夫婦で夜道をウォーキング
おおきなカミナリと夏の雨が去って、夜風が急に涼しくなった。天気予報を見ると、このあと雨は降らないという。健康診断を控えている中年夫婦。鰹のタタキがメインの夕食を食べ終えて立ち上がり、わたしはさくさくと片付けをする。夫はひと息ついて、ウォーキングウェアに着替えて待っている。わたしたち夫婦のルーティン。一時間ほどの夜道のウォーキングが始まる。
マンションのエレベーターの中は空調がうまくいかないらしく、昼間の熱がこもったままだ。外に出るとほどよい風が吹いている。タオルを首にかけて端をにぎる。「さあ、行きますか!」「よし、行こう!」夫の後ろについて歩き出す。雨上がりの夏のウォーキングは、いつもどこからかヒノキのような匂いと、ジャスミンのような匂い、濡れたアスファルトの匂いがする。
あちらこちらから人が出てきて、ワンちゃんをピカピカ光らせて、歩いたり走ったりしている川沿いの道に進む。橋のたもとでストレッチをしてから、本格的に歩き出す。街灯が照らす道はところどころでこぼこして、わたしたちは声をかけあい、お互いが水たまりを踏まないように教えあって歩く。深呼吸しながら速度を合わせ、少しづつペースを上げる。夜道のウォーキングの素晴らしさは、歩き出して五分もするとやってくる。心の扉が開くのだ。
テレビやネットやあらゆる情報から解放されて、暗い夜道を夫と歩くわたしの固く閉じていた心の扉が、ゆっくりスーッと開いていく。前になったり横に並んだりしながら共に歩く夫に、全開になった心の扉の中にその日見えた景色を伝える。歩きながら、笑いながら、脱線しながら、浮かんだままに。
心の奥にしまい込んで忘れ去られた記憶も、あの時はどうしても言えなくて飲み込んだ言葉も、わたしの中でからまった思考も、夜道のウォーキングでは、全てほどけて自由自在に目の前に立ち上がる。わたしはそれをひとつひとつ、思う存分、描写していく。最愛の夫が受け止めてくれるのに任せて。
このところよく考える書くということについても、幼いころの思い出の棚卸しにしても、優しくて厳しい夫という聴き手に打ち明ける。わたしが下を向きながらでも前に進んでいくために。下を向いて歩くわたしをわたしが全力で支えるために。安全な聴き手を得たわたしは、歩くようにぽつぽつと話し続ける。聴き手となった夫は、わたしが心の水たまりに落ちないようにガイドしながら、励ましながら、流れ始めた物語に辛抱強く寄り添ってくれる。
頭や心だけでなく、身体を動かして汗が流れ始めると、不思議と話の方向も下を向くより前や上を向いていくのがいつものこと。あらゆる悲劇は喜劇になり、トラウマにもみずからのツッコミがはいる。おしゃべりは続き、あとはただ足を前にだす、一歩前に進む。トントンと消えていく傷とチラチラと輝きだす傷。夫とふたり、歩く速度で、これまでとこれからの物語を紡ぐ。
くしゃくしゃのコンビニ袋の中に詰め込まれた、お菓子やペットボトルの殻のような無数のエピソード。小学校、いじめに加わらなかったという理由で、ひとりで食べた遠足のお弁当の無味。ざっくり切られたリュックの背に担任が貼ったガムテープの匂い。ナイフで机に刻まれた殺というひと文字。裕福ではなかった母が買ってくれたおもちゃの人形と、一緒に遊んでくれた嬉しく短い夜。社会人になった弟が一か月遅れで郵送してくれた誕生日祝いの二万円が入った封筒に書かれた「遅くなった、おめでとう」の走り書き。
夜道を歩きながら、夫の前にとりとめのない記憶のひとつひとつを取り出してみれば、それらはすべて大切な素晴らしい冒険譚になり、気がつけばいつのまにか、わたしがわたしの背中を推す。どうでもいいことにしてきたことが、どうでもよくなくなっていくのは、愉快なものだ。まるで夜道のウォーキングは、ヒキガエルだったわたしにかかった魔法を解いて、ぶきっちょでちいさいけれど負けん気の強い勇敢ないっすんぼうしに変えてしまうのだ。
十二年前、彼と子らと人生を歩くと決めたわたしが家族とたどりついたひとつの答えが、夜道のウォーキング。さびついていた心の扉を開かせたのは、夫とわたしのそれぞれが持つ、何があってもこの人と共に生きるという覚悟の現れ。切り抜けてきた課題の数だけ、背負うことになった荷物の分だけ、心にキラキラ光るものがある。わたしと夫の心は、雨上がりの草の上でちいさく光る水滴のような、見逃されてしまいそうな美しさをわけあって共有する。夫の背中を見て思う。お話の世界の、運命の赤い糸ってあるんじゃないかしらと。そして夫との赤い糸を結んでくれたのは、わたしたちの幸せだった部分ではなく、悩みや迷いや苦しみのほうだったんじゃないかしらと。
虫の声をりんりんと響かせながら、夜道がウォーキングにでておいでと呼んでいる。これから先もふたりで歩く。夜道も人生も老化現象という新しい経験も。下を向いて歩くわたしのスニーカーに、ちいさなみどりのコガネムシがとまった。草むらにそっと逃がしながら、立ち止まった夫の背中に目を上げる。幼い子供ふたりを抱えて、メンタル障害も抱えて、四苦八苦して生きていた九つ年上のわたしを選んで結婚するという、大胆不敵な夫という漢。その夫を支える幸せと、夫も子らも幸せにしてみせる!という根拠のない自信をもって再婚したわたしという人間のいいかげんさとわがままさがいりまじって、雨に濡れた夏の草の濃い匂いに溶けていく。幼いころから、わたしが欲しかった幸せとは、夜道のウォーキングのようなもの。自分の外に追いかければ遠く逃げていくのかもしれないが、深海のような生活の奥に見いだそうとすれば、限りなく発掘されるレアメタルのようなものかもしれない。
