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No.1883 前日の気遣い

四半世紀前の、私が「桒寿」を迎える前日の事です。

教え子のお母さんから、誕生祝いにと、花とタラの芽をいただきました。
「誕生日の当日には、実家にお帰りになるでしょうから。」
と、前日にわざわざ届けて下さったのです。

その前年、高校を卒業し県外の大学に進学していった教え子を失いました。先天性の病をもって生まれてきたために、何度かの手術に耐え、病院から小学校に通っていたので、
「小学校低学年の頃、あそこ(病院)が自分の家ち思っちょりました。」
と高校生になった彼の家庭訪問の日に、話してくれました。中学時代も、ずいぶん学校を休みましたが、学力は高く、進学の意識も強く、我がクラスの一員となりました。

環境は、人をこんなにも変えるものなのかと教えてくれた男です。いや、その向学心や向上心が、いかに強かったかを教えてくれたのが、彼でした。あれだけ小学校・中学校と欠席を余儀なくされながらも、「小テスト王」となり、弁舌が巧みで思いやりがあるのでクラスメイトに信頼され良き相談相手となり、ついでに担任の猫の手代わりのお助けマンとして活躍までし、高校の三年間を精皆勤し、学習努力賞も受賞し、もう病弱であることを忘れるくらいの別人、出来過ぎ君でした。彼の高校時代は、私の中で「奇跡」の連続でした。

「私ね、子どもが学校から帰って来た時、弁当箱を受け取るでしょ。それを振ると、カラカラって音を聴くのが一番幸せなんです。ああ、今日も元気に過ごせたんだなと思って。」
家庭訪問でお母さんからその話を伺ったときの感動が、忘れられません。

大学の受験校は、自ら決めてきました。自己推薦枠を利用して、面接のときに大学の先生方に自分の病気の事を全て話し、ここで勉強したいことをちゃんと主張したいと言いました。その熱意が通じたのか、受験後すぐに志望大学の先生が来校され、
「ぜひ、彼の面倒を見させてほしい。」
と、わざわざ言いに来てくださいました。こんな大学の先生には、初めてお目にかかりました。彼の人柄が、彼の言葉が、大人を動かしたのでした。

彼は、その昔、外国との交易の要所となった歴史ある県の大学に勇躍進学していきました。順調に生活し、人柄ゆえに多くの友を得て、学問研究の入り口に立って勉強を楽しんでいた半年後、彼の体は急変し、親友が車で実家まで送り届けてくれた数日後、急逝しました。そこに、神様はいなかったのでしょうか?いや、見染められてしまったのでしょうか?もっと生きたかったはずなのに!

私の誕生日の前日にお祝いを持参して下さったお母さんは、こう言ってくれました。
「息子が生きていたら、お誕生日をお祝いしたかったでしょうから。」

そのお母さんは、20年後、彼の岸に向かいました。今、息子との笑顔の会話を楽しんでいると思います。


※画像は、クリエイター・月岡ユウキ@一次創作する呑兵衛🐰さんの、タイトル「山菜のお取り寄せ、再び!」の「タラの芽」の1葉をかたじけなくしました。お礼を申し上げます。