⑯南米のおおまかな歴史|ヨーロッパ人による支配|独立運動|軍事政権【南極までの道のり】
*チリのことを「チレ」と書いています。
Chile なので、現地では「ちれ」です。
慣れてください。
今回訪問する国は、チレ、アルゼンチン、ウルグアイ。
乗り継ぎでブラジルにも一度降ります。
大まかな歴史はだいたい同じです。
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ちなみに私が子どものころは「南米は危ないから行ってはいけないところ」みたいな感じでした。
今わかることは、遠いということだけでなく、軍事政権でとてもじゃないけれど外国人が気楽に観光できる国ではなかったということです。
1980年代に入ると次々と民政移管(軍隊から、国民が選んだ政府へ権力を移すこと)が進みました。
アルゼンチンは1983年、ブラジルは1985年、ウルグアイは1985年、チリは1990年です。
つい最近のことですね。
1 南米の歴史の大きな流れ
征服と植民地化 (ヨーロッパによる支配)
独立運動 (クリオーリョを中心とした解放)
経済の依存と政治の不安定 (モノカルチャーと軍事政権)
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1. 植民地にされるまで(15世紀終わり〜17世紀)
15世紀終わり〜16世紀(今から約500年前) スペインやポルトガルから船に乗った人たちがやってきました。 もともと南米にいた先住民(インカ帝国など)の国は、武力によって支配され、滅ぼされてしまいました。
16世紀 ヨーロッパ人が持ち込んだ病気(インフルエンザなど)で、多くの先住民が亡くなってしまいました。
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*一口メモ*
南米の先住民がたくさん死んでしまったので、彼らをヨーロッパに連れていくことができませんでした。
ヨーロッパ人が、その代わりに目をつけたのがアフリカの人々。
彼らが奴隷としてヨーロッパに送り込まれた歴史は、じつは南米と深いかかわりがあるのです。
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17世紀〜18世紀 スペインやポルトガルの「植民地」として治められました。本国(スペイン・ポルトガル)で生まれた人だけが、えらい役職(政治のリーダー)を独り占めしていました。
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2. 自分たちの国を作る(19世紀の初め)
19世紀初頭(約200年前) 南米で生まれたけれど親がスペイン人の「クリオーリョ」という人たちがお金持ちになります。
でも、いつまでもスペインのスペイン人が権力を握っていて、政治のリーダーになれないことに不満がたまり、「自分たちの手で国を動かしたい」と考え始めます。
1810年代〜1820年代 スペインがヨーロッパの戦争で弱っている間に、シモン・ボリバルなどのリーダーが戦争を起こし、ほとんどの国が独立しました。
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3. ゆれる経済と政治(19世紀の終わり〜20世紀)
19世紀の終わり〜20世紀の初め ヨーロッパ(特にイタリアやスペイン)などからたくさんの移民がやってきました。 鉱物や農産物などを外国に売ることで、国が一時的に豊かになりました。
20世紀(世界大戦と不況からの軍事政権)
南米は戦場にならなかったため、第一次世界大戦や第二次世界大戦の最中は、資源や食料の輸出で大きく儲け、一時的に繁栄しました。
しかし、大恐慌(1930年代)や2度の世界大戦が終わった後は、外国の工場が復活したり、世界の需要が急に減ったりした反動で、国が貧しくなってしまいます。
景気が悪くなると、国を治めるのが難しくなり、軍隊が力で政治を乗っ取ってしまう「軍事政権」が何度も現れたり消えたりする、不安定な時代が続きました。
1983年から1990年にかけて厳しかった軍事独裁政権が終わり、次々と文民政権(選挙で選ばれた政府)に移行しました。
2 経済が不安定になる理由
一次産品依存(農産物や鉱物など加工していない製品は安い)
↓ 国際価格の下落(儲けがない)
経済危機・社会不安(お金の価値が下がる)
↓ 文民政権の機能不全(政権が信用されない)
軍事政権の出現(クーデターが起こる)
この連鎖は、南米諸国が20世紀を通じて真の経済的自立と政治的安定を達成する上での、最大の障害でした。
3 軍事政権って何?
軍事政権とは、「人々に選ばれた政治家ではなく、軍隊のリーダー(将軍など)が力ずくで国を治める仕組み」のことです。
国のリーダー:軍隊の最高司令官(将軍など)
権力を得る方法:クーデター(武力による政府の乗っ取り)で力ずくで奪う。
ルール:軍の命令が最優先。反対意見は許されない。
4 軍事政権と意見が違う人はどうなるの?
南米の軍事政権(特に1960年代から1980年代)は、国の秩序を守るという名目で、反対派に対して強大な力(国家権力)を使って、以下の弾圧を行いました。
1. 逮捕と投獄(とうごく)
対象: 政治家、学生、労働組合のリーダー、教師、ジャーナリストなど、政権を批判する全ての人々。
実態: 正式な裁判の手続きを経ずに、軍や秘密警察によって突然逮捕され、長期にわたって刑務所や秘密施設に収容されました。
2. 拷問と虐待
目的: 逮捕された人々から、組織の情報や共犯者の名前を聞き出すため。
実態: 尋問の際に、非人道的な拷問や虐待が日常的に行われました。これは、当時の軍事政権が犯した最も重大な人権侵害の一つです。
3. 強制的な失踪
方法: 軍や警察が夜間に人々を連れ去り、そのまま行方不明にしてしまうという手法が多用されました。
結果: 家族にも、連れ去られた人がどこにいるのか、生きているのか死んでいるのか、一切知らされないままの状態になりました。
南米の用語: 特にアルゼンチンやチリでは、この行方不明になった人々を「デサパレシードス(失踪者)」と呼びます。これは、当時の軍事政権の「恐怖政治」の象徴です。
4. 言論の自由の剥奪
検閲: 新聞、ラジオ、テレビの内容は、軍によって厳しくチェックされました。軍事政権にとって都合の悪いニュースや意見は、国民に伝わらないようにすべて消されました。
集会・デモの禁止: 反対意見を持つ人々が集まって話し合ったり、デモをしたりすることは、一切禁止されました。
5 恐怖政治による支配
軍事政権は、「政府に逆らったらどうなるか分からない」という恐れを国民の間に広め、誰もが政権を批判することを恐れる状態を作り出しました。
これが「恐怖政治」です。
これにより、軍事政権は、選挙で選ばれたわけではないにもかかわらず、武力と恐怖によって長期間にわたって国を支配し続けることができたのです。
この「失踪者」の問題は、亡くなった人々の真実を追及し、責任者を裁くという形で、南米が民主化された現在でも、重い課題として社会に残っています。
⑰チレについて につづく
