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この世でもっと遊びたい、2026

あけましておめでとうございます!!!

ぼけっとしてたら2026年も10日ほどすぎてしまった。今年もよろしくお願いします!

新年、実家でぼーっとしてたときにNetflixの『フランケンシュタイン』を観た。感想、やっぱりギレルモ・デル・トロ監督は俺の心の大スター!! と心の底から嬉しくなった。私はデルトロ監督がかなり好きなのである。私にとって、映画監督名で観ることを決める数人のうちのひとりだ。

そういや前に友達と「人生で好きな映画三本をあげろ」という話になり、『アマデウス』『ゴッドファーザー』『パンズ・ラビリンス』と挙げたな……。もちろんコンディションによって三本は変わるんだろうけど。笑 パンズ・ラビリンスは魂の映画のひとつである。デルトロ監督に感謝している。

で、『フランケンシュタイン』の何が良いって、私は原作も読んでいるのだが、はてしなくこれが終わらない孤独の話だからだ。

フランケンシュタインは、そもそもメアリー・シェリーにとって出産の比喩だったのではないかという解説をされることが多い(というか私にとってはそうとしか読めない小説である)。エイリアンじゃないけど、母にとって怪物という名の胎児の話に見える。だがデルトロ監督は、父と息子からつながる遺伝子の呪いの話に読み換え、孤独という怪物に呪われた少年が、それでも父を失った新しい世界で生き延びようとする話に仕立て上げている。

円形が大量に出てくる。本当に、狂ったように美しい円形が出てくる。輪廻、という言葉を描かずにはいられない。私たちの心の内側には、いつだって孤独に震え、ヴィクターという父の名を呻きながら迷えるフランケンシュタインが存在している。

まあそんなわけで『フランケンシュタイン』はとても好きな映画だったので嬉しかったのだが、私が感銘を受けたのは、さらにギレルモ監督が、画面中にこれでもかと美しい遊びをたくさん散りばめてたことだ。

もちろん、それは遊びなんかではない。そこにあるべき表現だ。だけどギレルモ監督が普段からたくさん、たくさんいろんなものを体の中に取り入れてるからこそ、あんなふうに画面の中に過剰なまでにたくさん美しい構図を収められるんじゃないかとぼんやり思った。衣装、背景、構図、たくさんのものがギレルモ監督の過剰さをつくりだす。それはたくさん遊んでいるからだと私は思う。自分の好きなものが、こっちのほうがいいという価値判断が、この世にたくさんある。それは遊んだ結果でしかない。画面上に現れるのだ。

そう、遊ばなきゃだめだ。今年はたくさん遊んでゆきたい。

身軽に、茶目っ気と、愛情と、生活と、遊びを、ぜんぶ日々に盛り込んでゆきたい。強欲だが、それしかないと思う。いいものを書くためには。


昨年、振り返ってみると『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』と『好きを言語化する技術』が褒められたことで妙に「時代の空気を読むのが上手い人」みたいな扱いを一部で受けてしまった気がするのだが、そこになんとなく自分が縛られていたのかもなあ、と『フランケンシュタイン』を観て反省したのである。

いや、だって、『好きを言語化する技術』の中身を書いてたのは2022年だし、何が流行るかなんてわからないものである。もちろん趣味としての時代観察みたいなものはやるし楽しいのだが、本質的に自分にとって書くということは、博打を打つことにも似ていて、どれくらいみんなが楽しんでくれるかなんて、本当にわからないのだ。

だからこそ、むしろ、自分自身がめいっぱい書くもののなかで遊ぶ、楽しむ、好きなものを過剰に、熱狂的に、入れ込むのが重要なのである。

生活があってこそ、遊びの時間がある。それは消費することでもあるし、浪費することでもあるし、後悔することでもある。取り戻そうとすることでもある。しかしそういうものを生活に入れてゆかないと、早晩、行き詰まる。『フランケンシュタイン』は作れない。つくるものが大きくなればなるほど、古典に対峙すればするほど、ちゃんと自分の中に遊んでる自分、茶目っ気と隙とユーモアと余剰と過剰を抱いている自分がいなきゃいけない。

時代を追うなんて真っ平である。時代はひとりひとりがつくるものである。

そういう意味で、今年はちゃんと遊んでゆきたい。隙をもって、心の底から熱狂したい。


2026年もよろしくお願いします!


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