あの場所で、私は母になっていった
香港空港に降り立った。
黄色味を帯びた外の景色、もやっとする空気。
機内から降りると、作業員の方々が集まって座り、談笑している。
懐かしいという感情も束の間、しばらく歩きながら
「もう戻れないのだ」と思った。
景色はあの頃と変わらないのに、
あの時間は、あの日々は、
過ぎたものだと感じた。

市内へ向かう電車の車窓から、見慣れた景色を眺める。
懐かしい、という感情は意外にもすぐに弾け、
そこにあったのは「日常」だった。
それがいちばん素直な感覚だった。
それだけで、この街で過ごした日々が、
どれほど身体に染み込んでいたのかを知る。
あの頃の私は、身軽で、未熟で、いつも必死だった。
この街で暮らし、迷い、泣いて、笑って、
少しずつ形を変えていった。
戻れないのは、場所ではなくて、あのときの私だ。


長男が1歳半のとき、夫の転勤で香港に渡った。
海外旅行の経験も数えるほど。
飛行機に乗るたびに中耳炎になっていた私が、まさか住むなんて。
そんな心もとない気持ちで始まった生活だった。
生活1日目、強く感じたのは
「ここには私の名前しかない」ということ。
知り合いは夫だけ。
これまでの仕事も、好きなことも、積み重ねてきた時間や友人も、
ここでは誰も知らない。
そんな「私」を知る人は、ここにはいない。
不思議と、少しだけ、軽かった。
長男とのふたりの時間は濃く、世界は小さかった。
言葉もまだ、私と息子のあいだだけで通じる暗号のようなものだった。
でもその小さな世界のなかで、
私は少しずつ、自分で選ぶようになっていった。
特別なことをしたわけではない。
毎日を、自分で決めて、自分で過ごした。
今日は息子と2人で初めてのMTRに乗ってみよう、とか
あの公園を目掛けて息子が大好きなバスに乗ろうとか。
それだけで、
前よりも少し、息がしやすくなっていた気がする。

息がしやすくなったはずのその時間は、
やがて、母としての私を何度も試した。
夫は週に六日仕事。出張で国外に行くこともあり
家にいない時間のほうが長かった。
けれど不思議と、
「どうにかなる」と思えていた。
どうにかしなければ、ではなく、
どうにかなる。
そう思えたのは、
私が強くなったからではなかった。
何度も、誰かに支えられたからだ。

当時の日記を読み返していたら、
義両親が香港に来てくれて、
空港まで見送りに行った日のことが書いてあった。
ゲートの前で、
思わず泣きそうになった、と。
そのとき、長男が何も言わずに
ぎゅっと抱きしめてくれた、と。
読みながら、
つい目尻が下がる。
息子ラバーの夫は育児にも沢山関わってくれていたけれど、
それでもやっぱり、
日々のワンオペはこたえていたのだと思う。
あのときは「どうにかなる」と思っていたけれど、
本当は、
ときどき、ぎりぎりだった。
今回香港を歩きながら、
どうしてあの頃のことばかり思い出すのだろうと考えていた。
きっと私は、
あの街で何度も支えられていたからだ。
長女が生まれたあと、
原因のわからない高熱で入院することになった。
数日経っても理由がわからない、と告げられたとき、
正直、心がすっと冷えた。
そのとき、
双子のママだという看護師さんが
私の腕にそっと触れて言った。
「Mammy、大丈夫よ。
ほら、私も双子のママなの。」
そう言って、
アップルウォッチの待ち受けに映る子どもたちを見せてくれた。
「きっと大丈夫。」
あの一言は、
強ばっていた私に、
ふんわりと柔らかなブランケットを
そっと掛けてもらったような、
そんな言葉だった。
母でありながら、
あのとき私は、
誰かに守られていた。
そしてもうひとつ、
忘れられない声がある。
末っ子を出産したとき、
助産師さんが何度も繰り返してくれた。
「Mammy! Excellent!!」
その声は、
包むというより、
背中を押すような言葉だった。
大丈夫、と守られた夜と、
できる、と信じてもらえた朝。
そのどちらもが、
あの街で母になっていく私を、
支えてくれていたのだと思う。

香港の街を歩きながら、ふと気づいた。
あのとき、毎日が必死で、
泣きそうになって、強がって、
それでも誰かの一言に救われながら、
私はここで母になっていったのだと。
あの空港で泣きそうになった日も。
息子にぎゅっと抱きしめられた日も。
「mammy 大丈夫よ」と
ブランケットのように包んでくれた看護師さんの声も。
そして、
「あなたならできるわよ」と
背中を押してくれた助産師さんの言葉も。
あの街で、
私は何度も支えられていた。
今回、同じ空港に立ったとき、
もうあの頃の私はいなかった。
でも、
あのとき包んでもらった温もりも、
押してもらった背中の感触も、
ちゃんと今の私の中に残っている。
あの場所で、母になっていった。
そして今、少し強くなった自分で、またここに立っている。
背丈がもうすぐ私に追いつく長男。
私と同じようにマイカメラをぶら下げ、
こだわりながら何枚も今日を写す娘。
あのとき抱っこ紐の中にいた末っ子は、もう走り回っている。
そのすべてを目尻を下げて見つめながら、
遠くを眺めて「青春だったな」とつぶやく夫。
あの頃は、
ただ必死で、
ちゃんと前を向けているのかもわからなかったけれど。
それでも、時間は流れていた。
きっと今、
いちばん大変だと思っている誰かの毎日も、
いつかこんなふうに振り返る日がくるのだと思う。
この地にまた立てたことが、
その証のように感じた。





