芋出し画像

巡る季節、「それ」を芋た

初めお「それ」が起こったのは6歳の時だった。

母に買っおもらったお気に入りのお人圢さんを公園の氎溜たりに萜ずしおしたったのだ。

​「あっ」ず声を䞊げた瞬間、芖界が歪んだ。

 気が぀くず、私はどこかの孊校のような堎所に立っおいた。
 足䞋には癜く薄い板が萜ちおいる。

 拟い䞊げようず手を䌞ばした私の目に、い぀もより倧きな手が映り蟌んだ。
 爪は綺麗に磚かれ、指も長くほっそりずしおいる。さっきたでお人圢さんを握りしめおいたはずの、私の小さな手ではない。

​「え」

 思わず挏れた声は、私が知っおいる自分の声よりもずっず䜎くお、倧人びおいた。

 拟い䞊げた板の裏偎は真っ黒でヒビが入っおいる。状況が理解できずに立ち尜くしおいるず、芋知らぬ制服を着たお姉さんが、私の名前を芪しげに呌びながら駆け寄っおきた。

 なにこれ。

 そう思った次の瞬間、䞖界は再び歪み、私の意識は公園に戻っおいた。 

 膝を぀いた母が私に埮笑みかけおいた。

 䞋に目を向けるずお気に入りのお人圢さんが無残にも氎浞しになっおいた。私はそれを芋るず泣きわめいた。

 母は「倧䞈倫じゃないの〜」ず困ったように笑っおいた。


 䞡芪から䜕床も抱きかかえられ、たくさんの愛情を受け日々は過ぎた。季節の流れを感じさせぬほどに。 


 次に「それ」が起こったのは高校2幎生の時だった。

 校舎の階段を勢いよく降りきった瞬間、その勢いでポケットから買ったばかりのスマヌトフォンを萜ずしおしたったのだ。

 「あっ」ず呟いた瞬間、芖界が歪む。

 私は芋知らぬアパヌトの䞀宀にいた。

 介護ベッドの䞊で䞊半身を起こした状態で暪たわっおいた。

 アンティヌクずも叀臭いずも蚀えるような小物がいく぀か郚屋には眮かれおいる。
 ベットの隣には芋知らぬ女性が立っおおり、こちらに向かっおなにか喋っおいる。

 ゆっくりず䞋を向くずベッドの䞊に爪楊枝の刺さったリンゎが萜ちおいた。

 拟おうず思うも腕がやけに重い。䜓党䜓が泥のように重く、なんずも蚀えぬ䞍快感が襲った。
 芋知らぬ女性がスっずリンゎを拟い私に差し出しおくる。

 その瞬間、私は女子高生に戻っおいた。

 スマホは手元にあり無意識に拟っおいたこずを確認した。 
 画面にはヒビが入っおいた。このスマホを萜ずしたこの光景は芋たこずがあった。

 デゞャブに過ぎない、そう考えるも先皋芋た光景が頭を離れなかった。

 あんなみすがらしい郚屋で動けない状態で過ごす未来もありえるのだろうか。
 そんな老埌の生掻は絶察に嫌だ。
 この珟象のこずを100%信じおいるわけではない。

 しかし、そんな未来はすごしたくないからこそ、ずりあえず勉匷は頑匵るこずにした。


 その埌は、䞍安をかき消すように教科曞をめくり、䜕冊ものノヌトを文字で埋め尜くした。
 季節の流れに急かされながら。

 

 その甲斐あっおか、私は地元の名門倧孊に進孊し、無事に郜内の倧手商瀟ぞ就職するこずができた。
 私は故郷を離れ、郜内に越しお新たな生掻を始めた。 

​ フロアに䞊叞の怒号が響き枡るような厳しい䌚瀟であったが、私にはそれがちょうどよかった。
 数字を出せば、それがそのたた通垳の数字に衚れる。努力がそのたた未来の安心ぞず倉わるこの実力瀟䌚は、あの薄暗い郚屋の幻圱に怯える私にずっお、唯䞀の粟神安定剀だった。

 ある時、仲のいい男性からデヌトに誘われた。
 䞀緒に芋たい景色があるからず海ず街が芋える高台ぞ連れ出された。

 ほのかに朮の銙りが混ざった坂を登っおいる途䞭で、私の倧切にしおいた仕事甚のメモ垳がカバンから滑り萜ちた。

​ その瞬間、たたしおも「それ」が起こった。

 朮颚の銙りがカビ臭い埃の匂いぞず倉わり私の錻を぀く。
 ふら぀く足に力を入れおバランスを取る。呚りを芋お、私は唖然ずした。

 そこは、か぀お芋た叀いマンションの䞀宀だった。今たでず同じであれば今回もきっず䜕かを萜ずしたはず。

 䜕を萜ずしたのだろうず足元に目をやるず、そこには䞞い物䜓が萜ちおいた。

 それを拟いあげようず手を䌞ばすず、手入れのされおいない今よりシワの入った手が目に入る。

 萜ちおいた物䜓は動かなくなった叀い懐䞭時蚈だった。それを拟い䞊げるず攟心したように立ち尜くす。
 避けようずした未来は倉わっおいないのか。
 そんな挠然ずした絶望が私を襲った。

 気が぀くず、私は再び、海ず街の景色が䞀望できる高台に立っおいた。

「きれいだろ」

 隣の男が私の顔をのぞき蟌んでくる。確かに綺麗ではあるが、こんなものか。それが私の本心だった。

 今の私には目の前に広がる景色どころではない。脳内には先ほど芋た光景がこびり぀いおいた。

 これだけ努力しおもただ足りないのか。あんな未来は絶察にゎメンだ。

 ただただ皌がなければいけない。私は再び気合いを入れなおし、以前にも増しお仕事にのめり蟌むこずずなった。

 迫るノルマに背䞭を突かれながら、もっず、もっずず数字に手を䌞ばした。季節の流れに気づかぬたたに。

 がむしゃらに数字を远い求めおいたある日、父が唐突に脳梗塞でこの䞖を去った。
 母が朝、起きるず父はもうすでに亡くなっおいたらしい。

 突然の蚃報を受けお数日のあいだ、実家に垰るこずずなった。䞡芪ずは仲は良かったのだが、数カ月に䞀床、電話をする皋床の関係ずなっおいた。
 そのため垰省するのは数幎ぶりだった。

 久しぶりに垰った実家は以前よりも広く感じた。やけに静かな空間に母の嗚咜が響いおいた。

 父に代わっお母をしっかりず守らなければいけない。そう心に誓った。

​ 父の葬儀を終えお数日経った日のこずだった。
 「䞀人ではこの家は広すぎる」ず寂しそうに笑う母に、私は新しい家を買おうず提案した。

 郜心に越しおくれたら定期的に䌚うこずもできるので、できればそうしお欲しいず䌝えた。

 しかし、母が遞んだのは私が想像しおいたような郜心の家ではなく、実家から近い堎所にあるみすがらしい叀いマンションの䞀宀だった。

「ここから芋える景色が奜きなの。よくお父さんずデヌトしたずころが芋えるの」

 そう穏やかに語る母の願いを叶えるため、私は足りない資金を党額出し、母はその郚屋ぞ匕っ越した。

​ 匕っ越しの荷解きを手䌝っおいた時だった。母がふず、叀い箱の䞭から父が昔䜿っおいたずいう懐䞭時蚈を取り出しおきた。

 それを芋た瞬間、私の額にじずりず嫌な汗が吹き出した。

 あの日、高台で「それ」が芋せたビゞョンの䞭で、足元に転がっおいた動かない懐䞭時蚈だった。

 あの叀びた郚屋の光景は、遠い老埌のこずなどではない。そう遠くない未来に、このマンションで起きる珟実なのだず悟り、私は激しく動揺した。

 そんな䞍安から逃げるようにさらにさらに仕事ぞのめり蟌んでいった。
 働いおいる時間は未来のこずを考えないで枈むから。
 
 父を亡くした喪倱感からか、母はみるみる元気を倱っおいった。
 私は母に良い治療を受けさせ、いずれは蚭備の敎った老人ホヌムに入れるために、より䞀局仕事にのめり蟌んだ。

 「母のため」それを免眪笊にしお、​母からの着信画面を䜕床裏返しただろうか。

 「今週末、顔を出すから」ずいう電話越しの玄束は、急な接埅やトラブル察応で幟床ずなく反故にした。

 私はその眪悪感を金銭で打ち消すように、高玚なフルヌツや、高玚ブランドのカバンを母ぞ送った。

​ ある倜、深倜のタクシヌの䞭でスマホを開くず、母から短いメッセヌゞが入っおいた。

「送っおくれた立掟なリンゎ、䞀人じゃ食べきれないから、垰っおきた時に䞀緒に食べよう。い぀でも埅っおたす」

 文字の向こうで、私を気遣いながら寂しそうに埮笑む母の顔が浮かんだ。心が痛んだが、翌朝には新たな数字のプレッシャヌに飲み蟌たれ、「たた今床ね」ずいうあたりにも冷たい䞀蚀の返信で枈たせおしたった。

 ​次に私がそのリンゎを目にしたのは、母が倒れたずいう知らせを受け、息を切らしお駆け぀けたあの叀びたマンションの䞀宀だった。

 私は母の幞せのために呜を削っお働いおいたはずなのに、䞀緒にリンゎの皮を剥くための時間すら䜜れなかったのだ。

 私は母のために働いおいた。母のためにお金を惜したず䜿い続けた。

 しかし皮肉なこずに、仕事を頑匵れば頑匵るほど、母に䌚いに行く時間は倱われおいった。

 医垫の努力の甲斐もむなしく、母はそのたた目を二床ず開くこずはなかった。

​ 誰のために働いおいたのか。
 すべおは母のためだったはずなのに、䞀番倧切な時間を削っおしたった自分ぞの絶望で、私は完党に糞が切れおしたった。

 倱意の䞭、私は仕事に行けなくなり、か぀お皌いだ貯蓄を食い぀ぶしながら䞀幎ほど家に匕きこもる生掻を続けた。

 手の䞭には垞に、母が残したあの懐䞭時蚈があった。母のぬくもりを探すように倧切に握りしめながらも、私の心は垞に恐怖に支配されおいた。

 い぀か、これを萜ずしおしたう日が来る。
 あの未来が珟実になるのだず、芋えない恐怖に怯えながら、ただ息を朜めお過ごしおいた。

 亡き母ず父の思い出を握りしめお時が止たったたたに日々が過ぎた。
 巡る季節は過去ぞの投圱ずなった。

 しかし、萜ずさないようにず现心の泚意を払っおいおもその日は来る。

 怅子から立ち䞊がるず、立ちくらみが起きバランスを厩した。
 嫌だず願っおも、懐䞭時蚈は無情にも手から滑り萜ちる。

 そしお、「それ」が起こる。

 ぐにゃりず芖界が歪むず、私は足元で氎たたりに浞かっおいた人圢を無心で芋぀めおいた。
 それは6歳の私が倧切にしおいた人圢だった。

「ああ、萜ずしちゃったの」

 そう蚀いながら私の前に走っおきた女性は膝を぀いた。
 ゆっくりず顔を䞊げるず、目の前には若かりし日の母がいた。
 柔らかい日差しの䞭で、母からは懐かしい匂いがした。

​ 私は小さな身䜓を震わせお涙が出そうになるのを必死にこらえる。

 泣くのをこらえおいる様子に気づいたのか、母は優しい蚀葉をかける。

「泣かなかったの偉いね」

 そう蚀い、私の頬に぀いおいた泥を手のひらでぬぐっおくれた。
 䜕も蚀えずにいる私に心配そうに母は尋ねる。

「倧䞈倫」

 あぁ、私はなんお幞せなのだろうか。
 たた母に出䌚えるなんお。

 ここに居続けたい。
 今たでの私はすべお倢で、このたた母ず䞀緒に家に垰るこずはできないだろうか。

 そう願っおも無駄なのはわかっおいる。ならば、今の私にできるこずをしなければならない。
 今たでず同じであればここにいられる時間はそう長くはない。

 私は母ず最埌に䌚話をした日を芚えおいなかった。
 圓たり前のようにたた䌚えるず思い、䜕気ない䌚話を終えおいたのだろう。
 しかし、今は違う。
 今床こそは母に䌝えたかったこずを䌝えなければいけない。
 これが本圓に、母ずの最埌の䌚話だずわかっおいるのだから。

「お母さん、私は、倧䞈倫だよ」

そうしっかりず䌝えた。

「よし、いい子だ」

 母は優しい笑顔を浮かべるず、くしゃくしゃず再び頭をなでた。

 さよなら、お母さん。
 心で぀ぶやき目を閉じる。

 目を開くず倧人の私に戻っおいた。手には時を刻むこずをやめた懐䞭時蚈があった。

 しかし私の時は動き出す。埌悔ず喪倱感から打ちひしがれる日々に別れを告げ、これからは私の時間が動き出す。

 い぀たでも立ち止たっおいたら、母を困った顔にしおしたいそうだったから。

 止たっおいた時は再び動き出す。
 巡る季節を楜しみながら私は生きた。 

 私は仕事を蟞め、母が䜏んだ家を拠点にしお旅行に行った。
 お金に困ればパヌトをしおほそがそず皌ぎながらやりたいこずは䜕でもやった。

 しかし若いうちの無茶が祟り、平均よりも早いうちにがん宣告を受けた。

 延呜治療を受ける぀もりはなく、家で最期を迎えたいず医者には䌝えお蚪問看護を頌るこずにした。 

 
 ベッドに暪たわっおいるず看護垫がリンゎを剥いおくれおいた。ふず、遠い昔に芋た光景が脳裏に蘇る。

 今日、私はこのリンゎを萜ずすのだろう。

 これたで、「それ」はその時倧切にしおいるものを萜ずすこずがきっかけで起こっおいた。

 このリンゎは私にずっお、ずっおも倧切なものなのだろう。きっずそれは私の最埌の食事ずいうこずなのだろう。

 看護垫さんはリンゎこちらに向けお手枡そうずしおくる。それを私はうたく掎めずにリンゎが萜ちる。

 萜ちたリンゎを芋おいるず、最埌の「それ」が起こった。
​
 ぐにゃりず䞖界が歪んだ瞬間、病に蝕たれおいた鉛のような䜓が、嘘のように軜くなる。

 薬の匂いしかしない錻腔を、朮颚が勢いよく吹き抜けた。
 同時に、遠くなっおいた耳に波の音ずカモメの鳎き声が鮮明に響く。

 萜ちおいたメモ垳を拟い䞊げ、ゆっくりず顔を䞊げる。
 垞に癜くかすんでいた芖界が、䞀気に色圩を取り戻した。
 目の前には、沈みゆく倪陜を反射しオレンゞに茝く空ず、どこたでも続く海ず街䞊みが広がっおいた。

 私は足を進めおフェンスに手をかける。

 そこは就職しおすぐに誘われおいった高台だった。
 こんなに矎しかったっけ。心からそう思う。

「きれい 」

 蚀う぀もりもなかったのに口からそうこがれた。

 あの日はなんでこの矎しさに気づけなかったのだろう。
 たあ、あの時の私は必死だったからしょうがないか。

 手に持ったメモ垳をふず芋るず私はこの日の私に向かっお、心の䞭で頑匵れず応揎した。

 再び目の前に広がる光景に目をやる。

 頬を撫でる朮颚が、これほど魅力を持っおいたなんお知らなかった。

 芋䞊げた空は吞い蟌たれそうなほど高く、海面は空ずの境界をあやふやにし、無数の宝石のようにきらきらず瞬いおいる。

 この景色を芋た時の私が望んだような未来を歩めたずは思わない。

 それでも、それなりにいい人生だったかな。

 その光景をしっかり堪胜し目を閉じるず、そのたた私は目を開くこずはなかった。

終


語圙力が描写力がもっず欲しい

 今たではがんじヌの「面癜い」を詰め蟌んで曞いおたした。
 今回は読んでくれた人に䜕か感じおほしいなっお気持ちで曞きたした。
 そんなおこがたしい䜜品ですが楜しんでいただけおいたら幞いです。

いいなず思ったら応揎しよう