【noteの読み方・脇道①】先に間違えろ。では、その間違いに縛られたら?
第2回への自己反論|仮の答えは、読むための足場にも、視野を狭める囲いにもなる
第2回で、僕は「読む前に、仮の答えを置く」と書いた。
筆者の答えを先に読んで「なるほど」と終わらせないためだ。自分の出発点を残しておけば、読んだあとに何が変わったかを比べられる。
だが、この方法には単純な反論がある。
先に答えを作ったら、その答えに都合のよいところしか読まなくなるのではないか。
これは、かなり痛い。
仮の答えが、読む範囲を決めてしまう

たとえば、読む前にこう予想したとする。
AIの文章が頭に残らないのは、滑らかすぎるからだ。
この仮の答えを持って本文を開くと、「滑らか」「引っかかりがない」「考えなくて済む」といった言葉が先に目へ入る。それ自体は悪くない。問題は、目についた記述ばかりが、自分の予想を裏づける材料に見え始めることだ。
本文には、情報量が多すぎる、内容への関心が薄い、画面で読むと疲れる、といった別の説明もあるかもしれない。ところが「滑らかさ」が原因だと思っていると、そうした部分は読み飛ばしやすくなる。
文字検索を使うと、この偏りはさらに分かりやすい。
「滑らか」と検索すれば、その言葉が書かれた場所へはすぐに移動できる。しかし、筆者が同じ問題を別の言葉で説明していたり、まったく別の原因を挙げていたりしても、それは検索結果に出てこない。
検索で見つからなかったから、その説明が存在しないわけではない。自分の予想が検索する言葉を決め、その言葉が、本文のどこを見るかを決めている。

第2回で示した、
Q → 仮A → 筆者A → 差分
という流れは、簡単にこう変わる。
Q → 仮A → 都合のよい筆者Aだけ拾う → 仮Aを守る
これでは答え合わせではなく、自分の答えの防衛だ。
筆者と違えば、読者が深いとは限らない

僕は、読者と筆者では、持っている知識の点、つまりノードと、それを結ぶエッジが違うと書いた。
だが、「違う」というだけで価値が生まれるわけではない。
読者の知識が古いこともある。一度の経験を一般化していることもある。最初から嫌いな相手の文章なら、内容より先に粗を探すこともある。
自分の地図も、筆者の地図と同じように間違う。
だから、筆者と違う結論へ着いたことだけでは、まだ批評にならない。どの情報を使い、どの情報を捨て、その線を引いたのかまで見なければならない。
仮の答えに、出口をつけておく

では、仮の答えを持たずに読めばよいのか。
そうすると今度は、筆者の説明に流され、読む前の自分が消える。第2回の問題へ戻ってしまう。
答えを持たなければ流される。答えを持てば固まる。
この二つを完全に避ける方法を、僕はまだ持っていない。今のところ試せそうなのは、仮Aに一行だけ足すことだ。
何が出てきたら、この答えを変えるか。
「反対のデータがあれば」「別の原因を説明できれば」「自分以外の経験が複数あれば」。読む前に変更条件を決めておけば、仮Aは守るべき意見ではなく、動かせる現在地になるかもしれない。
それでも、書いた答えに縛られる人はいるだろう。逆に、一行増えたことで面倒になり、そもそも試さない人もいる。
僕自身は今のところ、答えを持たずに「なるほど」で終わる失敗のほうを避けたい。だから仮Aを使う。ただし、これは全員にとっての正解ではない。
あなたは、どちらの失敗が多いだろう。
答えを持たずに、筆者へ流される。
答えを持って、自分の中で固まる。
第2回を読んで引っかかった場所があれば、その分かれ道をコメントで教えてほしい。僕の方法を守るためではなく、どこで壊れるのかを知るために。
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