【短編小説】呪いと祝い
「おまえ、居なけりゃ楽なんだけどな」
父は確かにそう言った。
聞き間違いではなかった。
◆
父は酒乱の気があった。
普段は温厚である。
しかし、酒が入ると豹変した。
お酒を飲んで帰ってきた父は、化け物だった。
ニヤニヤ笑いながら、小動物をいたぶるように、わたしたち兄弟に嫌がらせをした。
そのまま殴る蹴るみたいなことはしない。
腕を捻ったり、押さえつけたり。
怪我をしない程度に調整して、わたしたちが嫌がるのを見て楽しんでいるようだった。
そして、とにかく身体が強かった。
部屋に逃げ込んでも、鍵をかけるのが遅れればドアをこじ開けられる。
二人で抵抗しても相手にならない。
抵抗しても勝ち目がない。
逃げようにも逃げ場がない。
父が酔って帰ったとき、わたしたち兄弟は、とにかく部屋に立て籠もり、鍵をかけて父が諦めるのを待つのだ。
母は、夜は居酒屋で働いていた。
母が帰宅するのを待つしかなかった。
母が帰ったところで、事態が収まるわけではない。
夫婦喧嘩に発展する。その声を聞くのも嫌だった。
それでも、母に頼るしかなかった。
◆
母から聞いた話によると、父は中学を出たあと、少年工科学校へ進んだそうだ。
中学時代の父は、学年でもトップレベルの成績だったらしい。
しかし、家庭の事情で普通の高校へは行かず、手に職をつけるために、そちらへ進んだ。
今でいう、陸上自衛隊高等工科学校である。
父の運転免許証にはびっしりとチェックが入っていた。
そんな父だから、とにかく身体は強かったのだ。
あるとき、酔った父がわたしに命令した。
肩が痛いから肩を揉め。
背中が痛いから上から踏め。
要は、マッサージをしろということだ。
わたしは、父の機嫌を損ねないよう、どうやったら気持ちいいのか、どこが痛いのか、どの程度の力加減がいいのか、小学生の頭で考えた。
幸い、父はわたしのマッサージが気に入ったらしい。
酔って帰ったときでも、
「肩揉もうか?」
「背中押そうか?」
と聞くと、
「おう、頼む」
と言って横になるのだった。
わたしはとにかく、このまま眠ってくれるよう願いながら、できるかぎり丁寧にマッサージを続けた。
今思えば、なんとも悲惨で滑稽なマッサージである。
あるとき、わたしのマッサージを受けながら、父がボソボソと言い出した。
「ああ、うまくなったなあ」
「ほんと、仕事で身体がいてぇわ」
「おめぇを育てんのも楽じゃねえんだぞ」
「マッサージくらいはやって貰わねぇと割に合わねえ」
「おめぇが居なきゃあ楽なんだけどなあ」
「なあ、居なくなってくれねえか」
どこまで本気なのかはわからない。
だが、確かにそう言った。
わたしは、泣きながら、父が眠るまで肩と背中を押し続けた。
悔しいのか、悲しいのか、何もわからなかった。
◆
翌日、酒が抜けた父は温厚だ。
――いや。
今思えば、温厚なのではなく、本気で生きていなかったのだろう。
父は、物事すべてに真剣ではなかったのだ。
おそらく、自分が言ったことも覚えていない。
わたしが泣きながら背中を押し続けたことも覚えていない。
酔っていない父が、わたしたち兄弟に穏やかなのは、わたしたちに本気で向き合っていなかったからだろう。
そんな父は、わたしが高校三年生のとき、ギャンブルで大きな借金を負った。
わたしは進学できなくなった。
家も手放すことになった。
そして、母と離婚した。
酒乱で、お金にだらしなく、知能も身体的にも能力は高いのにまったく活かせない男。
それがわたしの父だ。
それでも、わたしは父が嫌いではなかった。
嫌われないように過ごすうちに、ストックホルム症候群のようなものになっていたのだろうか。
母と離婚して以来、わたしは父に会う機会がなくなった。
会おうとも思わなかった。
やがて母から、父が脳梗塞で亡くなったらしいと聞かされた。
脳梗塞というのが、酒乱の父らしい。
そうして、あのときの言葉を追求する機会は失われた。
わたしの心に、四十年以上残り続けている言葉の真意。
本人が覚えていようがいまいが、関係ない。
酔った中で口走った言葉であろうと、父の頭の中に、そういう意識があったことは事実だ。
だから、言葉として放たれたのだ。
今さら恨み言を言う気もない。
謝って欲しいわけでもない。
ただ、あの時のまま固定されてしまった。
母からの愛情は感じられた。
友人にも恵まれた。
だから、それほど気に病むことはなかった。
それでも、自分の父から、居なくなってくれと願われた、その言葉は、ふとしたときにわたしを包む。
父はもう居ない。
しかし、父の言葉は今も生きている。
◆
――わたしは妻の肩を揉む。
父を寝かしつけたときのように、優しく。
「一緒にいてくれてありがとう」
わたしが居なくなったとしても、わたしの言葉は、妻の中で生きていてほしい。
呪いと祝い
了
