東大の苦しさ 3:相談相手の無さ・地方蔑視|東大卒アラフォー無職が人生を振り返る 61|(大学時代)
・相談相手のなさ
世の中には独力で解決できる問題とできない問題がある。
当時の心の混乱は後者に属するものだったと思う。
本来ならば、悩みを共有できる相談相手を見つける必要があった。あるいは専門のカウンセラーを頼るという方法も。
だがそのような発想は頭になかった。精神科とかカウンセリングとか、そういうのは自分から遠い場所にあるものだと思っていたのだ。
あるいは信頼できる友人がいればよかったかもしれない。
しかし、心の深いところを話せる友人を新しい土地で作るのは並大抵のことではない。
そもそも深い友人ができているのなら大学生活はそれなりに楽しくなっていたはずだ。
また私の「地元シック」のようなものを相談するには、ある種の共感が必要となる。通常の信頼関係とは別の要素が必要となるのだ。例えば
・東大が好きではない
・関西出身である
・公立出身
といったものだ。
東大でこのような相手を探すことは困難だった。
関西出身の東大生となれば、そのほとんどが灘高校、洛南高校、大阪星光などの私立である。
大阪トップ公立たる北野高校でも、当時は年間5人程度しか東大生を排出していない。
だから共感をもって話せる相手に出会うことは非常に困難だった。
どうすればよかったのか今でもわからない。
また、ここでも父の教えが物事を阻害していた。
小さい頃から、中耳炎になるほど父に言われたことがある。
「強い人間は群れない。群れるのは弱い人間だ」というものだ。
この言説の影響で、私は無駄に独力で困難を解決しようとする悪い癖がついていた気もする。
言うまでもなくこれは誤りだ。
人間強度があろうがなかろうが、友達や同窓と行動するのは普通のことだ、
人は社会的生物であり共同体の生き物なのだ。群れて行動するのは当然であり、問題などあろうはずもない。
だが当時の私はある種の孤立を正しいものと信じてしまっていた。
その呪縛が新天地での関係構築に影響を与えたことは否めない。
・地方差別者が普通にいる
これは東大というか東京全般に属する話かもしれない。
首都圏外の人間を見下す人が一定数いるのだ。
完全な私の主観になるが、地方蔑視感情を持つ東京育ちは「10人に1人」といったところである。
少ないと感じる方もいるだろうが石を投げれば当たるくらいには存在する。
大学に入った私はショックを受けた。
人を差別してはいけないというのは小学生でも知っていることなのに、そんなことも知らない人間が普通に存在したからだ。
地方差別がどのようなものか、それを具体的に表現するのは意外に難しい。「地方出身はクズだから死ね」など面と向かって言う東大生はいない。
それは言葉の節々に表れる。
たとえば「方言ってちょっと下品だよね」とか「東京の人はそういう考え方をしないよね」とか「そういうの(地方の文化)は現代的ではないよね」といったことを、俺たちはお上りさんのお前らとは違うというニュアンスで発言する。エスタブリッシュでないものを嫌うのだ。
そういう奴らが都市文化論や比較文化論を専攻していることもあるから救えない。
また問題なのは、地方差別は令和においてもある程度許容されていることだ。
女性批判や外国人批判には目ざとい社会も、地方差別はそれほど批判されない。それが社会的合意のある差別として定義されていないからだ。
大企業も女性管理職の登用にやっきになる一方で、東京一極集中を辞める気配はない。社会からの要請がないからだ。
「在日韓国人は日本から出ていけ」という言説を批判する文化人も、首都圏におけるホワイトカラー再生産は批判しないし、子供を私立中学に通わせる。
差別にも流行り廃りがあるのだろう。
