「どこに転職するか」よりも大切な、3年間で得た本当の財産
いつもは英語勉強とか受験にまつわる発信をしている。
だから、今日はちょっとだけ一味違う投稿をしてみようと思う。
——2026年8月31日。 今日、私は3年間務めた会社を退職した。
退職した「きょう」という特別な日だからこそ、
どうしても言葉にして残しておきたくなった。
今思えば、この会社に来て心からよかったと思えた瞬間は、
次の転職先に内定をもらえた時と、
退職を伝えた後の最後の1ヶ月くらいしかなかった。
もちろん、同期や同僚と笑い合った日もあった。
私を慕ってくれる後輩との飲み会は楽しかった。
けれど、記憶の大部分を占めているのは、
どうしようもなく苦しかった日々だ。
同期入社は、一人もいない。
研修中は、名物のモラハラ担当と毎日1on1という名の「詰め」。
配属後は、毎日8:30出社・22:00退勤。
そして、容赦ない人格否定。
部署異動したもののバックオフィスゆえに給料は上がらず、
取締役からは「誰にでもできる仕事」と切り捨てられる評価。異動後も、当時の上長宛にテキストに打ち込むだけで
指が震えるほどのPTSD。
思い出せばキリがない。
意地と、プライドと、3年という数字
けれど平均勤続年数がやっと1年を超えるような組織で、
よくぞ3年も続いたものだ。
1社目を1年半で辞めている私にとって、
ここは「絶対に途中で投げ出さない」という意地でもあった。
辞意を伝えた時、あんなに怒られていた上司から
「これからが期待できるタイミングだったのに、残念だ」と言われた。
(リップサービスだったとしても、少し救われた)
そして何より、私の退職日の18:30頃で帰る予定であったが、
次々と先輩や後輩たちが席まで足を運んでくれた。
「最後にお話ししたくて」と声をかけてくれる人たち。
会社で身につけたスキルはもちろん財産だ。
けれど、勝手に去っていく人間の最後に、
わざわざ時間を割いて話をしに来てくれる
――その関係性こそが、この3年間で得た最大の財産だと気づいた。
酸いも甘いも、いや、ほとんど「酸っぱすぎる」3年間だった。
それでも、終わりよければすべてよし、なのだろう。
過去の選択を「正解」にする力
私には、好きな言葉がある。
「これまでの選択が成功か失敗かは、今の自分次第」
聞こえのいい言葉だし、
時には妥協した自分を慰めるための言い訳に聞こえるかもしれない。
実際、入社して1年以上は「完全に失敗した」と思っていた。
だけど、その選択をどう正解に持っていくか。
その答えの出し方は、
ただ納得のいく転職先を見つけることだけではなかったのかもしれない。
もちろん、次の転職先が決まったことは大きい。
でも、それを抜きにしても 多くの人が背中を押してくれ、
最後に「ありがとう」と話しに来てくれる関係性を、
この過酷な環境の中で築き上げられたこと。
その事実があるだけで、
「3年前にこの会社を選んでよかった」と、
結果的に思えるように日々奮闘した自分を、今は心から誇らしく思う。
まだ、ここから。
今、毎日の環境に満足できず、
出口の見えないトンネルの中にいる人も多いと思う。
私自身、そんな思いを抱えながら、
少なくとも2年半を過ごしてきたから痛いほどよくわかる。
「たった3年しか働いていない」と言われるかもしれない。
けれど、平均勤続年数も危ういカオスな環境の中で、
よくぞここまでやりきった。
今日は、これでもかというくらい自分を褒めてやろうと思う。
まだまだ若い。やり直しだってきく。
ただ、この3年間で費やした「取り返せない時間」があることも事実だ。
だからこそ、あの地獄のような日々さえも
「私の人生に必要なプロセスだった」と肯定できるように。
私はまた、今日から新しい一歩を踏み出していく。
まだまだ、これからだ。
