奥州市の人物と史跡
アテルイから後藤新平まで
岩手県奥州市には古代から近代に至るまで、日本史に名を刻んだ人物たちの足跡が数多く残っています。

蝦夷の英雄アテルイに始まり、奥州藤原氏、幕末の蘭学者・高野長英、そして近代日本を支えた後藤新平。
今回は、その足跡を時代順に辿るモデルルートをご紹介いたします。
アテルイ(阿弖流為)の時代(8〜9世紀)
8世紀末、胆沢は朝廷から見れば東北の辺境でした。
延暦8年(789年)、紀古佐美が率いる朝廷軍は巣伏の戦いでアテルイらが率いる蝦夷の軍に敗れています。
その後、坂上田村麻呂が征夷大将軍として東北へ派遣され、延暦21年(802年)、アテルイと副官モレ(母礼)が降伏しました。
同じ年、田村麻呂によって胆沢城が造営され胆沢は律令国家の支配に組み込まれていきます。
現在の奥州市には、その時代を伝える史跡が残っています。
胆沢城跡歴史公園
延暦21年(802年)、坂上田村麻呂によって造営された城柵の跡です。
一辺675メートルにも及ぶ築地土塀で囲まれ、政庁をはじめ多くの役所が置かれていました。
奥州市埋蔵文化財調査センター
胆沢城跡歴史公園に隣接するガイダンス施設です。
胆沢城造営の背景やアテルイについて紹介しており、30分の映像資料「古代東北蝦夷の世界」も上映されています。
巣伏古戦場跡公園
アテルイ軍が朝廷軍を撃破した古戦場跡で、往時の合戦の様子を今に伝えています。夏には田んぼアートが描かれます。

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市内には「あてるい」の名を冠した公園や店舗が点在しており、地元の方々がアテルイに寄せる敬意と親しみを感じ取ることができます。

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見頃は5月
奥州藤原氏の時代(12世紀)
奥州藤原氏初代の藤原清衡は、江刺の豊田館から平泉へ本拠を移し中尊寺を中心とする都市の建設を進めました。
清衡から基衡、秀衡へと続いた時代、平泉は東北の政治と文化の中心となり、その繁栄を支えた土地の一つが現在の奥州市でした。
奥州市の公式資料でも、江刺は清衡ゆかりの地として位置づけられています。
歴史公園えさし藤原の郷
平安時代の建造物を再現したテーマパークです。城のような建物や貴族の邸宅、武士の館などが園内に立ち並び、当時の世界観を体感できます。

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隣接する平泉との歴史的なつながりも感じられる一角です。
幕末の蘭学者 高野長英(19世紀)
1804年、水沢に生まれた長英は医師の家で育ち、17歳で江戸へ出て蘭学を学びました。その後、長崎でシーボルトに学び江戸で医師と蘭学者として活動します。
しかし外国情勢を論じた「夢物語」が幕府批判とみなされ、天保10年(1839年)の蛮社の獄で永牢の刑を受けました。
1844年、牢屋敷の火災を機に脱出し、その後も逃亡を続けましたが1848年に自害しています
高野長英記念館
奥州市が生んだ蘭学者・高野長英の生涯と業績を紹介する記念館です。
長英直筆の書簡や著書など、重要文化財に指定された資料も展示されています。
近代日本を支えた政治家 後藤新平
1857年、水沢に生まれた後藤新平は医師となり、行政官、政治家として活動しました。
台湾総督府民政長官、満鉄初代総裁、東京市長などを歴任し、関東大震災後には帝都復興院総裁として東京の復興計画を主導しました。
道路、公園、区画整理などを含む復興計画は、現在の東京の都市基盤にもつながっています。
後藤新平記念館
関東大震災後の東京復興に多大な貢献をした政治家、後藤新平の偉業を伝える記念館です。

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記念館のそばには生家も残っており、あわせて見学できます。
古代の英雄から近代の政治家まで、奥州市には千年を超える時間軸の人物史が凝縮されています。
web博物館があります。まずはこちらでお試し、いかがでしょうか。
私の記事らしく、食文化もご紹介します。
先の歴史公園えさし藤原の郷では、文献や資料をもとに再現した奥州藤原氏の時代の「平安時代食」が提供されています。
「秀衡の宴」「義経の宴」と名付けられた料理には鴨の醤焼き、鮭の笹焼き、あわびと大根の酒蒸し、鮭の昆布〆、強飯、汁物、唐菓子などが並びます。
鮭や鴨、あわびなど当時の東北で手に入った食材を意識して使用。平泉文化を支えた土地の豊かさ味わうことができます。
※2名からの予約制。
郷土料理としては「奥州はっと」があります。
小麦粉を水で練って熟成させ、薄く伸ばして茹でたものを汁などと一緒に食べる料理で現在も奥州市を代表する郷土料理の一つです。
名前の由来には伊達藩領で農民がこの料理を好んで食べるようになり、米の生産に影響することを懸念した領主が「ご法度」にしたという説があります。※諸説。
ほうとうのような食べ物は、全国の様々な地域で食べられていました。農村の暮らしの中で、小麦を使った料理がどのように食べられていたのかを知る手がかりになります。
そして現在の奥州市。豊かな食材が食材が揃っています。
代表的なのが前沢牛。

奥州市では前沢牛をはじめ、米、りんご、野菜など多様な農畜産物が生産されています。
なかでも江刺りんごは昼夜の寒暖差が大きい地域の気候を生かして育てられる、この土地を代表する果物の一つです。

ちょっとした雑学ですが、奥州市の「江刺」地域と北海道の「江差」町はどちらも「えさし」と読みます。
地名の由来には諸説ありますが、両地域ともアイヌ語のエ・サ・ウシ(頭が海岸に突き出ている場所/岬)が由来とする説があります。
同じ「えさし」という地名が遠く離れた岩手と北海道に残っているのは、北方の歴史を感じさせられます。
史跡を歩き、人物の生涯をたどり、土地に残る食文化にも目を向ける。
千年以上にわたる奥州市の歴史を視覚と味覚で辿る旅、いかがでしょうか。
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無理にやるようなことじゃありません。