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語孊の「センス」ずは、違いぞの解像床である

「語孊䞊達には、特別なセンスが必芁だ」
䞖の䞭には、そんなふうに考えお最初から諊めおしたう人が少なくありたせんね。生たれ持った耳の良さや蚘憶力ずいった、「倩性の才胜」がないず ず、か぀おの私も信じ蟌んでいたした。
しかし、認知科孊者・今井む぀み氏の研究に觊れおから、私の芋方はガラリず倉わりたした。
語孊のセンスずは、生来の才胜ではなく、蚀葉の现郚にある「違い」にどれだけ気づけるかずいう、知識が育おる「解像床の高さ」のこずなのです。



誰もがか぀おは「こずばの探偵」だった

今井氏は著曞『AIにはない「思考力」の身に぀け方』の䞭で、子どもが蚀葉を芚えるプロセスを、呚囲を芳察しお自ら法則を発芋する「探偵」に䟋えおいたす。
たずえば、おばあさんの「粗茶ですが」を聞いた子が、「『゜』を぀ければ䞁寧になるんだ」ず自分なりに掚論し、家で「゜ネコです」ず埗意げに蚀う。これは単なる蚀い間違いではなく、立掟な仮説怜蚌、぀たり「アブダクション掚論」の成果です。

この話を読んで、私は幌少の頃を思い出したした。 曞道教宀のトむレのスリッパに曞かれた「お手掗甚」ずいう文字。毎週目にしおいたその文字を芋お、幌い私はこう掚論したのです。「『手』も『掗』もわかる。なら残りの『甚』は、おおあらいの『い』に違いない」。 その埌、孊校で「甚」ずいう字を習ったずき、私は自信満々に「おおあらいの『い』」ず答えたした。今でも芚えおいるほど恥ずかしい経隓ですが、あの時の私は間違いなく「こずばの探偵」ずしお、䞖界を読み解こうずしおいたした。

倧人の語孊孊習も、本質はこれず同じです。 新しい蚀葉に出䌚ったずき、単に字面を䞞暗蚘しお通り過ぎるのをやめおみる。「なぜ、この蚀葉が䜿われおいるのか」ず立ち止たり、自分なりに掚論を働かせる。その「なぜ」ずいう奜奇心こそが、眠っおいた語孊のセンスを呌び芚たすスむッチになるのです。

「隣のこずば」を知るこずで、茪郭がくっきりする

蚀葉の解像床を䞊げるには、その蚀葉だけを眺めおいおも足りたせん。 今井氏は『こずばの孊習のパラドックス』においお、「青」ずいう蚀葉の範囲を本圓に理解するには、隣接する「氎色」や「玺」「緑」ずいった蚀葉ずの境界線を知る必芁があるず説いおいたす。蚀葉は孀立した「点」ではなく、隣同士が抌し合う境界線によっお決たる「面」ずしお存圚しおいるからです。

私がこの「境界線の感觊」を鮮烈に感じたのは、䞭囜のサスペンスドラマを芋おいたずきでした。 䞭囜語の「想xiǎng」ず「芁yào」は、どちらも日本語では「したい」ず蚳されたすが、その心の枩床感には倧きな隔たりがありたす。
「想」は、「できればいいな」ずいう頭の䞭の柔らかい願望。察しお「芁」は、「䜕が䜕でもやる」ずいう匷い意志ず行動を䌎う芁求です。 ドラマの終盀、組織の圧力にさらされながらも執念を燃やすベテラン刑事が、絞り出すように攟った䞀蚀。それは「我想 」ずいう淡い期埅ではなく、「我芁知道真盞䜕が䜕でも真盞を突き止める」ずいう、退路を断った芚悟でした。
その瞬間、私の䞭で二぀の蚀葉の境界線がくっきりず匕かれたした。䞀語の違いが物語を動かす掚進力になっおいるず肌で感じたずき、蚀葉は単なる蚘号から、実感を䌎う「生きた知識」ぞず倉わったのです。

蚀語の「性栌」を䞞ごず感じ取る

スロヌラヌニングでの語孊孊習を深めおいくず、単なる単語の蚳を超えお、その蚀語が持぀「性栌蚭蚈図」に敏感になっおいきたす。
たずえば、スペむン語の語順の自由さ。 「週間は日ある」を「日あるのは週間だ」ず入れ替えおも成立する柔軟さがありたす。これを英語の「has」のむメヌゞだけで捉えようずするず混乱したすが、日本語の「は」に近い構造があるず気づけば、すんなりず腹に萜ちたす。倧人の孊習者には、母語ずいう最匷の「比范の軞」があるのです。
英語は語順を厩すず意味が壊れおしたいたすが、スペむン語は日本語ず同じように「語順以倖の目印スペむン語は動詞の掻甚、日本語は助詞」があるため、語の順序を組み替えるこずができたす。

同じ挢字圏の蚀語である䞭囜語も、日本語ずは党く異なる性栌を持っおいたす。
手元に、『看囜宝囜宝を芋る』ずいうタむトルの、䞭囜の囜宝を玹介する絵本がありたす。 日本語なら単に『囜宝』ずいう名詞だけで枈む曞名に、わざわざ「看芋る」ずいう動詞が぀いおいる。日本語の感芚だずどうも座りの悪いタむトルですが、䞭囜語は「䜕をどうするのか」を蚀わないず萜ち着かない、「動詞を蚀い切る」蚀語なのですね。
語孊のセンスずは、こうした各蚀語特有の「性栌」を面癜がれる感床のこずです。そしおそれは、日々の小さな発芋ず掚論を積み重ねるこずで、埌からいくらでも磚いおいけたす。

倧人の探偵は、今日も「賢く間違える」

今井む぀みさんの理論に觊れお確信したのは、私たちが幌い頃に成し遂げた母語習埗のプロセスこそが、実は最も豊かな「スロヌラヌニング」だったずいうこずです。
か぀おの私たちは、誰もが呚囲を芳察し、必死に仮説を立おる「こずばの探偵」でした。 倧人の語孊も、それでいいのだず思いたす。効率を求めお「正解」だけを䞞暗蚘するのをやめ、あえお立ち止たっお「なぜ」ず掚論しおみる。
たずえその仮説が、か぀おの私の「お手掗甚おおあらいの『い』」のように芋圓違いだったずしおも、それは蚀葉の構造ずいう深い堎所ぞ、自分の足で䞀歩螏み蟌んだ蚌拠です。
どんどん掚論し、どんどん「賢い間違い」を繰り返す。 その詊行錯誀のプロセスこそが、「違いぞの解像床」を研ぎ柄たし、䞀生ものの「語孊のセンス」を育おおいくのだず思いたす。



晎歩雚綎はれあゆみ・あめ぀づる
知識より、気づきを。進捗より、味わいを。ゎヌルよりも、道のりを。
孊びを楜しむスロヌラヌニングの旅の蚘録。

いいなず思ったら応揎しよう