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ひとり ディベート | 文鎮おバさん

有耶無耶うやむや街道まっしぐら…
ここいらで、そろそろ立て直したい。



ヒント

学生の頃、授業で「ディベート」をする機会があった。

ディベートとは、特定のテーマ(論題)に対し、あえて賛成・反対の立場に分かれ、ルールに則って論理的に議論を行い、第三者(ジャッジ・聴衆)を説得することを目指す手法です。

個人的な意見ではなく、与えられた役割に基づいて客観的に論理を組み立て、情報収集・整理・批判的思考力、そして相手を納得させるプレゼンテーション能力などを養うことができます。

AIによる概要 より


アカデミックなきっちりしたものではなかったが、当時日本の公立校では経験していなかったので、海外ではこういう趣向の授業もあるのだなと新鮮だった。

まして自分の意見に関わらず、即興で自分の中に持ったあらゆる情報を総動員して説得し判定してもらうのだから。

いくら自分の中に信念のような 「こっちの方が正しいんだ」というような考えがあったとしても、この場ではそれは一切関係ない。抽選などで肯定側と否定側に割り振られて、その立場に基づいた議論を交わす。

言うなれば、米国映画で見かける陪審制の裁判の弁護士役にでもなって主張するイメージ。もちろん目的は異なるので同一視は危険だが、あのイメージを思い浮かべるのが分かりやすい気がする。


ヒラメキ

なんかちょっと堅苦しい内容で始めてしまったが
これを思い出して、
もしかしたらこの考え方を利用したら、


一人ディベートしているつもりで、
また別の視点に気付けるのかもしれない


と思った。



散々悩んでどうにもならないと思っている事のひとつ、夫との関係。( 延いては人間関係もか… )

「相手の立場になって考えてみる」とはいうものの、
主観的な感情が邪魔をして、どうしてもうまくいかなかった。

何とかあの時のディベートのつもりで、
感情的で主観的になる個人的な意見では無く、
もっと客観的な事実に基づいた冷静な論理で、
問題について納得したい。

白黒判断の夫に納得してもらえる糸口がそれで少しは見つけられるかもしれないと思った。



揉めている渦中にそれを試そうと思ったところで感情を保留しておくなんて難しいのだから、

多少は冷静でいられる一人の時間に、
まして今は時間がとれるのだから、

これまで繰り返している難点をテーマにして、

あの頃のディベートのように
試してみる価値はあるのかも
思えるようになった



タイミング

何かを思えるようになるタイミングは、
他人ひとに何か言われて始まるわけでも無いと思うし、タメになる考えに触れて始まるわけでも無いと思う。

やっぱり、
自分自身で感じ、反応して、考え、ぶつかって、失敗したり、耐えたり、傷付いたり、傷付けたり、…の繰り返しで、

許容範囲の異なる他者との関係という体験を経て、本気でそう思えるようになれるのかなと、

今の私は自分の経験からそう感じている。

当たり前のことなのかもしれないが、
腹落ちした気がする。


フリカエリ

先回りして
予防しようと考えるのは間違いでは無いと思うが、

そのことが
「自分はこんなに〇〇しているのに…、なんで…」
なんて自分で自分の首を絞めていたら話にならない。

まして
勝手に相手に期待して裏切られたような被害者ヅラしてたら、本当に「何やってんだろう…」だ。

今まで散々、
「自分が出来る事は一生懸命にやってきたのに…
ちっとも報われ無い…うんざりだ…」
と自分を傷めつける事ばかりをしてきている気がする。

そんな風に他者から言われようものなら、きっと噛み付いていただろうし、自分では認めなかったと思う。

やはり、
時間がかかっても自分でそう腹落ちするまで
ジタバタするのが私にとっては必要なのだと感じた。具体的にこうすればいいという手立てがある訳じゃ無いが…。



おバさんのぼやき


せっかく腹落ちしたのだから、
早速ヤレば良いのに、

今はこのnote記事を書いている。

いつやるの? →  「今でしょ!」

とはいかないのが 文鎮おバさん な訳なのだが、

自分の頭の中で整理しているつもりになって
徐々に曖昧になって有耶無耶になるのが関の山…

で終わらせない為に、note記事にした次第。


どうにか
「口先おバさん」 にはしたく無いものである。



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