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二重まぶたにご挨拶


一重まぶたの小さな目が子どもの頃からのコンプレックスであった。
全体的に地味な顔で、これはすべてこの小さな目のせいだと思っていた。
若い頃は美容整形で二重まぶたにしようと、何度思ったかわからない。
埋没法、切開法。手術の種類を雑誌の広告で覚えて、実際に手術を受けた人の体験ブログを読み漁った。
残念ながら手術後にダウンタイムを取る時間と勇気がなく、40代後半を過ぎてからはまあいいかという気持ちになっていた。

そんな私が最近、二重まぶたになったのだ。
美容整形手術を受けたわけではない。
3ヶ月ほど前か、朝の洗顔を終えて鏡を見たら両目が二重になっているのに気づいた。あれっ。いつからだ……? これまで、寝不足や疲労などで一時的に二重になることはあったので、今回もそうだろう、すぐ戻るだろうと気にしなかった。
が、元に戻らない。何日経っても何度鏡を見ても、一重まぶたになっていない。よくわからんなと首を傾げつつ、化粧を施しているときにピンと来た。

たるんだのだ。
おでこに今までなかった、まあまあ深めの皺を確認し、わかった。
顔全体の皮膚がごくわずかに下垂し、頑強な一枚皮を誇っていた上まぶたにちょっとだけ覆いかぶさっている。
少女時代から憧れた、綺麗な二重のラインが出現。

それで、だ。顔の印象が変わったかといえば、そんなことは全くない。
化粧で色を乗せれば多少は華やかになるが、素顔は相変わらず地味である。
印象というものは顔全体のバランスにより作られるのだから当然だ。
目の上に一本線ができたからといって、激変はしない。
美人になろうとすれば、目だけでなく鼻、顎、頬骨、ありとあらゆるパーツに大がかりな工事を施さねばならないということを改めて確認できた。

落胆したかと、自分に問うてみた。
答えは「いや。ぜーんぜん」である。強がりではない。

何年か前に、顔のシミをレーザーとピーリングで全て取ったことがある。
小学校から中学高校と、ずっと水泳部だった。真夏の太陽の下で焼き続けた肌には、20代の後半からシミが数え切れないほど浮かんでいたのだ。
それらをすべて取り除いた。
つるりと剥き卵のように仕上がった肌を鏡でまじまじと眺めての感想は

「………なんだか物足りない」

だったのだ。あんなにお金をかけたのに、綺麗なお肌なのに。
なにもなさすぎて、つまらない顔になってしまった。
ため息をつき、それ以来、美容医療はやめた。
数年経った今、シミが復活して自分としては落ち着く顔となっている。
私はどうやら、自分の外見を否定し変更するよりも、どうつきあってゆくかを考えたほうが楽しいフェーズに入ったらしい。

今回は顔から何かを消すのではなく、二重まぶたが足されたわけだが、そうかそうか、まあいずれは見馴れるであろうと受け入れることにした。
もっと年を取ったら三重になるかもしれず、頬や顎がたるむだろう。それに抗って無理矢理引き上げたところで、私のことだ。
「つまらん顔だな」と、きっとまた落胆する。

次々とやってくる老いの気配を面白がりながら、生きてゆくのだ。
二重まぶたよ、謹んでご挨拶申し上げる。
ようこそ我が顔面へ。





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