今見えている世界を、猫の女王にふさわしいものに更新する
人と見えているものが違う。
話が合わない。
嘘がわかる。
嫌なものは嫌。
子どもの頃、そんなふうだった人って、多いんじゃないかな。
わたしもそんなふうだった。
とりつくろう、その場だけの会話が嫌で、家族の食卓を囲むとき、ずっと外側を向いていた。
嫌だったのは、ピアノの先生。
父親の上司のお嬢さんが、音楽短大を出て、ピアノを教えたいんだってさ。
親は、貯めていた子どものお年玉でアップライトピアノを買い、兄貴とわたしを、そのお教室とやらに送り込もうとした。
ゴツゴツしたピアノ椅子の下に潜り込んで、絶対に行きたくないって駄々をこねた。
おまえらの忖度に付き合ってらんねーわって思う、小学生のおれ。
20歳のその先生は、教える技術もなく、子どもをえこひいきし、リズムをとるふりしてわたしを叩き、いじめ抜いた先生だったよ。
上等でい、こっちも嫌いだったわ!😆
でも、その後の音楽との関わりを思うと、クズな体験でも、やっといてよかった。
ありがとう。今どうしてんのかな。
絶対、ピアノの先生、やってないよね。
どうやら、かなり、人と見えているものがズレている。
本格的に気がついたのは、人智学というシュタイナーが提唱した霊学の道に入ってからだ。
学べば学ぶほど、霊学とは、子どもの頃から見ていた世界だと感じた。
現代風な言葉でいえば、高いメタ認知と、全体を一瞬で構造化してとらえてしまう目。
それが能力ってわけではなく、わたしはそういうタイプの人間。
長所にも短所にもなる。
霊学を学びながら、わたしがやっていたのは、現実を学ぶことだった。
きのうお会いしたゆきえさん(今、お互いのセッションを受けているので、よくお会いする)は、猫のようなタイプ。
猫は、未来や過去を思い煩ったりしない。
「いま、ここ」の身体の快・不快だけを真実として生きていて、その一瞬に何の疑いも持たない。
そんな刹那的な本質と、過去も未来もある世間的な生きづらさを感じている人に対して、どんなコミュニケーションを取ればいいのか。
頭の中が小さなアカシック保管庫みたいになっているわたしにとって、具体的な他者や世界とつなげてくれるのが、身体感覚の共有だ。
ジャイロトニック®︎というトレーニングメソッド特有の、やっているうちに体が連動する、つながっていく、一つ上の感覚が開く感じ。
わたしの言葉でいえばそれは「ゲシュタルトの形成」なのだが、彼女の専門分野として、実体や実感を持つ大きなエネルギーをどこへ拡張させるか、話し合った。
猫みたいに生きたいんですよね🐈
ほんとはすごいのに、なんだかホニャアっとしているゆきえさんが言う。
わたしは、ふと、猫の頭部ともつエジプトの女神、バステトが思い浮かんでおかしくなった。
家族、子ども、音楽、踊り。今の状況にぴったりじゃないか。
それなら、今見えている世界を、
猫の女王にふさわしいものに更新してください。
わたしはそう言った。
潜在意識が持つクリエイティビティが、すべてそこへ流れ込むように。
猫は、ただの比喩やイメージではない。
猫の背中のしなやかさ。
あの、自分の世界に君臨するかのような不遜な態度、気まぐれ。
熱中すると目をまんまるくしていつまでもそれをやり続けるところ。
ほんとうはもうちょっとだけ、飛べるはずの肉球。
ゆきえさんにはすでに、身体的な感覚としてそれらが染み込んでいる。
これが、臨場感だ。
臨場感に、世界観が掛け合わされると、現実は動く。
……。
ホニャアと柔らかい雰囲気を持つゆきえさんだが、それは本質でもあり、ごまかしでもある。
めんどくさいときも、よくホニャアとしたふりをしている😆
(猫なんだから、めんどくさい時はプイッとしていればいいのに)
自律コアが、「順番が大事」といっているのは、
この、人の本質や資質をどこにおくか、なのだ。
ごまかしが入ると、そこで止まって、循環しづらくなるから。
体は、わかったふりのない世界。
その潔さと切れ味が、ゆきえさんの持ち味。
ジャイロトニック®︎、ジャイロキネシス®︎という、彼女が愛してやまない技術がある世界。
そしてもう一段、抽象度を上げた場所へ。
体が連動する、世界へつながっていく、体の意識が明るくなって、一つ上の感覚が開く感じに、高い価値のある世界だ。
前者は、ダンスや運動のサポートとして提供できるメソッドとして提供されている。
後者は、身体開発の本質そのもの、現代のダンスが追求しているものといえる。
そんな世界に、生きていくんだろうな。
と思えるセッションだった。
自律コア・セッションのことを、こんなふうに書いてくれているよ。
ありがとうございます。
