HBIMとは何か—『歴史建築の3Dモデル』だけではない、文化財情報を未来へ渡す仕組み(前編)
Japan Heritage BIM Framework 研究ノート #01
ナカシャクリエイテブでは、文化財や地域資料のデジタルアーカイブに長く取り組んできました。その中で、私たちが「建造物そのものを、どのようにデジタルで記録し、未来へ残していくのか」というテーマを強く意識するようになったきっかけの一つが、2024年に取り組んだ、解体を前提とする近代建築のデジタルアーカイブでした。
建物が失われる前に、写真や図面だけでなく、3D計測などを用いてその姿を記録する。そこから私たちの関心は、単に建物の形をデジタル化することだけではなく、建物にまつわる歴史、調査記録、図面、写真、修理や改変の履歴といった情報を、どのように建物そのものと結び付けて残していくかへと広がっていきました。

この問題意識から、海外における文化遺産のデジタルドキュメンテーションやHBIM(Historic / Heritage Building Information Modelling)の調査を進め、2025年にはCIPA Heritage Documentationのソウル大会に参加しました。さらに現在は、国内における文化遺産のデジタルドキュメンテーションの研究・標準化を進めるCIPA Heritage Documentation Japanの活動にも参加しています。

こうした取り組みを通して感じているのは、文化遺産のデジタル化は「精密な3Dモデルをつくること」だけでは完結しない、ということです。建物がどのように調査され、どの部分がいつ修理され、どの資料を根拠として現在の理解に至ったのか。そうした情報を、建物や一つひとつの部材と結び付けながら、長期的に蓄積し、次の世代へ受け渡していく仕組みが必要ではないか。その可能性を考える中で、私たちが改めて注目しているのがHBIMです。
このnoteでは、海外の研究論文や国際的な取り組み、日本の文化財保存制度などを読み解きながら、日本の文化財建造物に適したHBIMとはどのようなものなのかを考えていきます。完成した答えを紹介するのではなく、調査し、考え、専門家との対話を重ねながら形にしていく。その過程自体を記録していく研究ノートです。
1. はじめに——精密な3Dモデルは「完成」なのか
レーザースキャナーや写真測量、ドローンなどの技術が普及したことで、文化財建造物を高精度な点群や3Dモデルとして記録することは、以前よりずっと身近になりました。では、精密な3Dモデルをつくれば、それで文化財のデジタル化は完成なのでしょうか。
私たちはここ数年、HBIM(Historic / Heritage Building Information Modelling)について国内外の研究を調べています。調査を進めるうちに見えてきたのは、HBIMの本質は必ずしも「歴史建築を精密に3Dモデル化すること」だけではない、ということでした。むしろ重要なのは、こうした情報を建物や部材と結び付けながら長期間残していくことです。
その建物について、私たちは何を知っているのか? 何が分かっていないのか? いつ調査したのか? どこが傷んでいるのか? いつ、どの部材を修理したのか? その判断の根拠となった資料は何なのか?
今回は、私たちがHBIMを調べ始めるきっかけになった研究を手がかりに、「HBIMとは何なのか」を考えてみます。
2. HBIM概念の整理
2.1 用語と起点:HBIMという言葉は、一般には Historic Building Information Modelling の略として使われています。ただし、研究分野では「Historic」「Historical」「Heritage」など表記に揺れがあり、「Heritage Building Information Modelling」とする論文もあります。用語そのものも完全に一つに統一されているわけではありません。実際、Historic England (2017) は "Historic BIM"、"HBIM"、"Heritage BIM"、"BIM for heritage" などの用語が "almost interchangeably"(ほぼ同義に)使われていると指摘しています。近年のレビュー (Parente et al., 2025) でも Historic / Heritage の両方を含む概念として扱われています。
HBIMを定義した最初期の代表的文献として、後続研究で広く参照されるのが、Dublin Institute of Technology(現 Technological University Dublin)の Maurice Murphy、Eugene McGovern、Sara Pavia らの研究です (Murphy et al., 2009; Murphy et al., 2013)。後続研究では、HBIMは2009年に提案された概念として整理されており、Parente et al. (2025) のシステマティックレビューも、分析対象期間の起点を「Murphy et al. (2009) によるHBIMの最初の定義」を含めるよう設定しています。
2.2 初期HBIMのScan-to-HBIM的性格:初期の研究では、レーザースキャンや写真から取得したデータに、歴史的建築の柱や窓、装飾などをパラメトリックなBIMオブジェクト(例:数値を変えるだけで形状が連動するデジタル部品、など)として対応させることが大きなテーマでした (Murphy et al., 2009; Murphy et al., 2013)。
つまり初期のHBIMには、実在する歴史建築 → レーザースキャン・写真測量 → 点群 → 建築要素を認識 → BIMオブジェクトとして再構築という、いわゆる Scan-to-BIM / Scan-to-HBIM の性格が強くありました("Scan-to-BIM" という用語自体も、Historic England (2017) が用語集で定義しています)。

これは当然難しい作業です。新築建築なら、設計した壁はまっすぐで、柱の寸法も決まっています。しかし、歴史建築には変形、傾き、経年変化、複雑な装飾、時代ごとの改造があります。「現実に存在する不整形な建築」を、規則性を前提としたBIMの世界へどう移すか。この問題は現在でもHBIM研究の重要なテーマであり、Lovell et al. (2026) も「Early HBIM research was largely focused on the issues surrounding geometric modelling for heritage assets(初期HBIM研究は主として文化財建造物の幾何モデリングの問題に焦点を当てていた)」と整理しています。
3. 「形をつくること」だけでは文化財を守れない
ここで、一つ別の問いが生まれます。仮に、とても精密なHBIMモデルが完成したとします。それだけで、その建物を50年後、100年後まで維持管理できるでしょうか。
例えば、ある木造建築の柱をクリックしたときに、本当に知りたいのは形状や寸法だけでしょうか。実際の保存管理では、
この柱は創建当初の部材なのか
以前の修理で交換されたものなのか
材料や樹種は何か
過去にどんな損傷があったのか
いつ点検されたのか
ひび割れは進行しているのか
どんな保存処置が行われたのか
その判断はどの調査報告書に基づくのか
次回はいつ確認すべきなのか
といった情報が必要になります。つまり文化財を管理するためには、Geometry(形)だけでなく、Information(情報)が必要なのです。
これは考えてみれば、BIM本来の考え方にも近いものです。Historic England (2017) もBIMを、単なる3Dモデリングではなく、"a collaborative process for the production and management of structured electronic information"(構造化された電子情報を生成・管理するための協働プロセス)として説明しています。同文書は「BIM is not just a 3D model or a type of software(BIMは単なる3Dモデルやソフトウェアではない)」と明記し、「Representing the appearance of an asset digitally through 3D modelling techniques does not solve the problem of information completeness and consistency(3Dモデリング技術で資産の外観をデジタル表現しても、情報の完全性と一貫性の問題は解決しない)」と指摘しています。
4. 情報管理としてのHBIM——Bruno & Roncella (2019)
4.1 研究の概要:この視点を考えるうえで、私たちが特に興味深いと感じたのが、University of Parmaの Nazarena Bruno 氏と Riccardo Roncella 氏による2019年の論文です。
Bruno, N., Roncella, R. "HBIM for Conservation: A New Proposal for Information Modeling." Remote Sensing, 2019, 11(15), 1751. DOI: 10.3390/rs11151751
この論文は、HBIMの課題として、複雑な3Dモデリングだけでなく、歴史情報や保存情報などの非幾何情報(non-geometric information)をどう管理するかに焦点を当てています。
4.2 システム構成:研究で提案されている仕組みは、考え方としてはとても明快です。

実装には Autodesk Revit™ と Microsoft SQL Server が使われ、Webブラウザからのアクセスには Autodesk Forge プラットフォームが用いられています。IDで接続する設計思想は、他のBIMソフトやRDBMSへ展開しうる拡張性を持つ、と理解するのが適切です。データベース側には、3D形状とは別に、以下のような情報を持たせることができます。
歴史情報(建設年代、変遷、過去の修理履歴、関連文書など)
損傷・問題(Problems / Damages)
保存修理(Conservation-Interventions)
調査情報(測量メタデータ、モデリングメタデータを含む)
関連文書(図面、写真、報告書、点群データなどへのリンク)
4.3 実証対象:実証対象となったのは、イタリアのパルマ大聖堂(Cathedral of Parma)とマントヴァのドゥカーレ宮殿(Ducal Palace of Mantua)でした。前者は11世紀後半から12世紀初頭にかけて建造されたロマネスク建築で、長年にわたり改造・修復が行われてきました。後者は13世紀以降に拡張された空間的に複雑な建築複合体で、Giulio Romanoらの仕事が含まれています。
4.4 重要な発想——3Dとデータベースは分ける:ここで重要なのは、3Dモデルを「すべての情報を詰め込む箱」にしていないことです。3Dとデータベースを分け、IDによってつなぐ。これは文化財情報を長期間扱ううえで、非常に重要な発想だと考えています。
文化財のデジタル記録を長期にわたって維持する場合、3Dモデル自体のフォーマットやソフトウェアが将来にわたって読み続けられる保証はありません。情報を外部データベースに分離して保持し、3Dモデルをその「入口」として位置づけることで、技術の変化に対しても情報の継承可能性が高まると考えられます。
5. 3Dモデルは「情報そのもの」ではなく「情報への入口」かもしれない
例えば、建物の正面にひび割れが見つかったとします。HBIMが単なる3Dモデルなら、「ここにひび割れがある」という現在の状態を表示するところまでかもしれません。
しかし情報管理としてHBIMを考えると、同じ場所・同じ部材について、以下のような情報を時系列で追跡できるようになります。
ひび割れ → 発見日 → 過去写真 → 過去の点検結果 → 原因についての診断 → 修理の必要性 → 実施した保存処置 → 修理後の状態 → 次回点検
さらに、その判断の根拠となった報告書、写真、図面、点群などにもアクセスできるようになります。
そうなると3Dモデルの役割も変わります。3Dモデルそのものが最終成果なのではなく、「文化財に蓄積された情報へ、空間からアクセスするためのインターフェース」として考えることができます。
前編ではここまでとします。Bruno & Roncella (2019) が示した「3Dとデータベースを分け、IDでつなぐ」仕組みは、文化財情報を長期間扱うための有力な方針でした。しかし、これは一部の研究者の取り組みにとどまりません。後編では、この視点がHBIM研究全体の潮流とも共振していることを、最新のレビュー研究と成熟度モデルから確認します。
参考文献(前編)
Murphy, M., McGovern, E., Pavia, S. "Historic building information modelling (HBIM)." Structural Survey, 2009, 27(4), 311–327. DOI: 10.1108/02630800910985108
Murphy, M., McGovern, E., Pavia, S. "Historic Building Information Modelling – Adding intelligence to laser and image based surveys of European classical architecture." ISPRS Journal of Photogrammetry and Remote Sensing, 2013, 76, 89–102. DOI: 10.1016/j.isprsjprs.2012.11.006
Bruno, N., Roncella, R. "HBIM for Conservation: A New Proposal for Information Modeling." Remote Sensing, 2019, 11(15), 1751. DOI: 10.3390/rs11151751
Historic England. BIM for Heritage: Developing a Historic Building Information Model. Swindon: Historic England, 2017. URL
