俗伝怪談 三頭木
とある山村の奥、沢を三つ越えた先。幹が途中から三つに分かれた老木があった。
幹の太さは、大人が三人手を回してもなお足りぬほど。しめ縄がかけられ、毎年、取り換えられてきた。
里の者はこれを三頭木と呼び、山ノ神の宿る木として代々伐る者はなかった。
木の傍らを通る時は必ず頭を垂れ、声高に物を言わぬ習わしであったという。
昔、この村にひとりの木こりがあった。腕は村一番だが気の荒い質で、若い頃から山の掟を軽んじるところがあった。
山開きの日取りを守らず勝手に入山して、村の年寄りたちから厳しく叱られたことも一度や二度ではなかったという。
それでも当人は詫びる素振りひとつ見せず、掟など迷信だと言い放っていた。
ある年の冬、雪が深く村では材木が乏しくなった。
木こりは日頃から目をつけていた三頭木のことを思い出し、これを伐って売ればと考えた。
老いた木こりの父はこれを聞いて色を失い、「あれだけは伐るな、祖父の代からの言い伝えぞ」としきりに止めた。
しかし木こりは聞き入れず「神の宿る木なら、伐った祟りも見てやろう」と嘯いて、ある朝、斧を担いで独り山に入った。
その日は朝から妙に静かな日であった。雪は音もなく降り積もり、鳥の声ひとつ聞こえなかった。
三頭木の根方に立つと、風もないのに梢がざわざわと鳴った。木こりは気にも留めず、祠に供え物ひとつせぬまま斧を振り上げた。
一打ち目。
幹に刃が食い込むと、あたりに獣の唸るような音が響いたという。
二打ち目。
幹の裂け目から生あたたかいものが滲み出て、雪を赤く染めた。木の血であろうと、後に村の者は語り合った。
三打ち目を入れようとした時、木こりはふと顔を上げた。
三本の幹のそれぞれの股のあたりに、白いものが立っているのが見えた。
よく見ればそれは、白い着物を着た三人の女であった。髪を長く垂らし、俯いたまま、じっと木こりを見ていたという。
女たちの指先は、木の裂け目から滲んだ血と同じ色に染まっていたという。木こりは斧を取り落とし、転げるように山を下りた。
その夜から、木こりは高熱を出して寝込んだ。
一日目の夜は、ただ肩で息をしながら虚空を見つめているだけであった。
家の者が声をかけても返事をせず、目だけが忙しく何かを追っていたという。
二日目の夜になると木こりは布団の中で身を縮め、両手で顔を覆うようになった。
「近い、近い」とだけ呟き、額には氷のような脂汗が浮いていたという。
三日目の夜、ついに木こりは叫び声を上げて跳ね起きた。
何かを振り払うように力の限り暴れたので、家の者三人がかりでようやく押さえつけたという。
その間も木こりの目は、誰もいないはずの枕元に据えられたままであったという。
四日目の朝、家の者が様子を見に行くと、木こりは床の中で息絶えていた。
医者を呼んだが死因は分からず、村の年寄りたちは「山ノ神に魅入られたのだ」と口々に言った。
それから木こりの父は息子の弔いを済ませると、三頭木の根方に酒と塩、そして木こりの使っていた斧を埋めたという。
以来、その山では三頭木のような木を見つけても、決して斧を入れぬようになった。
もし止むを得ず伐る必要がある時は、まず酒と塩を根方に供え三度頭を下げ、木の声を聞くように暫く待ってから刃を入れるのだと伝える。
今もその山には三つ又の木が残っており、里の年寄りは
「あれは山ノ神の依り代だから、粗末にすればこの木こりのようになる」
と、孫たちに言い聞かせているという。
もっとも、それを語る年寄りも年々少なくなった。
若い者の中には、林道の脇に立つそれをただの古木としか見ぬ者も増えてきたという。
本作は東北地方に伝わる山ノ神信仰(三頭木の伝承)を元にしました。
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