人さし指の約束


ミニチュアダックスのローラと暮らした17年。私が最も繰り返した動作は、人さし指を立てることだったかもしれない。ハンドサインと呼ばれるお座りの合図である。ひとと犬は言葉と言葉で会話をすることはできない。けれど、犬はひとの言葉をある程度、理解できる。その中のいくつかを指や手の動きと結びつけ、ハンドサインとして会話をするのだ。夫や私が指で合図を送るとローラは行動というカタチで返事をしてくれる。
人さし指を立てる、お座り。その指を前へ寝かせる、伏せ。声を出しても出さなくても、目と目を合わせながら通じ合うことができた。

例えばお手は、私にとってローラとの握手だったように思う。お手と声をかけながら、私が差し出した手にローラの手が乗る。互いの体温が感じられ、気持ちも近づくようだ。やんちゃをして怒ったら、仲直りのお手。朝いちばんに、おはようのお手。
私の手のひらでローラの手を包み込む。少しカタチの違う握手を私と彼女は何度も何度も交わした。

我が家がハンドサインを使い始めたきっかけは、20年前に通った犬のトレーニング教室だった。おすわりや伏せを始まりに、さまざまなサインを夫と私とローラで一緒に覚え、共有していった。その過程で「犬のトレーニングは、1歳までが勝負。それを過ぎると新しいことはほとんど覚えられない」と、トレーナーから言われた。夫はそんなものかと思ったようだが、私はかなり懐疑的だった。
生まれてから12ヶ月を過ぎたら、線を引いたように突然学習できなくなるということがあるのだろうか。そこで、見よう見まねでオリジナルのサインを考え、少しずつ試していった。8歳ぐらいまで続けただろうか。今では犬はシニアになっても学習できることがわかっているようだが、当時はそこまでの理解が進んでいなかったのだろう。
1歳までより少し時間はかかるが、毎日繰り返し続ければ、ローラはどれも覚えてくれたものだ。

時計の長針、短針、秒針が呼応しながらひとつの時を刻むように、夫と私とローラはひとつの家族として向き合った。
特にハンドサインを交わすためには、愛着という感情を互いに持つことが何より大切だと思う。実際、ローラは夫と私、大好きなトレーナー以外の人がサインを出しても、それに応えることはなかった。
我が家にとってお手やスピンは芸ではない。お互いを知り仲良く暮らすための道標だ。数を重ねるごとに、互いの呼吸が響き合っていった。そしてハンドサインは私たちの言葉になった。

人さし指を地面に向けて円を描く。ピーピーというおしっこのサインだ。例えば、新幹線に乗った時。ローラをデッキへ連れて行き、ペットシーツの上でくるくる回りはじめたらサインを出す。すると上手に用を足してくれるのだ。
あるとき、ペットシーツの上できちんとおしっこができたその瞬間、夫がタイミング良くローラにお気に入りのおやつを食べさせた。夫は狙っていたらしい。それ以来、ピーピーはより完璧になった。

もちろんお散歩のときにも使った。たまたま道で催しはじめたローラがペットシーツで用を足していると、通りがかりのマダムが振り向いてまで「賢いわねー」と驚き、私たち家族に笑顔を向けてくださった。

ハンドサインにはピーピーのように特別な意味をもつものもあるが、日々の暮らしを支えた多くのサインもあった。たとえば、グーの型にした手を胸元に当てるルック。目と目を合わせるという意味を持つ。ローラは飼い主以外、人も犬も苦手でエレベーターなどで鉢合わせると吠えてしまう。そんなとき、ルックを使って視線を逸らす。私たちにも他者にも優しいサインだ。
また”はーい”は本当によく使った。ローラと名前を呼んで、はーいと手のひらを向ける。本来は肉球を私に向けて返事をするのだが、ダックスは足が短いのでそれができない。肘から上げる感じになり、いつも少し困った顔で返事をするのがお決まりだ。

犬は7歳を超えるとシニア期に入る。12〜3歳ぐらいまではあまり意識するような変化はない。だがそれ以降は、少しずつ老いと向き合うことになる。
ローラの場合、目は白内障の症状こそ出ていたが、それなりに見えてはいた。ただ耳は割と早い段階から聞こえなくなっていたように思う。家のインターフォンが鳴っても吠えない。それが、ローラの変化を知るきっかけだった。
犬は加齢という概念を持たないので、そのことをどう捉えていたのかはわからない。だがローラは音のない静かな世界の中で何を思っていたのだろう。自分を呼ぶ声が届かなくなって、寂しかったのではないか。夫や私の気配が感じられなくなって怯えていたのではないか。私はもっとそれに寄り添ってやれたのではないか。
ローラは小さな子犬として私の前に現れたはずなのに、いつの間にか私の年齢を追い越していった。その変えようのない現実に、私は目を背けていたのかもしれない。
ローラと過ごした時間に後悔はないが、ごめんねという思いは無くならない。それでも、ローラは幾つになっても人さし指を立てれば、首を傾げてお座りをしてくれたし、その指を寝かせれば長い胴をさらに伸ばして伏せをしてくれた。
今も、自分の指先があの頃のサインを綴るたび、ローラの一生懸命な仕草が目に浮かんでくる。私たちの17年を支え続けたいくつものハンドサイン。それは、夫と私とローラで結んだ大切な約束だったのだと思う。

いいなと思ったら応援しよう!