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みんなでちょっとづつ

「世界を救っておきますね」


言ってみたいなそんなこと。世界のためにできること、未来のためにできること。身近な生活をぐるっと見回して、探してみたけど答えは出ない。その上なぜか、毎年八月最後の日と九月最初の日には、心が不調になる私。落ち込んだ心を抱えてスーパーへとぼとぼ歩く。ほどけて垂れ下がった靴紐みたいなやるせなさ、クーラーの室外機から廃棄される水のような濁った感情。


見切り品コーナーでしなびたセロリを発見する。赤いテープに百円と書いてある。あとはしなびた百円のしいたけとバナナも半額。よし!今夜は豚バラとセロリの黒コショウ炒め、しいたけとツナの炊き込みご飯、バナナはきっと甘いからこめ油を使ったバナナケーキにしようかな。材料を選びながらカゴに入れる。ああ、もしかして私はちょっとだけ世界を救っているのかも。


ひとりで大きな事はできるはずない。起業してないし政治家でもない。すぐに落ち込む平凡な主婦を投げ出すことなく生きるのが私の誇り。無名だからできる事がある。組織じゃないから自由に動ける事がある。元気を失った友達をランチに誘って五時間おしゃべり。落ち込んだ彼女を久しぶりに笑わせられるのは、同じく元気のない落ち込んでダメになってるこの私なんだ。


スーパーの隅の方、元気をなくしかけた見切り品を生き返らせて、家族を喜ばせる事ができるのは、私が平凡な主婦を謳歌してこそ。誰もが安心してここにいていい、どんなあなたも必要とされているんだと感じられる未来を形作るのは、スローガンだけでは不可能だ。名も無きみんながちょっとづつ、その人だからできる何かをやっている事が、未来の為になってるって信じていいって私は思う。


私自身も、振り返ってみれば、見切り品コーナーの傷みかけたバナナに感情移入をしてしまう。十数年前、現れた現在の夫が、私達の手を取って助けてくれた。愛する夫に出会っていなければ、子らの健やかな未来もなかったかもしれない。


再婚でなくても、隣り合い、偶然出会った誰か、縁があったひとりを大切にする事は、世界を救った事になる。世界を救うのはみんなでちょっとづつだろう。私が未来のために何かするのなら、ダメな私がまた現れても、私自身を決して見限ったりしない事が始まりかなあ。


落ち込んでもいい。休んでもいい。ゆっくりいこう。未来は明るいって少し思うだけで何かが変わっていくって信じてみよう。みんなでちょっとづつ。

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