【出版が決まったのに、一文字も書けない】20年間「やりたいこと」から逃げ続けた僕がハマっていた、恐ろしい罠。
【はじめに】この文章は、「動けない自分」にヤキモキしているあなたへ
前回のnoteを公開してから、信じられないことが起きました。
600を超える「スキ」。同世代の仲間たちからの泥臭くて熱いメッセージ。
何度も胸が熱くなりました。本当にありがとうございます。
※前回のnoteをまだ読んでいない方は、話が繋がるのでぜひこちらから。
▶︎https://note.com/nozzzawa/n/n4e6ccd90769b?magazine_key=mf2e92ffd6658
2回目に何を書くか、そのプレッシャーがハンパないんですが、その反響の中でも特に多かった悩みについて書きます。
「やりたいことはある。でも、どうしても一歩が踏み出せない。そんな自分が嫌になる」
分かります、この感じ。分かりすぎて、もうすでに胸が苦しいです。
この問いに対する、僕なりの答えを書きました。
先に白状しておくと、僕自身、本当にやりたいことを実行に移すのに20年かかりました。
大事なことなのでもう一度言います。20年です。
この文章は、かつての僕と同じように「夢はある。やりたいことも分かっている。でも、なぜか準備ばかりしていて一歩も動けない」——そんな身動きの取れなさにヤキモキしているあなたに向けて書いています。
最後まで読んでいただければ、「なぜ動けないのか」の正体がわかります。そして、きっと自分を責めるのをやめられるはずです。
【人のためなら書けるのに、自分のことは一文字も書けない】
前回のnoteに書いた通り、僕は電通でコピーライターをしていました。クライアントのためなら、いくらでも言葉が出た。一行のコピーで商品が棚から消える。そういう仕事を何年もやってきた。
でも、本当はずっと小説が書きたかった。 学生の頃から、ずっと。
人のためじゃなく、自分の言葉で、自分の物語を書きたかった。
なのに、自分のこととなると、ペンが一ミリも動かない。キーボードを打つ手がパタリと止まる。
他人の商品が売れる言葉は湯水のように出てくるのに、自分の物語は一行も書けない。
前回のnoteで「他人軸症候群」の話をしました。他人の期待に応えることで自分の存在価値を確認し続ける、あの症状。僕にとって、これがいちばん根深く出ていたのが「書く」という行為だった。他人の軸の上では最高のパフォーマンスが出せるのに、自分の軸に乗った瞬間、フリーズする。
もしあなたが「仕事では頼られるのに、自分のことになると何もできない」と感じたことがあるなら、この感覚、少しわかってもらえるかもしれません。
小説を書きたいという気持ちは、ある日突然湧いたものじゃありません。ずっとあった。息をするように、ずっと。
学生時代の僕は、絵に描いたような「文学青年」でした。 太宰治を研究し、神田の古本街に通い、自分の本棚を見てうっとりする。村上春樹は新刊が出るたびに貪るように読み、高村薫の濃厚なサスペンスに浸り、埴谷雄高に目眩を感じて、津島佑子の文才に唸り、川上弘美の物語空間に酔う。
雑誌『ダ・ヴィンチ』には強烈に憧れました。作家が自分の好きな本を持って写る、あの表紙。 「もし自分が表紙になったら、何を持とうか?」 本棚を眺めながら、何時間でも飽きもせずに考えられるような青年でした。
(ちなみに、もし今そのオファーが来たら、迷わずミヒャエル・エンデの『モモ』を持ちます。)
表紙で何を持つかは決まっている。なのに肝心の小説は一行も書いていない。 順番が完全におかしい。でも、当時の僕はその滑稽さに気づいてすらいなかった。 だってね、夢を見ている時って、夢の中にいる自分のおかしさには気づけないでしょう。
前回のnoteで「本当にやりたいことがわからない」と書きました。あの苦しみは嘘じゃない。 「小説を書きたい」という気持ちはずっと心の奥底にあった。でも、書けない。一文字も書けない。 書けないということは、本当にやりたいことじゃないんじゃないか? 本当にやりたいなら、体が勝手に動くはずじゃないのか? そうやって自分を疑い続けた結果、「やりたいこと」の輪郭がどんどんぼやけていった。
「小説」を書いて「作家」と呼ばれたい。その気持ちだけは、20年間、消えなかった。 消えないのに、書けない。書けないから、信じられない。信じられないから、動けない。
もし今、あなたの中にも「これかもしれない」と思いながら動けずにいる何かがあるなら、その苦しさ、僕には痛いほどわかります。
【小説を書くために始めた心理学に、溺れていった】
書きたいのに書けない自分をなんとかしたくて、心理学(NLP/神経言語プログラミング)を学び始めました。
周りには「人材育成のため」「チームビルディングのため」と言っていました。もっともらしい、会社員としては百点の回答。 もちろん、そういう狙いがなかったわけでもない。けれど、小説を書けない自分をどうにかしたかった。それが本当の動機でした。
要するに、小説を書くための「助走」のつもりだったんです。 しかし、助走が気持ちよくなると、人は助走だけで満足する。 これ、やりたいことがある人なら誰でも心当たりがあるんじゃないでしょうか。「準備」が目的にすり替わる瞬間。
NLPは、それ自体がものすごく面白かった。学べば学ぶほど奥が深い。効果絶大。人生の諸問題がどんどん解決されていく。
どんどんハマり、車が買えるくらいのお金を注ぎ込み、たくさんの週末をセミナーに通い、気がつけばトレーナーの資格まで取っていました。
冷静に考えれば、その時間で小説は十分に書けた。心理学を勉強する時間を全部執筆に費やしていたら、大長編が仕上がっていたと思います。 でも、「小説を書くための勉強をしている自分」は、「小説を書いている自分」よりずっと安全だった。だって、勉強している間は、誰にも評価されないし、決して傷つくこともないから。
もちろん、学んだことを自分で実践し、何度も小説を書こうとはしました。
自分の中で書くことを止めているブロックを見つけて取り除いた。
でも、書かなかった。
ヒプノセラピーで自己暗示をかけた。
ようやく書き始めた。
アイデンティティを「作家」に書き換えた。
毎日少しずつ、半年書き溜めた。
もうすぐ書き上がる、というところまで来た。
——そこで、仕事が忙しくなったのを理由に、やめました。
半年かけて、ゴールが見えた瞬間に、やめる。
「仕事が忙しい」。
人類が発明した最も便利な撤退用パスポート。僕は迷わずそれを使った。
書きながら、胸が痛いです。当時の自分に「おい、何やってんだよ」と言いたい。
でも、当時の僕には、それが精一杯だった。
(あ、NLPやヒプノセラピーが役に立たないという話ではありません。どちらもとてつもない効果がある。ちゃんとした人がちゃんと使えば。僕があまりにも大きなことを見落としていただけです)
もはや、どうしても書かない。 「書けない」ではなく「書かない」。頑なに「書かない」。
能力の問題じゃなかった。意志の問題ですらなかった。もっとタチの悪い何かが、静かに作動していた。でも当時の僕には、それが何なのか見えていなかった。
だから、諦めました。小説を書くこと自体を。
前回のnoteに書いた「本当にやりたいことは、本当にやりたいことを見つける方法を見つけること」という発見をした時期と重なります。
そこから、ミドルシニアの人たちに火をつけることに熱中していきました。
【諦めた先に、信じられない奇跡が起きた】
小説を手放してから5年。2024年の秋。奇跡が起きました。
とても素敵な編集者さんとのご縁をいただいたのです。
その方は作家としても有名で、僕もファンとして本を読んでいた。
その出会いがきっかけで、あれよあれよという間に、小説の出版が正式に決まったんです。小説を全く書いたことのない僕の小説の企画が通ってしまった・・まさにミラクル!これを奇跡と呼ばずしてなんと呼ぼうか?
(この経緯はまた別のnoteで「諦めると夢は叶う」というテーマで書きます)
心の奥底でずっと蓋をしていた衝動に、道を開いてくれた人がいた。感謝も感謝、大感謝。この人のためにも、絶対に面白いものを書こう。いっぱい売れる本を書いて恩返しをしよう。そう思うのは当然ですよね。
そして、2025年。ワクワクと苦悩の日々が始まりました。
小説のプロットを考えるのは、めちゃくちゃ楽しかった。
毎日いろんなキャラクターを設定し、いろんな方向性で考える。ノートが何冊も埋まる。楽しい。最高に楽しい。
でも、実際に原稿を書き始めようとすると、やっぱりキーボードを打つ手が止まってしまう。 止まると、仕方がないからプロットに戻る。
「もう少し構成を練り直そう」「この設定、もっと深掘りできるな」
何度も何度もプロットを書き直した。完成度は上がっていく。でも原稿は一文字も増えない。
プロットを直している間は「仕事をしている気分」になれる。机に向かっている。考えている。手も動いている。でも、原稿を書くことからはきれいに逃げている。 サボっているのに、サボっている自覚がない。いちばんタチが悪いやつ。
お膳立ては完璧。やらない言い訳はどこにもない。
なのに、一文字も進まない。
「なんで書かないんだ、俺は!」
「この最高の機会を、自分からフイにする気か?」
「このまま一生書けなかったらどうしよう???」
20年前と、まったく同じ場所に立っていました。
あの時と同じ焦り。同じ自己嫌悪。同じ夜の繰り返し。
【衝撃的な事実。僕たちは「不安」を楽しんでいる】
そうやって右往左往して、半年ほど悶々としていた時のことです。 ふと、頭のずっと上から自分を俯瞰して見えた瞬間があった。 もう一人の自分が、上から見下ろしてクスッと笑っている気がしたんです。
「あれ? お前、この『どうしよう』って焦ってる状況、楽しんでない?」
衝撃的な事実を言います。
僕は「せっかくのチャンスを台無しにして、一生、本を書かない人生を送るかも知れない」というスリルを、めちゃくちゃ楽しんでいたんです。
「いやいや、そんなわけないだろ。あんなに毎晩悩んで、苦しんでたじゃないか」
そう思いますよね。僕も最初はそう思った。でも、本当なんです。
考えてみてください。 日本中の映画館では心が温かくなるラブストーリーやコメディが上映されている。なのに僕たちはわざわざ、ハラハラするアクション映画や背筋が凍るホラーを、安くないお金を払って見に行く。
人間は「スリル」や「不安」を味わうのが大好きな生き物です。
人生も同じ。人生は、不安を楽しむゲームである。
僕はこれを「不安ゲーム」と呼ぶことにしました。
(ここで言う「不安」は、夢や目標に向かう時に自分で作り出してしまう不安のこと。不安障害など、医学的なケアが必要な不安とは別の話です。そこは絶対に混同しないでください)
「才能がある(と思っている)のに、使わないまま終わったらどうしよう・・」
「最高のチャンスが目の前にあるのに、台無しにしちゃったらどうしよう・・」
「せっかくチャンスをくれた編集者さんを悲しませてしまったらどうしよう・・」
「このまま、本当にやりたいことをやらないまま、人生を終えることになったらどうしよーーーーーー」
僕は心の奥底で、この人生最大の不安というスリルを、特等席に座ってポップコーン片手に「さあ、どうなるトモヒロ!?」と実況して楽しんでいた。
自分の人生を題材にした一人芝居。観客は自分だけ。入場料は「人生の時間」。世の中でいちばんコスパの悪い娯楽。
悪趣味でしょう。でもね、恐ろしいことに、みんな無意識にこれをやっているかも知れません。 あなたも、もしかしたら。
【大好きなドラマの「最終回」を見ない心理】
「失敗して評価が下がるのが怖いから動けない」。よく聞く話です。たしかに、それもある。 これも他人軸症候群の症状です。他人の目が怖くて動けない。もっともらしい。 でも、今ならはっきり分かります。
「評価への恐怖」は、やらないための便利な言い訳に過ぎない。
本当に恐れているのは、評価されることじゃない。 「行動することで、自分の『無限の可能性』を消してしまうこと」。
ハマりにハマった連続ドラマ。いよいよ次が最終回。結末が気になって仕方ない。でも、「見終わったら、この物語は終わる」と思うと、録画したまま数日放置してしまう。
そんな経験、ありませんか。あるでしょう。僕もあります。
見なければ、物語は終わらない。主人公がどうなるか、自分勝手な妄想の中にいつまでも留めておける。
僕が小説を書かなかったのは、まさにこれだった。
原稿を仕上げて世に出せば、「面白い」か「つまらない」か。「売れた」か「売れなかった」か。残るのはたった一つの「結果」だけ。 書かずにいれば、「いつかとんでもない名作を書くかもしれない自分」という妄想。「無限の可能性」をずっと温存できる。
「仕事が忙しいから書けないだけで、時間ができれば書ける」
「俺はまだ本気を出していないだけだ」
「本気を出していないだけ」。不安ゲームのプレイヤーがいちばんよく使う呪文。 本気を出していない自分は、永遠に負けない。だって、まだ本気を出していないんだから。最強のロジック。最強で、最悪の。
……ここまで読んで、ちょっとドキッとした人。大丈夫です。僕が20年間やっていたことですから。あなただけじゃない。
言い訳を積み上げて、行動しないという安全地帯にこもり、頭の中だけで「いつか成功するかもしれない自分」を夢想する。そこに「チャンスをフイにするかもしれない」「やらないまま人生を終えるかも知れない」というヒリヒリした不安を同時に味わう。
自分の人生を台無しにするかもしれないという最悪のスリルを楽しみながら、「可能性」という温いお風呂に浸かり続ける。 人生を一ミリも動かさないまま、頭の中の実況中継だけで満足する。
これが、僕が20年間ハマり続けた「不安ゲーム」の正体でした。
【「不安ゲーム」のエンドロール】
「あ、俺は、この不安を楽しんでるんだ・・」
気づいた瞬間は、拍子抜けするほどあっけなかった。 何十年も苦しんでいたと思っていた「重い悩み」が、自分が無意識に仕掛けたエンターテインメントだった。深刻な顔して「どうすればいいんだ」と唸っていたあの夜も、全部、自作自演。
笑っちゃいますよね。でも、笑えた時にはもう、終わっていた。
20代からずっと連れ添ってきた「不安ゲーム」の終わりが来ました。
頭の中で「パツーン!」と音がして、何かが断ち切られた。 そして、目の前に映画のエンドロールのようなものが流れたんです。自分自身になんとか小説を書かせるために通った心理学のセミナー、そこで出会った先生や仲間たちの名前が、黒い背景を下から上へゆっくり流れていく。
「みんな、今まで僕の不安ゲームに付き合ってくれてありがとう」
そこからは、シンプルです。 悩み続ける「不安ゲーム」をこれからもプレイし続けるのか。 やりたいことに素直に向かう「Funゲーム」のコントローラーに持ち替えるのか。
答えは決まっていました。 不安を楽しむのをやめて、Funゲームに行く。
【不安ゲームをやめた僕に、何が起きたか】
Funゲームのコントローラーに持ち替えて、やったこと。
プロットはほぼできていた。あとは、一週間、ほぼ徹夜で書いた。文章の上手い下手はともかく。物語の整合性が取れなくても。登場人物の設定が甘くても。セリフが切れなくても。とにかく書き上げることだけを目指した。
編集者さんとの打ち合わせまでに、A4で200枚近く書き上げました。「ライフシフト」をテーマにした小説で、「人生にいきづまった」男女三人の奮闘を描きました。
プリンターから出力した分厚い紙の束をデスクの上でトントンと揃えた時の快感は、多分、絶対、一生忘れません。
(ただいま出版に向けて準備中。発売日が決まったらお知らせします!)
20年間一文字も書けなかった人間が、一週間で200枚。 才能が開花したんじゃない。能力は最初からあった、はず。不安を楽しむのに忙しいあまり、温存して使っていなかった、だけ。 何十年も抱えてきた「深刻な悩み」が自作自演だったと知った時のバカバカしさったら、もう。笑うしかなかった。
そのことに気づいてから「不安」がゼロになったかといえば、なりません。 今も不安はある。書いている最中も、公開する瞬間も。不安は律儀です。呼んでもいないのに毎回来る。
でも、付き合い方がまるで変わりました。
不安を感じた時、「消そう」としない。戦わない。 ただ、「ああ、自分は今不安だな」と感じる。しっかり感じる。 そして、その奥に不安をめちゃくちゃ楽しんでいる奴がいるな、と想像する。
あとは簡単。 頭の中で不安が映し出しているイメージを、テレビの画面をパチッと消すように消す。そして、楽しいイメージに切り替える。DVDを入れ替えるように。
このnoteだって同じです。
note開設は5年前。書こう書こうと思って、結局一回も書けなかった。 誰も読まなかったらどうしよう。つまらないと思われたらどうしよう。炎上したらどうしよう。 5年間、管理画面を開いては閉じ、開いては閉じ。何の生産性もない。でも、「いつか書くかもしれない自分」を温存することには大いに貢献していた。
今は、書けない不安を楽しむより、noteから新しい同志が増えるFunの方が遥かにでかいことを知っている。
だから、書く。書いている。
不安はある。でも、Funの方がでかい。それで十分なんです。
【最後に】次はあなたの「Funゲーム」を始めよう
長い文章を最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
「不安ゲーム」の話、どう感じましたか。 「痛いところを突かれたな」と苦笑いしている方もいるかもしれません。大丈夫。気づけた瞬間、あなたはもうコントローラーを手放し始めています。
「いつか起業したい」と言いながら、何年も準備だけして一生登記しない人。
「歌を歌いたい」と言いながら、ステージとマイクを用意されても絶対に上がらない人。
もし今そこから動けないなら。 「才能がない」とか「タイミングじゃない」という言い訳を横に置いて、少しだけ、頭の上から自分を見下ろしてみてください。
「私、本当はこの『動けない不安』を楽しんでないか?」
20年の不安ゲームをパツーンと断ち切って、今こうして言葉を放り投げているのは、僕が特別だからじゃない。 自作自演に気づいて、「バカバカしいな」と笑い飛ばせるようになった。それだけです。
僕たち50代、ミドルシニア世代。 「若手に道を譲れ」「守りに入れ」なんて空気が流れているけど、冗談じゃない。 いちばんスキルがあって、いちばん泥臭い経験を積んできた僕たちが、不安を楽しむだけの不安ゲームをやめて、本気で楽しみ始めたら、。日本はもう一度、最高に面白くなる。
「まだ始まっちゃいねえよ」
1本目のnoteで書いたあの言葉を、もう一度、自分に。そしてあなたに。
不安を楽しみ続ける後半戦か、自分軸で楽しみ尽くす後半戦か。
選ぶのは、いつだって自分です。
もし今夜、この文章をスマホの明かりだけで読んでいるなら。
「俺も、私も、もう一度暴れてやりたい」と、胸の奥が少しでも熱くなったなら。
僕はすごく嬉しいです。
あなたが「不安ゲーム」のエンドロールを流し、「Funゲーム」のスタートボタンを押す日を、楽しみにしています。
暑苦しい発信、続けます。
どうぞよろしくお願いします。
【「会って話しませんか?」僕からのお知らせと招待状です】
このたび、僕の新刊『もし人生にいきづまったら 人生をシフトして、やりたいことを実現する12の方法』(アスコム刊)が、2026年6月30日に発売さました!
(Amazon:https://amzn.asia/d/0e345KQE )

そして、この出版を記念して、皆さんと直接対話するためのトークイベントを開催します。本のなかでは書ききれなかった「ことばの奥にある想い」を語るのはもちろんですが、ただ僕の話を聞いて終わるような会にするつもりはありません。
当日は、本のなかで描かれた、あの「〇〇を破る」ワークショップを参加者の皆さんと一緒にやります。
今回のnoteに書いた、長年ハマっていた「不安ゲーム」をパツーンと終わらせて、自分のやりたいことに向かうというステップ。
これを一人でやるのが怖いなら、Funゲームのスタートボタンを、僕と一緒に、会場の仲間と一緒に押しませんか。
手を動かし、声に出して、今まで見えてこなかった「本当の自分」に直接会いに行く。そんな泥臭くて熱い時間を共有できたら嬉しいです。
会場(東京・代官山周辺)でのリアル参加に加えて、オンライン参加もご用意しました。各回ごとの参加も、両日の参加も大歓迎です。
【開催概要】
◆ 「自分軸」の見つけ方
~他人軸症候群から抜け出して「本当にやりたいこと」を見つける方法~
日時:2026年7月28日(火)19:00〜20:30(※終了後、懇親会あり)
★自分のやりたいことの輪郭を見つけていきます。
※会場は東京・代官山を予定。確定し次第、参加者にメールにてお知らせします。
【参加費】
トークイベント&ワークショップ:
無料(会場・オンラインとも)
懇親会(※会場参加の方のみ):
2,000円(当日受付払い)
▼ お申し込みはこちらのフォームからお願いします ▼
https://forms.gle/MXHM9JgzErgTqTgH8
あなたと一緒に一歩を踏み出せることを、心から楽しみに待っています!
