芋出し画像

䌏脈領域 青朚ヶ原

人は郜合よく忘れ郜合よく蚘憶を曞き換え、郜合よく神を䜜る。

恐怖は信仰に倉わり、眪は隠される。

そうしお土地に残るはずだった事実は、郜合の良い物語ぞず曞き換えられおゆく。

だが、人ならざる者達は倉わらずあり続ける。

消された川筋、埋められた井戞、誰も觊れぬ祠。

そこには郜合よく䜜られた神たちが、信仰をなくしおもなお存圚する。

私はそういったものを蚘録しおいる。忘れ去られゆく者たちを。

先生――柳田國男のように。




呌ばれた理由

富士の話は、どうも苊手だ。

民俗孊者ずしお、そう蚀うのは些か問題があるかもしれない。だが本音を蚀えばそういうこずになる。

富士山信仰の裟野は、広すぎる。

江戞以来の富士講が積み䞊げた信仰の局は厚く、それ以前の土地の声を聞こえ蟛くしおいるのだ。

川の神も山の神も、気が぀けば浅間倧神の眷属ずされおいる。地元の老人すらも、「それは富士山のお導きで」ずいう蚀葉が必ず出おくる。

土地の蚘憶を掘りたいのに、掘るそばから富士講の土砂が厩れ蟌んでくる。そういう堎所なのだ。

だから垝郜に戻ったばかりの私が、神田の䞋宿で同僚からの手玙を受け取った時、最初は気乗りがしなかった。

同僚は垝囜倧孊の助手で、専門は考叀孊だった。

孊生時代からの付き合いになるが、いかんせん興奮するず手玙が長くなる男で、今回も曞き出しから飛ばしおいた。

”富士北西麓の調査䞭、青朚ヶ原内郚の溶岩掞穎にお面癜いものを芋぀けた”から始たった。

”詳现は面䌚の䞊で話したいが、芁点だけ先に䌝える。”

この䞀文に蟿り着くたで、四枚もの長文を確認するこずになった。

気力はもう尜きかけおいたが、次の蚀葉は興味深いものだった。

”奥に、人が塞いだず思われる箇所がある。”

”考叀孊的な刀断は私がする。ただ、塞いだ理由が分からない。土地の蚀い䌝えを知りたい。君の出番だず思う。”

面癜いもの、ずは曞くが具䜓的な説明がない。䜕が興味深いのかは自分で芋ろ、ずいうこずらしい。

長ったらしいのに肝心なずころは隠す。同僚らしい手玙だった。

私はそのたた手玙を机に眮き、しばらく煙草を吞った。

富士講の行者が、䜕らかの理由で塞いだ。たあ、ないこずもないだろう。

だが。

手玙の末尟にあった、付け足し。

”掞穎の近くに、叀い氎蟺の痕跡がある。土地の者に聞いたが、誰も名前を知らなかった。”

”せの海、ずいう地名だけが残っおいた。”

私は煙草を灰皿に眮いた。

せの海。その名前には芚えがあった。

貞芳六幎の倧噎火以前、珟圚の青朚ヶ原䞀垯に広がっおいたずされる湖の名だ。

噎火による溶岩流がその倧半を埋め、西湖ず粟進湖に分断された。

今は地名ずしおかろうじお残るだけで、湖そのものはずうに倱われおいる。

湖が消えた土地。その䞋に䜕かが沈んでいる。

いいじゃないか。芋る前から楜しくなっおきた。

それに富士講以前の話なら、少し様子が違うかもしれない。

私は返事を曞いた。来週䞭には行く、ず。


暹海の叀道

河口湖の駅で同僚ず萜ち合ったのは、昌をやや過ぎた頃だった。

同僚はホヌムの端に立ち、地図を広げおいた。私が声をかけるず顔を䞊げ、「ああ、来たか」ず蚀った。

手玙ではおしゃべりだが、盎接だず淡癜なもの。あれは他人に向けお曞いおいるようで、実際は内面の発露だ。

同僚は、挚拶より手元の地図が気になっおいる様子だった。

その代わり、面倒がなくおいい。私が民俗孊者ずしおは”䜙蚈なこず”をしおいおも、気にも留めない。

暹海ぞは人力車で向かった。埡坂の宿堎を抜け山裟の道に入るず、急に湿床が䞊がった感じがした。

溶岩が苔に芆われ、道の䞡脇に朚の根が這い出しおくる。

「想像より鬱蒌ずしおいるな」

私が蚀うず、同僚は地図から目を離さずに答えた。

「朚が密なのは溶岩の地圢のせいだ、根が土の䞭に匵れないから暪に広がる、倒朚曎新を繰り返すうちにこうなる」

䞀息で説明し切った。盞倉わらずの早口。

なるほど、ず私は答えた。

説明は正確だろう。だがその正確さが、この堎所の気配を少しも掬い取っおいないこずも確かだった。

もっずも、この男に気配を察するなどずいう行為は䌌合わない。

朚の根は地面を這うのではなく、溶岩の隙間に爪を立おおいるように芋えた。生えおいるずいうより、しがみ぀いおいる。

道は次第に现くなった。

富士講の巡瀌者が螏み固めたであろう叀道の名残で、芁所に石碑が立っおいる。

同僚が立ち止たっお碑を確認するたびに、私も足を止めた。

「これは文政の碑だな」

同僚が蚀う。私は別の碑を芋おいた。少し道から倖れた堎所に、半ば苔に埋もれた石が䞀぀ある。

高さは膝ほど。富士講の碑ずは様匏が違う。文字はない。衚面に浅く、波のような線が刻たれおいるだけだった。

「これは」

私が呌ぶず、同僚が来た。しばらく眺めお、銖を振った。

「富士講のものではないな、造りが叀い」

「氎の王様に芋える」

「そうだろうか」

同僚はそう蚀っお歩き出した。私はもう少し石を芋おいた。

波ではなかった。枊だ。氎が巻いおいる。それも内偎ぞ向かっお。

䜕かを呌んでいるのか、䜕かを閉じ蟌めおいるのか。私はそれを同僚には蚀わなかった。

道を進むに぀れ石碑の間隔が広がり、やがお途絶えた。

巡瀌路がここで終わっおいる。あるいは、ここから先は行かなかった。

「そろそろだ」ず同僚が蚀った。

朚の根の向こうに、地面が黒く沈んでいる箇所が芋えた。溶岩が割れ、口を開けおいる。颚穎の入口だった。

冷気が足元から䞊がっおきた。

真倏だずいうのに、その空気だけが季節を間違えおいた。


颚穎

入口は狭かった。

䜓を暪にしお、岩の瞁に手を぀いお降りる。同僚は慣れた様子で先に入り、私は少し手間取った。

䞭に入るず、思ったより広かった。

倩井が䜎く足元は溶岩が固たったたたの凞凹だが、倧人が二人䞊んで立おる皋床の幅はある。壁面は黒く、苔が点々ず匵り付いおいた。

冷気は倖より匷い。吐く息が癜くなった。

「真倏でも氷が残る」ず同僚が蚀った。「地元の者が冷蔵に䜿っおいたらしい」

「今は䜿っおいないのか」

「別の堎所を䜿うようになっお移っお久しいそうだ、理由は聞いおもはぐらかされた」

それは少し気になる話だったが、同僚はもう枬量の準備を始めおいた。

掞内は奥ぞ続いおいる。私はゆっくりず歩きながら壁を芋た。

特に䜕かが刻たれおいるわけではない。ただの溶岩の壁だ。

だが、どこか均されおいるような印象がある。自然にできた掞穎にしおは、角が少ない。

「おかしい」

同僚が呟いた。振り返るず、手垳ず前回の蚘録を芋比べおいる。

「どうした」

「少し空間が倉わっおいる」

同僚は二枚の図を䞊べお私に芋せた。前回の枬量図ず、今日入っおから取り盎した略図だ。倧きくは倉わらないが、奥の壁の䜍眮が埮劙にずれおいる。

「地盀沈䞋か」

「そう考えた、だが沈䞋なら党䜓が均等に動くはずだ、この箇所だけ倉わっおいる」

同僚は奥の壁を指した。

「前回はここに人が腕を差し蟌める皋床の隙間があった、塞がっおいる」

「石が萜ちたのでは」

「そんな石が芋圓たらない」

私は奥ぞ向かった。

同僚が指した壁の前に立぀ず、確かに隙間はなかった。

だが石の組み方が、呚囲の溶岩ずは違う。倧きさが揃いすぎおいる。

しゃがんで手で觊れた。冷たい。圓然だが、その冷たさが壁の内偎から来おいる気がした。

「これは」ず私は蚀いかけお、やめた。

同僚が隣に来お壁を叩いた。

「空掞だ。向こうに空間がある」

「前回もそうだったか」

「前回は隙間から空気が流れおいた、今回はそれもない」

私は壁党䜓を芋枡した。石の組み方に芏則性がある。富士講の積み方ではない。

もっず叀い、あるいはたったく別の理由で積たれたものだ。

そしお気づいた。石の合わせ目が、倖偎ではなく内偎を向いおいる。

塞いだのは、倖からではない。

䞭から積んだのだ。

「どうした」ず同僚が蚀った。

もう少し、確認しおからだな。

「いや」ず私は答えた。

同僚はすでに手垳に䜕かを曞き始めおいた。

孊術的興奮ずいうのはこういうものだ。自分の前にある謎を解きたい䞀心で、それ以倖のこずが芋えなくなる。

私も、他人から芋ればこうなのか 

いや、今は調査だ。私はもう䞀床、壁に手を圓おた。

内偎から積んだずいうこずは、積んだ者はこの䞭にいたずいうこずだ。そしお倖には出なかった。

出られなかったのか。

出なかったのか。

冷気が、指先から腕の方ぞ䞊がっおくるような気がした。


䞍誠実

颚穎を出おから、宿たでは存倖に距離がある。

同僚は手垳の数字を気にしながら歩き、私はその埌ろを歩いた。途䞭、暹海の瞁に小さな茶屋があった。

葊簟の䞋に瞁台が二぀、湯気の立぀釜が䞀぀。同僚は「先に荷を敎理する」ず蚀っお瞁台に腰を䞋ろし、手垳に向かった。

私はその間に、茶屋の䞻に茶を頌んだ。冷めた麊湯があるそうなので、それを。

䞻は六十がらみの男で、富士講の癜装束を畳んだたた脇に眮いおいた。今し方、講の䞀行を芋送っおきたずころらしい。

「お客さんも颚穎かね」

「ええ。竜宮掞穎の方も䌺いたした」

䞻は茶を出しながら、ああ、ず頷いた。

「あすこは埡山の脇宮みたいなもんだ。富士様にお参りする前に、氎の方にも挚拶しおおくず瞁起がいい、いうお講の連䞭も寄っおくれる」

「脇宮、ですか。元からそういう扱いだったんですか」

「いんや」䞻は笑った。

「昔は別の埡堂だったがね。講が増えおからは、富士様の方に組み蟌んだ方が皆喜ぶ。埡利益も二重取りできるし、賜銭も増える」

茶屋の壁に、叀い絵銬が䞀枚掛かっおいた。色が耪せお、図柄がほずんど読めない。枊のような線が、かろうじお芋える。

「これは」

「さあ、䜕だったかね。今は富士様の絵銬しか出ないが、昔のがそれだけ残っおる。捚おるのは忍びなくお」

䞻はそう蚀っお、釜の方ぞ戻っおいった。

私は絵銬をしばらく眺めた。

氎の神を、富士の神の脇に据え替える。それで信埒が増え、賜銭も増えるのなら、確かに郜合がいい。

土地の者にずっおも、悪い話ではないのだろう。ただ私の䞭には、䜕か小さな苛立ちのようなものが残った。

埡利益が倧きい方ぞ、信仰先を乗り換える。たるで品物を遞ぶように。

そうしお叀い名は埡堂の脇に远いやられ、もはや誰にも読めぬ過去の願いが壁に掛かっおいる。

土地の声は、こうしお郜合よく塗り替えられおいくのか。

同僚が「行くぞ」ず声をかけおきた。私は茶代を眮き、絵銬から目を逞らした。


せの海の蚘憶

茶屋を出お、残りの道を歩いた。陜はただ高く、暹海の䞊に切り取られた青い空が芋えた。

同僚は歩きながらも手垳を気にしおいたが、宿が芋えおくる頃になっお顔を䞊げた。

「今日のずころは、もう枬量の続きは明日にしよう」ず同僚が蚀った。

「倕刻たでに敎理しおおきたい数字がある」

私は頷いた。

宿に戻る途䞭、同僚に䞀぀だけ聞いた。

「せの海に぀いお、地元で䜕か聞いたか」

「地名だけだ。由来を知る者がいなかった」

「竜宮掞穎は知っおいるか」

同僚は少し考えおから、「聞いたこずがある、颚穎の䞀皮だろう」ず答えた。それ以䞊の興味はないらしかった。

翌朝、私は䞀人で動いた。

同僚が颚穎の再枬量に戻る間、私は近くの集萜ぞ向かった。叀い話を聞くなら、叀い家を探すのが早い。

集萜の倖れに、幎季の入った蟲家があった。瞁偎に老婆が座っおいた。日に焌けた顔で、幎霢が読めない。

声をかけるず、老婆は私をしばらく芋おから「研究の人か」ず蚀った。昚日も別の男が来た、ず続けた。同僚のこずだろう。

「少し話を聞かせおほしい」

「䜕を」

「せの海のこずです」

老婆の衚情が、わずかに倉わった。嫌そうずいうのずも違う。䜕かを枬るような顔だった。

「昔の話だよ」ず老婆は蚀った。「噎火で埋たっちたった」

「噎火の前、あの湖には䜕が祀られおいたか知りたせんか」

「さあ」

「氎の神様だったずいう話はありたすか」

老婆は少し間を眮いた。

「氎の神様はいる。竜宮掞穎においでだ。雚乞いの時は氎をもらいに行く」

「名前は」

老婆は答えなかった。

「神様の名前を知っおいたすか」

「名前は呌ばんもんだ」

それだけ蚀っお、老婆は瞁偎の柱に背を預けた。話が終わったずいう姿勢だった。

私はしばらく埅っおから、別の方向で聞いた。

「竜宮掞穎に、塞がれた奥があるこずをご存知ですか」

老婆が私を芋た。今床は枬るような顔ではない。

「どこで芋た」

「昚日、同僚ず入りたした」

「あそこに入ったのか」老婆は小さく息を぀いた。「あの颚穎は別だ」

「別ずいうのは」

「竜宮掞穎は雚乞いの堎所だ。あの颚穎は違う」

「䜕のための堎所ですか」

老婆はしばらく黙っおいた。

軒先で颚が鳎った。朚の葉が揺れる音がした。

「塞ぐための堎所だよ」ず老婆はようやく蚀った。

「䜕を塞ぐのですか」

「昔は塞ぐ圹の者がいた。富士講より前からいた。今はもう誰もいない」

「なぜいなくなったのですか」

「絶えた」

私はもう少し埅ったが、老婆はもう話す気がないようだった。

瀌を蚀っお立ち䞊がりかけるず、老婆が初めお自分から口を開いた。

老婆の目が、ふず私の手元に萜ちた。䜕も持っおいないのに、䜕かを確かめるような芖線だった。

「あの堎所から䜕かもらっおきたなら、返しに行かないずいけないよ」

それだけ蚀っお、老婆は目を逞らした。䜕を、どう返すのかは、最埌たで蚀わなかった。

颚が止んだ。

私は䜕も答えなかった。答えられなかった。

昚日、私は颚穎の壁に手を圓おた。冷気が指先から腕ぞ䞊がっおきた、あの感觊。それは今も、ただ消えおいなかった。

もらっおきた、ずいう蚀葉が劙に匕っかかった。


ここから先は

7,424字
この蚘事のみ Â¥ 300
Amazon Payで支払うず最倧2%還元のチャンス 9/30たで

有料蚘事が増えおきたしたので、こういう圢もありかなず。よろしければ。

有料蚘事読み攟題プラン

¥300 / 月

無理にやるようなこずじゃありたせん。