見出し画像

わらび餅と岩おこしの世界ー回想録⑩ー

 大阪市の下町には、定期的にリヤカーを引いてわらび餅を売る、通称わらび餅爺さんと呼ばれる人物がいた。販売日は不定期であるが、確か火曜日・水曜日が営業日と記憶する。その爺さんは、学校が終わる15時過ぎに、チリン・チリンと鐘の音を鳴らし、近くの児童公園にやってくる。母親から当時で破格の100円(当時の小遣いは1日10円だった)をもらい、一目散に公園まで駆け出して、その爺さんに「きな粉と抹茶味の大盛!」と注文した。爺さんはニコリともせず、少年から100円を黙って受け取ると、おもむろに屋台の端に引っ掛けている笊の様な容器を持った。屋台の中央にある釜蓋を開けると、冷えた大量のわらび餅をガサッ~とその笊に入れた。そして、私の目の前で、うどんの水切りの様な所作で、その笊を大きく振るのであった。
かなりの水飛沫が顔面に飛ぶが、こちらは早く食べたい一心である。文句の言う余地もない。木舟(経木舟皿)の皿にてんこ盛りでなく、平らに盛り付け、最後にきな粉や抹茶の粉末をかけた。よく冷えたわらび餅をもって帰宅する。これが美味なのだ!私も食べたが母親も良く食べていた。100円の意味が今、やっとわかった。あの爺さんは、どんな人生を歩んでいたのだろうか?脱サラか?一日の売り上げはいくらだったのか?少年との会話は全く無かった。半世紀前でも爺さん、齢八十前か?今も天国でわらび餅屋台を引っ張っているのだろうか…。爺さんが何という名前で、どこからきていたのか永遠の謎である。

大阪名物といえば”岩おこし”だ!

 大阪名物といえば”岩おこし”だが、大阪人が毎日食べるような菓子ではない。大阪の下町の駄菓子屋で販売していなかったので、縁のない菓子、すなわち、それは高級菓子を意味するのものであった。しかし、唯一、手に入るチャンスがあった。それは、近くの公民館で不定期(当然だが)に催される葬式会場である。大阪の”しきたり”だったのだろう、お通夜と本葬の二回、集会所(葬儀場となる)前で岩おこしが無料配布されるのである。これに目を付けない訳がない。少年たちは、適当に故人に手を合わしながら、二個セットとなった大阪名物岩おこしを貰うやいなや、ガリっとかぶりついた。非常に固いものであったが、何とも言えない高級な味覚があった。お菓子のゲット作戦は手を緩めない。二日間で4回リピートしたこともあった。勿論、故人は無縁だが、岩おこしには縁ができた。故人も”なんでやねん!”と叫びたかったことだろう。その行動は母親に内緒であったことは言うまでもない。




いいなと思ったら応援しよう!