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【雑感】大学院に進学して、本当に良かった。でも。


前期の講義がぱらぱらと終わり始めた。
あっという間だった。


思えば僕の人生において1ミリも後悔していない選択が2つだけあって、それが

1.大学に進学したこと
2.大学院に進学したこと

この2つである。

あまり裕福でない家に育ち、
親族で4年生大学に進学したのは僕が初めてだった。

少々無理をして東京の大学を選んだが、
地元にいては見られなかった景色や出会いがあって、掛け替えのない経験を積むことができた。

今に至るまで、進学を後悔したことは一度もない。



そして、卒業から10年。
僕は大学院に通うことを決めた。

きっかけは、
仕事があまりにも嫌になっていたからだった。

市役所の生活保護課での勤務。
この部署を丸ごと否定するつもりは全くないが、少なくとも僕には合っていなかった。

毎日、受け持ちの100人の保護受給者から「金がなくなった」「何とかしてほしい」と苦情を受けるばかり。

これまでに積んできた学識と経験が、中枢部署ならば必ずや役に立てられると確信していただだけに、自分の毎日が、困窮者の身の周りの世話に消えていくのがただただ悔しかった。



そんな思いとともに数年が経ち、業務にもだいぶ慣れてきた。

ふと思ったのだ。
「大学院に通う余力があるのでは」と。

この部署にあと何年いるのか分からないが、もう1年でもいたら、自分が終わってしまいそうな気がした。

普段の生活の中で、「自分が輝けるひととき」を作らなければ、もう本当に自分という人間が萎え切ってしまう。

再起不可能になってしまう。

だから、大学院を受験することにした。
自己申告書にも、その旨とともに異動希望を書いた。

「今の部署では、大変多くのことを勉強させていただきました。私には学びたい分野があるため、来年度から大学院に進学し、〇〇を研究するつもりです。こうした経験を業務でも活かしたく思っておりますので、〇〇課への配属を希望します。」


その後、僕は大学院に受かった。

そしてまさかの、配属希望も叶ったのであった。


僕は今、第一希望の部署で働きながら、大学院に通っている。

…ちょっと予想外だったのは、配属希望が叶っても、過去に萎え切ってしまった仕事への思いは、あまり戻らなかった。

タイトルの「でも」はこれを指している。


ただ勉強については掛け値なしで面白く、もう楽しくて仕方がない。

あれも学びたい、これも勉強したいと欲が無限にわいてくる。
とてもじゃないが休日が足りない。

だから、大学院に進学して本当によかった。


日々の生活の中に、自分が輝ける領域は必ず必要だ。
そのことに改めて気づいた。

今後の人生で、こうした時間を手放すことは決してないだろう。





…ほんでサムネの女だれや!


僕はAIで画像を出力するのが、苦手である。


”アメリカンすぎる”



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