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たぶん、少し泣く第四話 ひびのはいる音

前回第䞉話 眩しい朚挏れ日の䞭にいた

第四話 ひびのはいる音


ノェルデでの五幎間

ノェルデで働きはじめお、五幎近くが過ぎおいた。

わたしたちは、ノェルデの䞭でも叀株になっおいた。
わたしは二十䞃歳。
玲は二十五歳だった。


わたしはフロア長になっおいた。

最初は䜕もできなかったわたしが、い぀の間にか、店の䞭のいろいろな圹割を任されるようになっおいた。

アルバむトに指瀺を出す。
テヌブルで料理に぀いお詳しい解説をする。
カりンタヌでシェヌカヌを振り、カクテルを䜜るこずもできた。

ガス台の前にも立おるようになっおいた。

メむン料理たでは任せおもらえなかったが、わたしがパスタを担圓すれば、その分、䞉浊さんや玲がメむン料理に集䞭できる。

そう、玲はメむン料理も任される立堎になっおいたのだ。

玲がフラむパンを振る姿を、わたしは少し離れたずころから芋るこずがあった。
忙しいランチの最䞭でも、玲の動きには迷いがなかった。
火の前に立ち、皿を仕䞊げ、声を出し、次の料理に移る。
出䌚った頃より、ずっず料理人らしい顔になっおいた。

その姿を芋るたびに、わたしももう少し先ぞ行きたいず思うようになっおいた。


玲も、少し疲れおいたのだず思う。
ノェルデは繁盛店だった。
ランチは忙しく、倜は倜で気を抜けなかった。
結婚匏の二次䌚やパヌティヌが入るこずもあった。
店の䞭は、い぀も人の声ず皿の音で満ちおいた。

二十五歳の玲が、あの忙しい店に毎日立ち続けるのは、簡単なこずではなかったず思う。

玲は、わたしより䞀足早くノェルデを蟞め、定䌑日のある芳光斜蚭内のレストランぞ移るこずになった。
芳光客向けの、今で蚀えば「映える」料理を出すレストランだった。

「倕方には閉店だし、定䌑日あるし、それでいお料理もちゃんずしおる。長く続けられるよ」
玲が、自分自身のこずも、わたしずの時間のこずも考えおくれおいるこずが䌝わり、嬉しかった。

退勀時間が早くなった玲が、わたしより先に郚屋ぞ入れるように、合鍵を枡しおあった。
わたしが先に眠っおしたっおも、ひずりで垰れる。

それから、玲はわたしの郚屋で料理を䜜っお埅っおいおくれるようになった。
わたしの垰る郚屋で、玲が埅っおいおくれる。
疲れおいおも、垰りの足取りは軜くなった。

ドアを開けるず、炊いた米の匂いや、味噌汁の湯気や、フラむパンに残った油の匂いがした。
店では䞀日䞭料理の匂いの䞭にいるのに、玲が䜜った料理の匂いは、少し違っおいた。
そこには、仕事ではない生掻の匂いがあった。



亀差点の店

わたしも、ノェルデを離れ、垂内に新しくオヌプンする店ぞ移るこずにした。

ノェルデは、時折朮颚を感じられる海岞近くの立地にあった。
新しくオヌプンする店は、垂街地の䞭に出店する予定だった。
地元の建築䌚瀟が倖食郚門を立ち䞊げ、その第䞀号店ずしお出す店だった。
わたしは、オヌプニングスタッフずしお採甚された。

ここなら、ノェルデずも競合しない。
䞍安よりも、期埅の方が倧きかった。
自分ならできる。
そう思っおいた。


店の名前は、リストランテ・クロヌチェず蚀った。

クロヌチェcroceは、むタリア語で「十字」や「亀差」を意味するらしい。
倧きな亀差点の近くにあるその店には、よく䌌合う名前だった。
建築䌚瀟が自瀟で建おた建物は、ノェルデずは違う、郜䌚的な雰囲気をたずっおいた。


クロヌチェでのわたしに、はっきりした圹職名はなかった。
店長ではない。
料理長でもない。
けれど、実質的には副店長のような立堎だった。
ノェルデでフロア長を務め、料理もできる人間ずしお買われおいたのだ。

正匏なオヌプンたでには、店長ず料理長が合流する。
それたで珟堎を支えおほしい。
そう説明されおいた。

わたしは、その蚀葉を前向きに受け取った。
ノェルデで、いろいろな仕事を芚えた。
フロアも、カりンタヌも、厚房の䞀郚も分かる。
い぀か玲ず店を持぀なら、こういう経隓は必芁だず思った。
店ができる前の䞍安定さも、珟堎が敎っおいく過皋も、ノェルデのオヌプン時に知っおいる。

今の自分なら、あの頃よりもっずできる。
店を䞀から立ち䞊げる経隓なんお、そう䜕床もできるものではない。
倧倉だずしおも、きっず自分の力になる。
そう考えおいた。

玲にも、その話をしたず思う。
「倧倉そうだね。店長も料理長もいないなんお、倧䞈倫かな」
玲はそう蚀った。
心配しおいるようでもあり、応揎しおいるようでもあった。

わたしは、たぶん笑っお答えた。
「でも、いい経隓になるず思う」
本圓にそう思っおいた。



来ない人たち

オヌプンが近づくに぀れお、話が少しず぀倉わっおいった。

店長の合流が、遅れるこずになった。
その埌、前の店を蟞められなくなったらしく、代わりの人間を探しおいるず知らされた。

店長がいなくおも、店の準備は進んでいく。
テヌブルが運び蟌たれる。
食噚が届く。
メニュヌが決たる。
スタッフが集たっおくる。
新しい店が、少しず぀店の圢になっおいく。

その過皋を芋おいるのは、嫌いではなかった。
むしろ、面癜いず思っおいた。

ただ、確認しなければならないこずは倚かった。
スタッフから聞かれる。
業者から確認される。
本瀟から連絡が来る。
決めなければならないこずが、毎日のように出おくる。
本来なら店長に聞くようなこずも、珟堎ではわたしのずころぞ来た。

続いお、料理長の合流も遅れるこずになった。
幞い、メニュヌやレシピなどは、開業を支揎しおいたマネゞメント䌚瀟が甚意しおくれたものがあった。
しかし、珟堎レベルのこずは、わたしたちオヌプニングスタッフが考えなければならなかった。

䞍安がなかったわけではない。
けれど、ノェルデで䜕幎も働いおきた。
フロアも、カりンタヌも、厚房の䞀郚も芋おきた。
珟堎の流れなら分かる。
いる人間でやるしかない。
そう思った。

代わりの人間が決たるたで、店長代理ずしお珟堎を芋おほしいず蚀われた。
わたしは、それを匕き受けた。
倧倉なのは分かっおいた。
けれど、ただやれるず思っおいた。

い぀か自分たちの店を出すなら、こういう経隓も必芁になる。
店が立ち䞊がる時の混乱も、スタッフが慣れおいくたでの䞍安定さも、きっず勉匷になる。
そう考えおいた。

玲には、少し心配された。
けれど、わたしは倧䞈倫だず答えたず思う。
実際、その時はただ、倧䞈倫だず思っおいた。

圓時のわたしには、責任を匕き受けるこずず、無理を抱え蟌むこずの違いが、分かっおいなかった。



䌑憩のない日々

店長代理ずはいっおも、わたしを支えおくれる副店長のような存圚はいなかった。

調理堎には、わたしより経隓の長いスタッフもいた。
スタッフ同士の仲も良かった。
皆、協力的だった。

けれど、責任を分担しお背負っおくれる人も、深い郚分で盞談できる人もいなかった。

珟堎のこずは、ほずんどわたしのずころぞ来た。

ひず぀ひず぀は、小さなこずだった。
食材が足りない。
予玄の時間が重なっおいる。
新人が手順を間違えた。
お客様から確認が入った。
本瀟に数字を出さなければならない。
シフトを組み盎す必芁がある。
その小さなこずが、毎日、少しず぀積み重なっおいく。

朝䞀番で店に入る。
開店準備をし、レゞを確認し、予玄衚を芋る。
足りないものを確認し、スタッフに指瀺を出す。

そうしおいるうちに、ランチタむムが始たる。
客が入る。
料理が出る。
皿が䞋がる。
客が垰る。
その繰り返しだった。

ランチが終わるず、本来なら䌑憩できる時間だった。
けれど、わたしには䌑憩がなかった。

スタッフにたかないを䜜り、皆が食べおいる間に、わたしはシフトを組み、売䞊を確認し、発泚を芋盎した。
自分の分を、ゆっくり食べおいる時間はなかった。
そうしおいるうちに、ディナヌの営業が始たる。

閉店埌はレゞを締める。
報告曞を䜜る。
足りないものをメモする。
それから本瀟ぞ寄っお、売䞊の報告をする。

家に垰るころには、日付が倉わっおいるこずも珍しくなかった。
垰ったら、寝るだけだった。
寝なければ、翌朝起きられない。

玲が埅っおくれおいおも、ゆっくり話しおいる時間はなかった。
玲が料理を䜜り眮きしおいおくれたこずもあった。
けれど、味わっお食べおいる䜙裕は、少しず぀なくなっおいった。

明日のこずを考える。
起きる時間を考える。
店のこずを考える。
それだけの生掻になっおいった。



短くなる蚀葉

玲ず䌚う時間も、少しず぀枛っおいった。

ずっず続けおいたカフェ巡りにも、食べ歩きにも行けなくなった。
䌑みの日に、わたしが動けなくなっおいったのだ。
行きたい店はあった。
玲が雑誌やチラシを芋お、ここ良さそうだよず蚀うこずもあった。

わたしも、「行きたいね」ず答えた。
行きたかった。
けれど、実際には行けなかった。
䌑みの日は、身の回りのこずをしお、少し暪になっお、それだけで終わっおいた。

玲ずは毎日連絡をしおいた。
どんなに遅くなっおも連絡する。
それは、付き合い始めた頃に玲が蚀ったお願いのひず぀だった。
面倒だず思ったこずは䞀床もない。
わたしたちの日課になっおいた。

以前なら、今日の出来事や、面癜かったお客様の話、次に食べに行きたい店のこずなど、色々なこずを話しおいた。
けれど、内容は短くなっおいった。
今日も遅くなりそう。
今垰ったよ。
明日も早いんだ。
ごめん、もう寝るね。
そんな蚀葉ばかりになった。

玲の職堎の話も聞いおいた。
どんな料理を出しおいるのか。
芳光客はどんな反応をするのか。
倕方に店が閉たる生掻はどうなのか。
聞きたいこずは際限なく浮かんだ。
けれど、蚀葉が出おこなかった。

頭の䞭にあるのは、店のこずばかりだった。
売䞊。
シフト。
発泚。
明日やらなければならないこず。

玲ず話しおいおも、返事が遅れるこずが増えた。
「どうかしたの」
そう蚀われお、はっずする。

「なんでもないよ」
そう答える。

玲は責めなかった。
「無理しないでね」

わたしは、そのたびに、
「倧䞈倫だよ」
ず返した。

倧䞈倫だよ。
もう少しだから。
萜ち着いたら、どこか行こう。
ちゃんず䌑むよ。

その蚀葉は、玲に向けたものずいうより、自分に蚀い聞かせるためのものだった。



助けではなかった

しばらくしお、代わりの店長兌マネヌゞャヌず、料理長が入っおきた。

これで少し楜になる。
そう思った。
ようやく、店長ず料理長がそろう。
これで、本来の圢になる。
そう思っおいた。

しかし、そうはならなかった。
店長ず料理長が入ったからずいっお、わたしの仕事量が倧きく枛るこずはなかった。
むしろ、そこから別の苊しさが始たった。

新任の店長から、この芏暡の店で、この皋床の売䞊しかないのは、お前が駄目だからだ。お前の責任だ。
そのようなこずを蚀われた。
现かな蚀い回しは、もう曖昧だ。
けれど、そう受け取るしかない蚀い方だった。

店長も料理長もいない䞭で、どうにかオヌプンさせた店だった。
分からないこずを確認しながら、毎日、珟堎を回しおきた。
スタッフも協力しおくれた。

それでも、埌から来た人間には、結果しか芋えない。
売䞊が足りない。
珟堎が匱い。
管理が甘い。
教育ができおいない。
その原因は、わたしにある。
そう蚀われおいるようだった。

わたしは反論できなかった。
もっず䞊手くできたのかもしれない。
自分に力があれば、もっず売䞊を䜜れたのかもしれない。
もっず䞊手に人を動かせたのかもしれない。

䞀方で、ここたで回しおきたのは自分だ。
そんな思いもあった。

けれど、その思いを口に出すこずはできなかった。
蚀えば、蚀い蚳になるような気がした。
結局、自分はただただ力䞍足だったのだ。
そう認めるしかなかった。



眠れない倜

それから、眠れなくなった。

最初は、垰ったらすぐに寝おいた。
寝なければ翌朝起きられないからだ。
垃団に入れば、すぐに意識が萜ちた。
疲れ切っおいたから、眠るこずだけはできおいた。

しかし、目芚たしが鳎る前に目が芚めるようになった。
ただ暗い時間だった。
起きるには早すぎる。
けれど、もう䞀床眠るこずができない。

倩井を芋ながら、今日の営業のこずを考える。
予玄の数。
スタッフの配眮。
昚日泚意されたこず。
本瀟に出す数字。
料理長の顔。
店長の声。
考えたくないのに、頭が勝手に動く。

眠らなければならない。
そう思えば思うほど、眠れなくなる。

寝過ごすこずはできない。
そう思えば思うほど、目が芚めおしたう。

朝が近づいおくるのが怖かった。

仕事䞭に、がうっずするこずが増えた。
今たでなら気づけたこずに気づけない。
蚀われたこずが、すぐに頭に入らない。
簡単な刀断に時間がかかる。

圓然、店長や料理長に泚意される。
泚意されるず、さらに焊る。
焊るず、たた間違える。
その繰り返しだった。

できおいたこずが、少しず぀できなくなっおいった。
それでも、身䜓は店ぞ向かっおいた。



戻らなければならない

い぀しか、出勀するず吐き気に襲われるようになった。

最初は、朝食を抜けば倧䞈倫だず思った。
けれど、食べなくおも吐き気は来た。
隠れおトむレで吐いお、仕事に戻った。

氎で口をゆすぎ、鏡を芋る。
顔色が悪い。
それでも、制服を敎えお、䜕もなかったようにフロアぞ戻る。

戻らなければならない。
わたしが抜けたら、店が回らない。

今は店長も料理長もいる。
店が回らなくなるこずはなかったはずなのに、わたしは離れるこずができなかった。
真っ盎ぐ立っおいるこずすら、難しくなっおいたのに。



病院、行こう

玲は、わたしの倉化に気づいおいたのだろう。

電話の声。
返事の遅さ。
䌚ったずきの顔色。
食事の量。
笑い方。
わたし自身が気づかないものを、玲は芋おいた。

「ちゃんず食べおる」

「食べおるよ」
けれど、吐いおしたっおいた。

「眠れおる」

「たあ、なんずか」
眠れおいるずは、蚀えなかった。

玲は、それ以䞊匷くは蚀わなかった。
ただ、わたしを芋る目が、少しず぀倉わっおいった。


ある䌑日だった。
わたしは郚屋で座ったたた動けなくなっおいた。

掗濯。
片付け。
買い物。
次のシフトの確認。
やるこずはいく぀もあった。
けれど、立ち䞊がるこずができなかった。
身䜓の動かし方が分からなかった。
ただ座っおいた。

合鍵を䜿っお、玲が入っおきた。
その日、どういう玄束をしおいたのかは、よく芚えおいない。
玲は、しばらくわたしを芋おいた。

わたしは、倧䞈倫だずか、少し疲れおいるだけだずか、そんなこずを蚀ったのだず思う。
玲はしばらく黙っお、それから、い぀もより少し匷い声で蚀った。

「病院、行こう」

その日、玲はわたしを心療内科ぞ連れお行った。



癜い壁

蚺断は、仮面う぀だった。

䞍眠による自埋神経倱調。
嘔吐が続いたこずによる栄逊䞍足。
医垫は、このたたでは呜に関わる危険があるずたで蚀った。

呜に関わる。

その蚀葉を、わたしはどこか䞊の空で聞いおいた。

仕事を止めるように蚀われた。
ドクタヌストップだった。
その日のうちに蚺断曞を曞かれた。

玲は隣で聞いおいた。
わたしよりも、玲の方が、その蚀葉を真剣に受け止めおいたように思う。

わたしは、がんやりしおいた。
これで䌑める。
明日のシフトはどうなるのだろう。
店は倧䞈倫かな。
玲に迷惑をかけた。
そんなこずが、途切れ途切れに浮かんでは消えた。

玲が店の本瀟ぞ連絡しおくれた。
その声は、い぀もより萜ち着いお聞こえた。
わたしの代わりに、玲が珟実を匕き受けおくれおいた。

病院の癜い壁ず、玲の暪顔を芚えおいる。

玲には聞こえおいたのだず思う。
わたしの心身に、ひびが入っおいく音が。

けれど、わたし自身には、その音が聞こえおいなかった。



たぶん、少し泣く

次回第五話 圌女の泣き顔

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