愛媛・宇和島城、若い頃ならスルーしていた歴史が、今は面白く感じる
愛媛県の宇和島城に行ってきました。
江戸時代からそのまま残る木造の天守閣。 大きな石垣。
若い頃の私なら、写真撮って 「趣あるな」で終わっていたと思います。
でも今回、現地でひとつの話を聞いて、 「これは面白い」と思いました。
雪降る仙台から、温暖な愛媛へ
最初に気になったのは、 宇和島城の初代藩主が、仙台の伊達政宗の長男・秀宗(ひでむね)だったという話です。
伊達家といえば、東北・仙台の雪深いイメージ。 そんな伊達家が、なぜ愛媛の宇和島城も統治していたんだろう?
雪深い仙台から、遠く離れた温暖な愛媛へ派遣される。 現代でいう「転勤」みたいで、まず単純に面白いなと思いました。
でも、そこでさらに疑問がわきます。 なぜ、わざわざ仙台から?
長男なのに、本家を継げなかった人
調べてみると、分かりやすい「お家問題」がありました。
秀宗は政宗の長男でしたが、側室の子だったため、 本家である仙台藩を継ぐことができませんでした。 仙台藩を継いだのは、正室の子である弟の忠宗です。
「あー、そういうことか」と、妙に納得しました。
長男という立場をないがしろにもできないから、代わりに用意されたのが、遠く離れた愛媛・宇和島10万石だったというわけです。
徳川の思惑も、透けて見える
さらに調べると、もう一段深い理由も見えてきました。
家康はかつて政宗に「100万石を与える」と約束しておきながら、 一方的に反故にしていた経緯があり、 宇和島10万石はその埋め合わせという側面もあったようです。
そのうえ、力の大きい伊達家を東西に分断しておきたいという、 徳川側の思惑も透けて見えます。
つまりこの人事、恩を売りながら、 同時に自分たちにとって都合の良い配置もしている。
表向きは「功績に報いる栄転」なのに、 実際には本流から外す意図も、力を分散させる計算も混ざっている。
なぜ今は「面白い」と感じるのか
学生の頃にこの話を聞いても、多分ピンとこなかったと思います。 「へえ、そうなんだ」で終わっていたはずです。
でも組織の中で働いてきた今は、この感覚が妙にわかります。
そういう人事、現代の会社にも普通にあります。 本人の能力や貢献とは別のところで、いろんな思惑が絡み合ってポジションが決まっていく。 それでも表向きの体面はきちんと保たれる。
そのバランス感覚、妙にリアルだなと思いました。
長らく組織の中で働くと、そんなことある?!という理不尽さも経験する。
でも、そういう経験を積んできたからこそ、
石垣や天守閣の向こうに、人間関係や力学まで想像できるようになった分、 以前より確実に面白く感じられるようになりました。
📍 行ってみたい人へ
宇和島城 現存12天守のひとつ。江戸時代からそのままの木造天守閣が残る、貴重なお城です。
アクセス:松山市中心部からは車での移動がおすすめ
天守閣までは石垣沿いの階段が続くので、歩きやすい靴で
