきた。陣倪郎爺さんが盛んに毟っおいた干し鱈の皮の切れ端であった。 

      ☘囀りを倜明けの倢にずかし蟌む
               涙の玉を頬にずどめお☘ 〔慕雚〕

                 ヌ了ヌ


いいなず思ったら応揎しよう