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畑という重石、15年の気付き【往復書簡#8+】

インターン生の果林菜さんとの往復書簡、第8回が公開されました。

7月末の救急搬送からどん底を味わった彼女と、30歳でトラクター事故に遭い死にかけた私の過去。綺麗事ではない「生き直しのリアル」について語り合っています。

未読の方は、ぜひ本編からご覧ください。

👉 [【往復書簡 #8】救急車で運ばれたどん底、誰もいない畑で食べたトマトの味。]

今回の返信の中で、私は彼女に
「周りの大人からの『ゆっくり休みなよ』なんてアドバイスは聞き流して、やりたいことにどんどん飛びつけばいい」と書きました。

今回はその裏話として、私自身の「衝動的で縛られたくない性分」と、それに真逆な「畑という重石」について書いてみようと思います。


■ 衝動で生きる「フッ軽」な人間の自己矛盾

私は昔から、衝動的に人生の大きな決断をしてしまう癖があります。

テレビ番組の制作会社にいた頃、農業をやろうと思い立ったら即座に退職届を出す。会社を立ち上げようと思ったら、そのまま起業してしまう。その後、手掛けた新規事業も数知れません。

テレビ番組ディレクターとして南アフリカの犯罪都市の取材(右側 当時26歳)

その衝動のおかげで切り拓けた道もたくさんありますし、感謝されることもあります。ですが当然、周囲は振り回されます。「あいつは一体何を考えているんだ?」と呆れられることもしばしばです。

ですが、この歳になって自分の性格を改めようとも思いませんし、正直もう手遅れでしょう。

そもそも、起業する人間なんて大概そういう質(たち)の人間です。
その気になったら人の言うことなんて一切聞かないし、自分から進んで地雷を踏みに行ったり、かと思えば急に全く違うことを言い出したりする。

テクノロジーが進化し、社会のスピードが加速している現代では、こういう人間は「フッ軽(フットワークが軽い)」などと称賛されることもあります。

ですが実態は単に、知識や行動力はあっても人に縛られたり強制されたりするのが大嫌いなだけです。サラリーマンを40歳まで頑張ってみたものの、人の指示に従って動くことが苦手でまったく上手く立ち回れず、結局辞めて自分で会社を作ったような人間なのです。

そう考えると、私が「畑」をやっていること自体、なかなかの自己矛盾だなと感じます。

■ 「畑がなければどんなに気楽だろう」と思う夜

畑という現場は、「一定期間休む」ということに全く向いていません。 ヤギや烏骨鶏などの動物も飼育しているのでなおさらです。私は完全に、畑と生き物たちに縛り付けられています。

台風が近づけば、身の安全だけでなく、ビニールハウスや作物、動物たちの安全にも責任を持たなければならないため、気が気ではありません。

2014年2月14日の大雪・・・建てたばかりのビニールハウスがペシャンコに

過去には台風でハウスが吹き飛んだり、大雪で骨組みが潰されたり、高価な農機具が盗難に遭ったりと、散々な目に遭ってきました。それらの災害やトラブルを未然に防ぐための準備には、膨大な時間とコストがかかります。

「畑さえなければ、どんなに気楽だろう」

台風の前夜、激しい雨音を聞きながら、そう思うことも一度や二度ではありません。

■ 足元を深く掘り、片足を繋ぎ止める「重石」

しかし、それでも私は「畑に縛られる生き方」を選択して、心から良かったと思っています。

元々、地縁も血縁も薄く生きてきた私です。もし農業と出会っていなければ、どこまでも根無し草として自由気ままな反面、締まりがなく、地に足がつかないままフラフラと妄言を吐きながら生きていたのではないかと思うのです。

考えてみれば、家族を持つことも、事業を営むことも、すべて自分に「縛り」をかける行為です。 だからこそ人は若者に対して「若いうちにいろんな挑戦をしておいた方がいい、歳を取ったらそうはいかないから」と助言しがちなのだと思います。

やりたいことが無限にある状態も悪くはありません。しかし年齢を重ねると、選択肢の多さから得られる刺激や快楽にもだんだん飽きが来て、無限に満たされるわけではないことに気づきます。

どこかのタイミングで広く世界を見渡す時期があってもいい。けれど最終的に安らかに生きていくためには、自分の足元を深く掘り下げ、周囲の人々を大切にしていく生き方が不可欠だと知るのです。

  • 私は無意識のうちに、自分自身の足に「畑」という重石(アンカー)を取り付けたのだと思います。

遠くを眺めたり、手を伸ばしたりはするけれど、片足だけは必ず畑というホームベースにしっかりと繋ぎ止められている。そのくらいの「縛り」がある方が、私という人間にはちょうど良かったのです。

■ ムラのおっさんが板についてきた15年

そんな風に自分の足元に重石を置きながら、若者たちを次々と受け入れ、彼らが自分の足で旅立っていくのを促す。そして時々、ふらっと遊びに還ってきてくれたり、彼ら自身も私のムラの近くに新たな軸足を置いてくれたりしたら嬉しいな、とどこかで願っている。

振り返れば、そうやって「農村のおっさん」の役割が板についてきた15年だったように思います。

1100年以上の歴史を持つ谷保天満宮、例大祭の大万灯(小野は中央左)

果林菜さんのように、迷い、転びながらも自分の足で進もうとする若い世代が、いつでも羽を休めたり、また泥にまみれて立ち上がったりできる場所として。

心のどこかでは重石を振り捨てて飛び出したい自分をどこかで抱えながら
畑という場所をしばらくは守っていきたいと思っています。

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