差別が拡大する社会
「みいちゃん」が大きな話題となっている。それは、みいちゃんによってこれまで隠されていた問題が顕在化したからだ。
「隠されていた問題」とは何か?
それは、誤解を恐れずに言えば、社会が障害者をサポートすることが、新たな差別を生み出している、ということだ。
日本では、戦後の高度経済成長が終わった辺り(1970年代)から、障害者を社会全体がサポートする、という考え方が一般的になった。このとき、障害者とは何か、という定義、線引きが必要になった。社会でサポートするとなると、それがどうしても必要だったからだ。
そのため、障害者と非障害者の間に線が生まれた。そこにおいて、障害者と区分けされなかったにもかかわらず、生まれつき困難を抱える人が置いてきぼりになった。いわゆるグレーゾーンである。グレーゾーンという問題が、新たに生まれてしまった。
しかしこのグレーゾーンは、これまで無視あるいは軽視されてきた。それは、昔はグレーゾーンの人でも社会に適応できる場合が多々あったからだ。
ところが、時代が進むに連れ、グレーゾーンが社会に適応することが難しくなっている。そのため、グレーゾーンの人が障害者よりもかえって不幸になるというケースも散見されるようになった。近年話題のトクリュウやトー横キッズも、グレーゾーンとの深い因果関係が指摘されている。
この問題はもう20年ほど前から指摘はされていた。しかしそれは、さまざまな理由で一般の人が知る機会は少なかった。
しかしそれがとうとう臨界点に達し、みいちゃんをきっかけに多くの人が知るところとなった。そして多くの人は、この問題についてよく知らないため、無責任にあれこれ言っている。それで炎上という状態になっている。
ところで、ぼく自身は個人的な理由でかなり前(50年前)から障害者と差別についての知見を深めていたため、この問題については一般の人より詳しい。その立場から、今日は今思うことについて書いてみたい。
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文脈ノート
文脈は、アートであれエンタメであれ、コンテンツを商品として成り立たせるためにはきわめて重要な役割を担います。アートビジネス、コンテンツビジ…
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