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所有感は悪者ですか?

以前、どなたかとコメントを交換していて、気がついたことがあります。

「わたしの」母とか、
「わたしの」夫とか。

「わたしの」がつくから、苦しくなるのかなぁ、
と。

自分に関係のない人。
たとえば、友達の家族が発した言葉や、態度だったら、
「そんなこともあるんだね」
で終わらせられる。

だけど、これに「わたしの」「自分の」がつくと、途端に感情が逆立っていくのが分かる。

「なんでやねん!!」
「なんでこれがわたしの○○なんだろう…」
そんな気持ちになることも。

子どもだってそう。
自分の子どもだと思うから、
「しっかりせぇよ」
と言ってしまうことがある。

「そういうこともあるよね」
はどこかに行く。

これってやっぱりエゴなのだろうか?

エゴというか、どちらかというと「所有感」かもしれない。

わたしの○○。

苦しかったら、全部なくしてしまいたい。

「所有感なんて、ない方がいいんじゃないか」
そう感じた。

けれど、考えてみたら所有感自体は悪者じゃない。

わたしの夫
わたしの子ども
わたしの家
わたしの仕事

「わたしの」がつくから大事にしようと思える。

でも、その一方で、
たとえば夫が酔って理不尽に怒りだしたりすると。

数年前のわたしは、
「こんな人がわたしの夫なんて」
「なんでこんな人を選んでしまったんだろう」
「来世では会いたくない」
と激おこだった。

数日ぷんぷんして、しまいには、夫の言動だけじゃなく、自分の人生まで否定していた。

苦しかった。

だけど、今思えば、
「所有感」があり過ぎたんだね。

まぁ、でも。

それだけ「わたしの○○」って思ってたってことは、らぶが強かったってことかしら……。

激おこぷんぷん丸のときは、にっくき相手だったのに。

それはそれで、笑える。


「なんでこんな人がわたしの○○なんだろう…」
って嫌になったら、
「また所有感出してるよ!」
「独占しようとしてたのかもよ!」
「まぁ、それはスキの裏返しなんだけどね!」
ってオートで突っ込みを入れていけば、
ちょっとだけ世界が優しく見えるかもしれない。

少し前のわたしに教えてあげたいなぁ。


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のぞみん|揺れる乙女、45歳 いただいたチップは、創作活動に使わせていただいております。 その活動をまたnoteにも還元しています。 いつも温かい応援をありがとうございます🤗